674 :ひゅうが:2014/08/16(土) 23:25:16


戦後夢幻会ネタSS――その2.1「想定状況『暴風』」



――「1962年9月1日。
ソヴィエト社会主義共和国連邦(以下ソ連)は、ドイツ民主共和国(以下東ドイツ)との間で単独平和条約を締結。
占領状態の解消を宣言すると同時に、ドイツ連邦共和国(以下西ドイツ)を自称する分離独立勢力とその後ろ盾への対処を称して両国間の安全保障条約を締結。
同時に、ポツダム合意に基づき、西ベルリンという喉元に突き刺さった刺を抜くべく軍事的圧力をかけはじめた。
占領状態の解消により分割占領されていたベルリンは統一されるという合意条件を確固たるものとするためである。
これは、キューバにおいて発生した反バチスタ政権派の蜂起を社会主義革命に転化するという目標が失敗に終わったソ連指導者の権威回復を目指す瀬戸際外交であった。

これに対し北大西洋条約機構(NATO)諸国およびアメリカ合衆国は猛反発。
9月15日には東西両ドイツ間の非公式協議が妥結しかけるものの、西ドイツがオーデル・ナイセ線を承認する見通しと報道されたことからプロイセン回復を掲げる過激派の爆弾テロによって最悪の形で両国首脳が爆殺されることによって緊張は最高度に達した。
9月20日。
低気圧の到来を待ってNATO軍指揮官は秘密裏の動員を開始。
対するソ連側もワルシャワ条約機構(WTO)秘密会の決定により動員が開始される。
この動きはNATO軍も把握していたものの、WTO軍の手によりヨーロッパに配されていた高性能地対空ミサイルによって秘密偵察機を次々に撃ち落とされる結果に終わっていた。
対するWTO軍はこの隙に、完成状態にあった衛星打ち上げロケットR-7(スプートニクロケット)の即応生産体制へ移行。
1ヶ月に6基もの打ち上げを敢行することにより、赤外線反応型早期警戒衛星を軌道へと乗せる。
その配置は、常に北米大陸と西ヨーロッパに1基の衛星が探知圏内に入る軌道を描いていたがその寿命は2年以内である。
9月28日。
ソ連指導部は開戦を決意。
WTO軍総指揮官に全軍の統合指揮権をゆだねる。

「想定『北の暴風』演習に従い、全軍準備を開始せよ。突発事態に対する戦術核兵器による反撃は自由である。」

WTO軍指揮官はこの恐るべき通達の後、東西両ドイツ間の国境を閉鎖。
東ドイツ軍による重火器までも用いた強力な国境閉鎖に加え、西ベルリンから脱出を図る市民に対して非致死性の化学兵器を用いた「処理」を実施。
また、封鎖状態の西ベルリン連絡路の突破を図った暴徒に対しては容赦ない発砲でこれを封殺した。
NATO軍指揮官はこれに対して全軍に非常警戒態勢を発令。
対するWTO軍は想定状況に基づき、WTO軍全軍を再編成。
ポーランド人民軍2機械化軍で構成される「バルト海軍集団」、東ドイツ駐留ソ連軍のうち4個機械化軍と2個戦車軍に加え東ドイツ国家人民軍1個機械化軍と1個戦車軍で構成される「第1総軍」、チェコスロバキア駐留ソ連軍2個機械化軍と1個戦車軍にチャコスロバキア1個機械化軍で構成される「ライン軍集団」、予備隊としてポーランド駐留ソ連軍2個機械化軍と1個戦車軍ならびにポーランド人民軍1個戦車軍で構成された「第2総軍」、ソ連1個機械化軍と1個戦車軍で構成された「アルプス軍集団」へと戦力単位を分割した。
同時に前線への戦術核兵器2000発余の配備と戦略爆撃機群の空中待機状態へと移行する。
軍事独裁国家らしい、鮮やかな動員完了であった。
総戦力は合計120個師団。
戦車3万両、装甲戦闘車両3万5千両、野砲1万門を保有し、その中には野戦用戦術核用ロケット500基が含まれていた。

対するNATO軍指揮官は、本次危機が西欧のみに終わるか極東も含めた全面戦争となるか判断をつけかね、極東方面において対米同盟諸国の動員開始を下命し対地攻撃艦隊や戦略爆撃部隊を即応待機状態に置くにとどめる。
伝統的な海主陸従の方針に則り、速やかな対処が完了した極東方面に対し、西欧においては混乱が広がっていた。

「米国によるNATOを用いた核戦争の危機はこれを許容しない。」

NATOをボイコットしつつもその防衛体制に依存しているフランスのド・ゴール大統領による反対が理由であった。
また、編成されたばかりの西ドイツ連邦軍とその設立に最後まで反対したフランス軍の間には一触即発の状況が続いておりアメリカ軍による焦りを生むことになる。

