その店は狭く、カウンターに八席、二人掛けのテーブルが三台の小さな店だった。
内装のテーブルや椅子は木製で統一されており、床には赤い絨毯が敷かれている。
凛はつい先ほど見た三笠の士官室を思いだした。
店内に客の姿は無く、カウンターの中には左目に黒いアイパッチをつけた眼鏡の男が一人、手動のコーヒーを引く機械でコーヒー豆を引いている。
年齢はおそらくこの紳士と同じくらい。
そして落ち着いた意匠のエプロンドレスを着た明るい茶色の髪の少女が一人、年齢は凛の二、三歳上だろうが妙に既視感があった。



【ネタ】渋谷凜は平行世界で二週目に挑むようです【その3】



「いらっしゃいませ……ってあれ?シノさん?忘れ物ですか?」
「いや、ちょっとね、タク、店使わせて貰って良いか?」
「ああ……菜々、今日はあがって良いぞ。もう閉める」
「わかりました。お先に失礼します」

店主の言葉と彼女の声で、凛は自分の頬が引きつるのを感じた。

(まさか“あの”菜々さん!?)

安部菜々、元の世界の同僚の一人で、自称『ウサミン星人』の『永遠の17歳』、もう突っ込み所しか見当たらない人である。
元の世界では担当プロデューサーが違ったためあまり付き合いが無かったが、その強烈なキャラでなかなかの人気を得ていた。
だが目の前の彼女は元の世界の彼女と同じ、高校生といわれても信じられるほど若々しい外見を持ちながら、それに似合わない落ち着いた雰囲気を纏っている。
正直、元の世界で見かけたら何か悪いものでも食べたのか?と疑うレベルだ。
特に彼女の担当プロデューサーが見たら卒倒するか、彼の担当アイドルの中でも一際吹っ飛んだ問題児の二人を尋問するかのどちらかだろう。

(でもこれは教訓だ)

元の世界と同じ人物でも中身がまったく違う可能性があるのだ。
気がつかずに対応していたらなにが起こるかわからない。
そういう意味では最初が彼女でよかったというべきだろう。
しかし、なにがどうなったらあのウサミン星人がこんなお淑やかの見本例のような女になるのか、催眠術だとか幻覚だとかそんなチャチなものでは断じてない、もっと恐ろしいものの片鱗を味わった気分である。

物珍しげにあたりを見渡している凛に、紳士は好きな椅子に座るように言った。

「アイスコーヒーで良いかな?」
「はい、それでお願いします」

すぐに先ほどの店主が凛にはアイスコーヒーを、紳士には普通のコーヒーを運んでくる。
凛は店主の左足が義足であることに気づいた。
先ほどはよく見えなかった左手にも手の甲からひじに向かって火傷の痕が見える。
そこで凛はこの二人の関係に気付いた。
紳士はおそらく現役か退役かわからないが軍人で、店主は紳士のかつての戦友なのだろう。
紳士が一口コーヒーを啜ったのを見て自分も喉がカラカラだった事を思い出して、凛はアイスコーヒーを一口飲んだ。
口に含んでみて驚いた。
このコーヒーは彼女が飲んだことのあるどのコーヒーよりも美味しかった。
驚きが顔に出ていたのか紳士が笑いを漏らす。
凛は少し赤くなった顔を誤魔化す様にアイスコーヒーを飲んだ。

「さて、君の悩みとは何だね?」

一息ついた凛に紳士が問いかけた。
凛は少し言葉に迷い、そして意を決して話し出した。

「私、前世の記憶があるんです」


凛は全てを話した。
自分の生い立ち。
元の世界の歴史。
小学校から中学校の頃の思い出。
高校に入った年に訪れた転機。
アイドルデビュー。
共に頂点を目指した仲間たちとの思い出。
導いてくれた人に抱いた淡い恋心。
十八歳の時に襲ってきた発病という絶望、そして覚悟。
最後の五日間、文字通り死ぬ気でステージに立った、そして自分が最も輝いていたと断言できる五日間。
前世の最後の記憶。
そして目覚め。
混乱、何をしてよいのかわからない困惑、自分が知る物や、自分を知る者が存在しない心細さ。
当てなく彷徨ってそしてたどり着いた渋谷で訪れた第二の転機。
共に頂点を目指した、しかし見知らぬ友との再会。
それを受け入れられず、闇雲に疾走した半年間。
ふと立ち止まってみればたどり着いていた高み。
今更ながら、何も知らなかったことに対する恐怖。
そして横須賀に踏み入った経緯。
凛は時に微笑みながら、時に涙を流しながら話した。
紳士は穏やかな顔でテーブルにひじをついて腕を組みながら、彼女の話を聞いていた。
凛が話し終わったとき、店主がアイスコーヒーの入ったポットと、皿に盛られたサンドイッチを持ってきてくれた。
彼女が礼を言うと店主はどうせ廃棄するものだから、といって厨房に引っ込んでしまった。
凛がアイスコーヒーを飲んで一息ついてから紳士は切り出した。

「フム、君の悩みはわかった。では君はいったいどうしたいのかね?」

紳士の問いかけに凛は即答することができなかった。
こうして思い返してみれば、今の凛には明確な目的が無いのだ。
彼女はこの世界に着てからトップアイドルを目指して走ってきた。
しかしふと周りを見回してみると、彼女が追っていた「トップアイドル」という目標は元の世界のもので、この世界のものではない。
彼女は「トップアイドル」という目標を通して元の世界を追っていたのである。
しかしこの世界は元の世界ではない。
どれだけ走ってもこの世界は元の世界にはつながっていない。
凛はここにきてそれに気付いてしまった。

