380. ひゅうが 2011/11/21(月) 13:04:16
※  以前ネタだけのせましたが、書いてくれる人がいない…なら自分で書けばいいじゃん!と思って書きました。続きませんw

提督たちの憂鬱ネタSS――「北米の凶鳥」

――西暦1943年5月  北米

そこは、北米大陸と呼ばれていた。
その町を所管する自治体がシカゴなのか、スプリングフィールドなのか、もしくはセントルイスなのか、それはこの際どうでもいい。

現在の住人は、この土地をカッヘンバーグと呼んでいた。
「かつて」存在したアメリカ合衆国の3分の1を占めるドイツ系住人たち・・・特に1世といわれるドイツ革命からの脱出者やポーランド領となっていた西プロイセンのかつての主たちからすれば「カッツェンブルン」となるだろう。

ミシシッピ川の東側という現状では地獄と同義の土地がおかしくなったのは、2週間ほど前のことになる。

「ふう・・・。」

マクシミリアン・フォン・グロスマイスター国防軍大尉は、連れあいが持ってきた日本製の煙草に火をつけた。
最近はZIPPOもメイドインジャパンが多いが、この何もかもがめちゃくちゃになってしまった大地ではそれがベストな選択に思われた。

「ヒコサカ博士。ここにあるのは、そんな大したものなのだろうか?」

その横で色々なメーターがついた機械――ガーガーいっているところをみるとガイガーカウンターのようなものらしい――をいじっていた小柄な東洋人は、ぴたりと動きを止めた。

「ええ。大したものです。大尉。『宇宙戦争』を読んだことは?」

「退廃文化とやらだから――ああ冗談だ。子供のころに一度。それに1932年にはドイツでもラジオドラマ放送がなされた。」

それなら話が早い。と、日本人物理学者である彦坂忠義博士は微笑する。

「アレが。もっといえば『三本脚(ドライベント)』があるのではないか、少なくともその可能性が高いと上は見ているのです。」


「そいつは面白い。」

グロスマイスターは、内心、だからからかとこの状況を納得した。
親衛隊を経由した総統閣下の極秘命令に従って、「ティゲル」戦闘団がかつてルイジアナと呼ばれた土地に呼ばれたのは、この2週間ほど前だった。
驚いたことに、そこで彼らを待っていたのは、冬戦争で名高い日本陸軍の「冬戦教」を中核とした日本陸軍の1個戦闘団だった。

はるばるパナマを越えて送り込まれてきた彼らは、97式戦車を上回る試作戦車やシコルスキー式ヘリコプターといった最新鋭装備で固め、ミシシッピ川を溯上できる「1000トン大発」という揚陸艇に彼らをいざなった。
奇妙なことに、彼らには、白衣を着た集団が伴われていた。

ドイツ側からは、カイザー・ウィルヘルム研究所のフリードリヒ・アイヒボルン教授ら。
日本側からはこの彦坂博士や驚いたことに旧合衆国側の科学者たちも混じっていた。
命令書にはひとこと、「彼らに従え」とあった。

「笑いごとではすまないのです。」

真剣な表情で彦坂博士は言った。

「1908年、シベリア上空で『彼ら』の母船が失われてもう35年。『彼ら』は焦っている。」

「まるで『彼ら』が誰か知っているようで――」


森の小道をかきわけて「そこ」に至ったグロスマイスターは、鍛え上げられた反射神経としては落第点の反応を示した。
そこにあったのは――

「『フッケバイン』・・・!」


――第2次世界大戦中、各国の空軍では未確認飛行物体の目撃が相次いだ。
何物かはまったく不明。英語では「フーファイター」。日本語では「幽霊戦闘機」。
しかし、人口に膾炙することでもっとも有名なものはドイツ語で凶鳥を意味する言葉であった。その名を「フッケバイン」。
1943年初頭、秩父山中で発生した事件に鑑み、緊張緩和中の日本帝国とドイツ第3帝国は秘密協定を締結した。
そして、北米大陸に進出した日本海軍のジェット戦闘機部隊は、その「フッケバイン」の撃墜に成功していたのである。
「それ」は、第1次大戦後北米に村ごと移住したドイツ人の多い地区、そして「アメリカ風邪」が猖獗を極める旧合衆国東部に墜落した――

はじめての日独合同調査団は、そこで何を見たのか。現在も機密解除がなされていないため詳細は「フッケバイン作戦」の名とともに謎に包まれている――

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最終更新:2012年01月01日 21:32