「ソ連軍をたたきつぶすのは今しかない。このままでは西ベルリンが失われてしまう。」

米国首脳陣は9月30日をもって開戦を決断。WTO軍に対する極秘裏の先制攻撃を決意し準備を開始する。
しかしその時点でソ連首脳陣は極秘裏にソ連各地に建設されていたシェルター群や空中退避用の航空機が待機する空軍基地へと移動を完了していた。

675 :ひゅうが:2014/08/16(土) 23:26:38
10月3日、米ソ首脳間での西ベルリン封鎖解除を目指す交渉は当然のことながら決裂。
10月8日、NATO軍は西ベルリンの封鎖を独力で解除すると宣言し西ドイツ駐留軍による進軍を開始。
西ベルリンに対する空挺降下と物資投下をWTO軍が武力によって排除したことをもって戦争状態に突入したものと判断する。
10月8日午前10時、NATO軍は後方の動員完了を待たずに対ソ先制攻撃計画に基づきソ連および東欧諸国に対して先制核攻撃を実施した。


「初動、ソ連軍は目標を探知。」

WTO軍は早期警戒衛星によって赤外線量の激増を探知し、海上の情報収集艦よりミサイル発射情報を感知。
その総数は、米本土よりのICBM(大陸間弾道ミサイル)60発、英国・トルコ・イタリアからのIRBM(中距離弾道ミサイル)260発。
空中を飛来するB-47ストラトジェット1200機あまり。

「全軍へ通達。『状況開始』。ラインの城壁を押し破れ。」

空中退避済みのWTO軍司令部より進撃命令が下り、二十分後には消滅が確定しているレニングラード近郊の発射台から3発のR-7大陸間弾道ミサイルが50メガトン級のRDS-220改水素爆弾を搭載米本土めがけて発射された。
同時に、300キロあまりの長さの戦線の向こうから戦術核ロケット弾842発が西ドイツ領内の戦略目標および政府機能に対し使用された。
待機中の戦略爆撃機部隊のうち450機あまりは中立国上空を強行突破し北大西洋から米西海岸へと「ダッシュ」をかける。

10分後、東ドイツ国家人民軍中央軍団はベルリンごと50発あまりのオネスト・ジョン戦術核ミサイルによって蒸発。
20分後、ヨーロッパ・ロシア領内の戦略目標260カ所に核弾頭が落着。ソ連防空司令部は全面報復命令を下命して蒸発。この時点で戦術核の自由使用権限がWTO指揮下の全部隊に委譲された。
30分後、米本土の上空10万メートルにおいて3発の超大出力水爆が炸裂。
北米大陸東海岸の1500キロあまりにわたって強力なEMP(電磁パルス)によって通信がマヒし、未だに空中にあった130機あまりの民間機が機位を失うなど防空体制が混乱し始める。
バルト海や黒海上空からヨーロッパ・ロシアを目指すB-47ストラトジェットの大群は、ソ連の経戦能力をたたきつぶすべく進撃していたが、ここで誤算が生じる。
かつてプロイセンと呼ばれた現在のカリーニングラード州、そしてウクライナのモルドヴァ地方から数百発の対空ミサイルが放たれたのだ。
搭載されていたのは通常弾頭に非ず。
命中精度を高められないWTO側は、弾頭に10キロトン級弾頭を採用することでB-47が編隊を組んでいる中で効果的に「殲滅」することに成功したのだ。
高高度を押し渡り数によって防空網を突破する戦略は、原子の炎によって時代遅れとなっていた。

「戦略爆撃機部隊、損耗80パーセント以上。防空戦闘機隊が接敵。」

その隙をつき、低空飛行でレーダーの網をかいくぐり大西洋中央上空からカナダへと侵入することに成功したソ連戦略爆撃機部隊は五大湖のはるか北方から核弾頭搭載巡航ミサイル900発あまりを合衆国内の戦略目標へとたたき込んだ。

「ワシントンD.C、ノーフォーク、フィラデルフィアに各3発直撃。致死圏内の75パーセントが即死と判定。」

一方、西ドイツ領内に炸裂した800発あまりの戦術核弾頭は首都ボンごと政府中枢を蒸発させ、NATO軍の武器弾薬類を根こそぎ吹き飛ばしていた。
消滅した拠点のうち致命的であったのがレーダーサイトの9割以上と、防衛用に備蓄していた戦術核兵器保管庫が失われたことだった。
指揮命令系統が消滅したはずのWTO側のこの攻撃はNATO側の想定外であったのだ。
結果、NATO軍はボン前面で展開するはずの戦術核を用いた焦土作戦用の核戦力の実に75パーセントを喪失。
NATO軍指揮官は攻勢防御による事態の打開を図った。

