854 :yukikaze:2014/08/10(日) 01:08:28
両者ともに乙です。
ではこちらは影の薄いイギリスにスポットを当ててみようかと

  戦後夢幻会ネタSS――「落日の帝国 1945年」

ロンドンダウニング街にある首相官邸において、当代の宰相であるサー・ウィンストン・チャーチルは、口を逆Vの字に歪ませながら、右手にある報告書を睨んでいた。
元々チャーチルは、朝の定例報告に必ず悪いニュースを入れるよう厳命していた。
その理由は言うまでもないだろう。人間だれしも吉報は喜ぶが凶報は嫌うのである。
仮にも一国の指導者が吉報ばかり聞いては国を誤らせる元になる。
現に、吉報ばかり聞くことに耽溺したちょび髭の伍長の帝国は、今や灰燼に帰し、もうまもなく滅びを迎えることになるのは間違いなかった。
その点で言えば、チャーチルは一国の指導者としては及第点をつけられるであろう。
もっとも、凶報を聞く度量があることと、凶報を聞いて不機嫌になることは両立するものである点は報告者にとっては知りたくもない事実ではあったが。

「M。目覚まし代わりとしてはなかなかの報告書だ」

当人としては皮肉を利かせたつもりであろうが、報告書を持つ手がかすかに震えているのをMは見逃さなかった。
まあ震えるのは無理もなかった。自分も極秘で知らされた時は茫然としたものであった。

「落ちたものだよ。我が大英帝国も。戦場だけでもなく諜報でも負けるか」

誇り高きチャーチルにとっては我慢できるものではないだろう。
エリザベス女王がスペインに打ち勝って以来、諜報と海軍はイギリスのお家芸であった。
あのコルシカの成り上がり皇帝も、世間知らずのカイザーも、一時的には勝ちながらも遂にドーバーの白い崖を乗り越えることが出来なかった理由は、この2つで勝ち続けたからであった。
だが、大英帝国を大英帝国たらしめていたこの二つが敗れた時どうなるか。
問うも愚かであろう。

「で・・・国王陛下よりもスターリンに忠誠を誓っている者たちはどうしているのかね」
「普段通りです。現時点においては気付いてはおりません」
「結構。狐はすばしっこいからね。確実に網にかけないといけない」
「わかっております」

これ程までの大失態をよりにもよって他国から指摘されたのだから、Mとしても手抜かりはなかった。
大英帝国に赤っ恥をかかせた以上、この愚か者たちを許すつもりはさらさらなかった。
長きにわたって祖国に不利益をもたらしたのだ。きっちりツケは取り立てるつもりだ。

855 :yukikaze:2014/08/10(日) 01:09:19
「しかし、海軍はともかく諜報部門については、我々の先達たちは仕事をしなかったように思えるのだが。自学自習でもしたのかね?」
「去年刑死した、ソ連のスパイから手に入れたと言っておりましたが」

そう言いながらも、Mの口調は、その理由を全く信じていない音があった。
確かにゾルゲは優秀なスパイであったかもしれないが、そうであるが故に、自分の任務に関係する情報以外の情報は与えられないのが通例である。
諜報の世界において重要なのは『情報のコントロール』であるのだから、駒でしかない諜報員に、ありとあらゆる情報など渡すはずがないのだ。
理由としてはかなり下手くそな内容である。MI6ならば一分と持たずにクビであろう。

だが・・・と、Mは思う。
この程度の下手な話しか作れない人間が、何故我が国の売国奴を特定できたのかという事である。
正直、あの売国奴達は、これまで自分が見てもそういうそぶりを見せないほど狡猾であった。
何気ない風を装って、ばれても惜しくない情報を彼らに渡し、そしてそれがソ連の手に渡った事が確認されて、初めて確信を得た程である。
事実が確認された後、Mが感じた違和感はまさしくそれであった。

「案外、嘘がつけない男なのかもしれないぞ」

含み笑いをしながら、Mの疑問に答えるチャーチル。

「それは、諜報員向きではありませんな」

Mもまた苦笑をする。もっとも、その諜報員向きでない男に、大英帝国は救われたのだから何とも皮肉なことではあるが。

「しかし・・・アジアの植民地を奪った代金としては、割に合わんな」
「安く見られたものです。我が祖国も」

そう言いながらも、彼らは祖国の凋落を認めざるを得なかった。
1個軍団を欠いた状態ではじめられたビルマ奪還作戦。
強固な防衛ラインに手こずったイギリス陸軍は、第15軍に属する1個師団を、海路アキャブに上陸させて、ビルマ方面軍の防衛ラインを壊滅させようとしたが、アキャブ沖海戦において輸送船団は半壊し、ビルマ奪還の見通しは大規模な増援のない限り不可能となっていた。
もはや大英帝国が、アジアにおいて発言権を得る可能性は消え去ったと言ってよかった。

「そうか・・・そういうことか・・・」

何かに気づいたように、チャーチルは虚空を見上げ、そして笑い出した。
唖然とするMを視界に入れながら、チャーチルは笑わざるを得なかった。それしか出来なかった。
要するに、大日本帝国において、大英帝国の売国奴を暴き立てた男の痛烈なメッセージなのだ。

『落日の帝国にはこの程度の理由で十分』

侮られている。馬鹿にされている。
だが、そう見られても仕方がない程、大英帝国は凋落してしまった。
単独で一度たりとも大日本帝国に勝利することがかなわなかったのだから。
そしてこれは警告でもあるのだろう。日本人はお前たちに負けたのではないという警告。
仮に、戦後に報復を行ったとしたら、それこそ痛烈なしっぺ返しが来るであろう。

「ご苦労だった、M。職務に戻りたまえ」

そういうチャーチルの表情は、これまでの自信に満ち溢れたものではなく、没落を嘆く老騎士のような悲しみの表情があった。
最終更新:2020年05月04日 14:57