「フム、自分の目標を見失ってしまった以上新たな目標を探すしかないだろう。では君はいったい何処を、あるいは何を目指したいのかね?そしてなぜそれを目指したいのかね?」

そう聞かれた時、凛は過去の記憶のいくつかが心の中から湧き上がってくるのを感じた。
一つは元の世界で、今と同じようにデビューから半年ほど経ったある日の記憶。
元の世界のプロデューサーに言われた言葉だった。
そしてもう一つは彼女のラストライブの直前、彼女が入院していた病室に彼女の様態を告げに来たプロデューサーとの会話だった。


『なあ凛、お前は何を目指すんだ?』
『プロデューサー?』
『お前がトップアイドルを目指すのはわかった。じゃあお前は何でトップアイドルを目指すんだ?』
『……考えたこと無かったな、でもねプロデューサー』
『何だ?』
『やるんだったら頂点を目指そうと私は思う。中途半端にやったら絶対に後悔すると思うから』
『……うん、それで良い。その言葉を忘れるなよ。手を抜いても上に行けるほどこの世界は甘くない。何をするにも全力でいかなければきっと後悔する』


『……どうしたの、プロデューサー?』
『…………凛、お前の診断結果が出た』
『……うん』
『……精一杯安静に努めて……それこそ寝たきりに近い状態で……余命一年だ……!』
『………………そう』
『………………』
『………………』
『………………』
『………………ねえ、プロデューサー』
『………………何だ?』
『昔さ、全力で行かなければ後悔するって話をしたよね?』
『…………ああ、そんな話もしたな……』
『……私が思うにさ、今がそのときなんだと思う……全力で行くべき時……それにさ』
『…………凛?』
『……花火は夜空に大輪の花を咲かせて一瞬で見えなくなるから美しい』
『……凛!?お前何を言っている!?』
『……桜は満開に咲いて一瞬で散るからこそ美しい……そう思わない?プロデューサー』
そのとき凛の担当プロデューサーが見たものは、自分の命をわずか一瞬で燃やし尽くす壮絶な覚悟を固めた綺麗な笑みを浮かべる女の顔だった。

「……ああ、そうか。それでよかったんだ」

凛は自分の唇から声が漏れていることに気がつかなかった。
目の前には紳士がほとんど変わらないポーズで腰掛けたまま凛を見据えている。

「目標は定まったかね?」

問いかけてくる紳士に凛は笑顔でこう返した。

「ええ、ありがとうございます」
「もしよければ、その目標を聞かせてくれるかね?」

問いかけてきた紳士に凛は笑顔でこう返した。

「私は、結局前の世界では頂点に立つことはできませんでした。私の命は私が頂点に立つ時間を与えてくれませんでした。だから……」
「だから?」
「私は頂点に立ちます。そして彼女を……日高舞を超えます。それが私の目標です」

彼女の決意を紳士と店主、そして空に上がり始めた満月だけが見つめていた。

「……ふん、まあ悪くないのではないか?」
「そうだな。凛君、君の目標は果てしなく遠い。それでもやるんだね?」
「無論です。道は決まりました。後はそこを全力で進むだけです。障害があるなら粉砕して通ります。それぐらいしないと彼女は超えられない」

紳士は一つ大きく頷くと、おもむろに背広の内ポケットに手を入れた。

「困難な道を進む君に私からも一つ援助しよう。君、今週の日曜日の夕方から夜は暇かね?」

紳士は背広の内ポケットから二枚の紙片を取り出し、凛に差し出した。
一つは高級料亭の名刺大のチラシ、そしてもう一つは名刺だ。
名刺には『大日本帝国海軍 信濃空母戦闘群司令長官 海軍中将 東雲孝一』の文字が印字されている。
よく目を凝らして見ると名刺自体に微妙な凹凸がつけられている。

「一応予定は入っていませんけど……これは?」
「来て見てからのお楽しみさ。ただ、相当驚くと思うよ」
「?」
「おっと、もうこんな時間だ!君電車は大丈夫かね?」

その言葉に凛は店内の時計を見た。
時間はそろそろ八時を回ろうとしている。
往路にかかった時間は約三時間。
凛は紳士と店主に礼を言ってあわてて店を飛び出し、そして横須賀駅に向けて走り出した。


凛が飛び出していった喫茶店「fantasy party」。
かつてあの戦争で各種航空機34機を撃墜した撃墜王だった記憶を持つ店主は、同じくあの戦争で海上保安庁をまとめた海軍軍人だった前世の記憶を持つ紳士に話しかけた。

「それにしても、あんな少女まで転生者……いや、彼女の場合は憑依者ですか……」
「ああ、それにしても平行世界の自分に憑依するとはまた変わった経験だな」

かつて南雲と呼ばれた男は一つため息をついていった。

「彼女は夢幻会に入るのか否か、まあどちらにせよ彼女は応援したくなるな」
「そうですね」

紳士と店主は小さく笑いあった。






以上ここまで。
今回はキャラがぶれにぶれた気がする……。
本当に皆さんの反応が怖い……。

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最終更新:2014年08月27日 15:41