モスクワの消滅後も、WTO軍は統一指揮を継続し、混乱状態に陥っていたベルリン方面のNATO軍へと攻勢正面を定めて進撃する方針をとった。
沿海地方から米機動部隊の支援を得て東ドイツ領内へとなだれ込む米英のライン軍団に対してはバルト軍集団が金床の役割を果たすが、防戦中の東独駐留ソ連軍主力に対し戦術核が使用され、北海からの艦上機による爆撃で第一次防衛線は崩壊。
150キロあまりにわたり東独領内は蹂躙され始める。
だが、オーデル・ナイセ線から逆進した火力投射部隊は徹底した砲兵の運用によりポーランド人民軍とともに強固な第二次防衛線を構築。
この間に、壊滅する前のカリーニングラード州から放たれていたソ連潜水艦部隊が北海洋上の米機動部隊に殺到。
対地支援攻撃能力を一時的に奪っていく。

676 :ひゅうが:2014/08/16(土) 23:28:00

10月10日、この時点で少なくとも500万人以上の西ドイツ国民が即死あるいは死に瀕しつつあり、それに倍する人々がWTO軍の侵攻から逃れるべく脱出を開始していた。
だが、政府中枢に加えて行政組織も文字通り消滅していたことから西ドイツ領内は大混乱に陥りつつあった。

「西ドイツ領内のNATO軍は装備の60パーセントを喪失。死傷率は40パーセント以上。」

加えて、意図的なサボタージュや破壊工作によって指揮命令系統は寸断。
この時点をもって西ドイツ軍は組織的抵抗能力を喪失していた。
そこへ襲いかかったのが第1総軍だった。
戦術核を容赦なく使用し、しかる後に縦深戦術ドクトリンに基づき電撃的な侵攻を継続することで西ドイツ軍残存戦力とNATO軍の側面をついた第1総軍は、撃破した敵戦力をそのままに遮二無二前進を継続。
このとき比較的健在であった北海上の米第5艦隊主力や第2艦隊主力はもはやどこに敵がいるのか味方がいるのか把握しきることができなくなっていた。
加えて、膨大な数の難民の群れはNATO軍による戦術核攻撃の有効性を大いに損ね、対するWTO軍はこれらを「轢き殺しつつ」廃墟と化した西ドイツ首都ボンへと迫っていた。

「遺憾ながら防衛戦を主とせざるを得ない。オーデル・ナイセ線からチェコスロバキアのズデーデン山地に対し海上から『戦略核攻撃』を実施する。」

NATO軍指揮官は、司令部機能をブリュッセルからフランスのブレスト国連軍港へと移動させ、そう決断した。
直ちに12隻もの空母群から放たれた攻撃機は、我が物顔で飛び回るソ連軍の防空戦闘機部隊の迎撃網を食い破り、58発の2メガトン級戦略核弾頭を投下。
1時間あたり100「シーベルト」以上の放射能汚染地帯を作り出し、ヨーロッパ・ロシアからの増援の遮断にかかった。
同時に、空母機動部隊による対地航空支援攻撃によってWTO軍第2総軍に対し重点攻撃を実施する。
これは比較的この地方への戦術核攻撃が手薄であったためで、難民との分別がしやすいがために選ばれたに過ぎない。
これによって大きな損害を出していたが、それでも彼らは前進をやめなかった。
なぜなら、初撃とこれまでの進撃によってNATO軍に対し大量の戦術核を投射していた第1総軍とはちがい「後手からの一撃」を行うのが第2総軍の役目だったためである。

10月12日、開戦5日目においてWTO第1総軍は西ドイツ首都ボンおよびデュッセルドルフを占領。
ライン川西岸に橋頭堡を築いた。
この時点で1000万ともいわれる難民が周囲にはひしめいており、政治的にも軍事的にもこの時点でのNATO側からの核攻撃は効果を疑問視されていた。
一方、双方が本土に甚大な被害を受けていた米ソは互いにミサイルを撃ちつくし、ことに米軍は大量の戦略爆撃機を失っていたために手詰まりとなっていた。

「挽きつぶせ。抵抗するなら丸ごと蒸発させろ。あとは自然に処理できる。」

WTO軍指揮官の命令によってライン川沿岸に残存していた諸都市は次々に残存戦力ごと核攻撃を受けてその機能を喪失。
放射能汚染の急性障害によって「無力化」された難民たちの上に、無人の「道路」がひらけた。
WTO軍指揮官はここでNATO軍主力との対決を開始する。
海上からの航空支援攻撃は一定の効果を上げていたものの、第1次世界大戦時の英軍をも上回る大量の砲火力を集中し、容赦なく戦術核を用いるWTO軍に対し、数的に劣るNATO軍は次第に劣勢となりついに第2総軍とアルプス軍集団の到着により劣勢となった。


10月10日、第2総軍はNATO軍主力に対し50発の戦術核の集中使用により突破口を構築。
これによりライン川に構築されていたNATO軍防衛線は圧力に耐えきれずに150キロあまりにわたって崩壊した。
デンマーク首都コペンハーゲンに対する戦略核攻撃によってバルト海へと侵入を図るNATO軍艦隊ごとこれを蒸発させたWTO軍はバルト海艦隊および海軍歩兵部隊によって上陸作戦を実施。
ハンブルクに地対地核ロケット弾を揚陸し、米英のライン軍団の後方を遮断した。
海上からの反撃を図るNATO軍部隊だったがもはや時すでに遅し。
怖じ気づいたインドおよび中国が中立宣言を実施するに及び極東および中央アジア方面から転出された航空戦力の手によって海上の空母機動部隊は脅威にさらされはじめた。
もはや対地支援攻撃が実施できるだけの余裕は失われつつあった。
さらには地上軍は、これまでの核攻撃から逃れるために散開と集合を繰り返し続けたために前線において燃料に著しい不足をきたすようになっていた。
少なくない数が残存していた西ドイツ軍と、西ドイツ駐留のフランス軍、オランダ軍、英国軍との連絡不能状態もまた混乱に拍車をかけた。

677 :ひゅうが:2014/08/16(土) 23:28:36

10月13日、崩壊したライン軍団を挽きつぶしたバルト方面軍が低地地方に到着。
WTO軍司令官は対仏全面侵攻によるNATO軍残敵掃討を下命。
ライン川西岸橋頭堡から大量の戦術核兵器を投射しつつ前進を開始した。
NATO軍はフランス領内における焦土作戦を実施しようとしたが、ド・ゴール大統領はこれを全面的に拒否。
もはや100個師団対20個師団程度という絶望的な戦力差に開いていたWTO軍との戦力比は質以上に顕著な結果をもたらした。
すなわち、NATO軍残存戦力の「殲滅」である。
10月13日から15日にかけての掃討戦においてNATO軍残存戦力はことごとくが挽きつぶされた。

「燃やせ。」

10月16日、第1総軍はNATO本部ごとベルギー首都ブリュッセルを放射能まみれの道路へと変え、そのまま猛進しカレーへ到達。
第2総軍は崩壊したNATO軍主力の横を「すり抜け」てパリへと突進。
アルプス軍集団はオーストリアへ圧力をかけつつストラスブールからリヨン、そして地中海へめがけて突進していた。
ライン軍集団はライン川で足止めを食らった西ドイツ軍残存戦力を丁寧に挽きつぶし、現地の治安を「強制的に」維持していた。
何しろあいてはドイツ人なのだ。遠慮するなど神が許すはずもない。
この過程でミュンヘンが消え、フランクフルトが焼き尽くされたが些細なことだろう。

10月18日。パリが陥落。
空中のソ連首脳陣は高らかに勝利宣言を行い、こう言い放った。

「カザフスタン領内には180発のR-7戦略核ミサイルが待機中である。もしも停戦講和に応じないなら、よろしい。君たちのような病原菌を地球から排除してくれよう。」

アメリカ政府はこれに激昂するも、イギリスはついに屈服。
日本は一人気を吐いたが、アメリカ政府も停戦交渉の席に着いた。
10月20日、ブレストのNATO軍臨時司令部は陥落し、ユーラシア大陸はWTO軍の前面占領下に入った。
この時点でイタリア・フランス・スペイン・トルコには社会主義政権が誕生。
行きがけの駄賃と政府が消滅していた中国も迅速にソ連軍の占領下に入りつつあり、ソ連は開戦前に比べて国土を3倍に拡張。
甚大な被害を受けていたアメリカの赤化と日本の併合をもって地球における革命は成功するに至り、人類は永遠の繁栄を約束されたのであった。」

678 :ひゅうが:2014/08/16(土) 23:29:11

「こんな…」

目の前では星をいくつもつけた青い目の士官たちがうなっている。

「どうしました?」

林敬三大将はにこやかな笑みを浮かべながらエスプレッソをすすった。
うまいな。
しかし、良い子ぶる連中がこうも不愉快だとは。

「何人死んだと…」

かすれた声で若い士官が林にそれだけいった。

「それが何か?これは戦争ですぞ?」

そういえば、こいつはこちらを思い切り嘲笑していたっけ。
ああ確かに我が国は属国のようなものだろう。だが、世界の半分を手にしているというのはどういうことなのか、オモチャで遊ぶ前に思い知らせなければいけない。
我々のためにも。

「まぁ…納得がいかないのはわかりますよ。」

林は、隣で苦笑しかしていない「嶋田さん」…阿部俊雄大将と視線をかわした。
今回の米国訪問。
それにあたってウェストポイント(陸軍士官学校)で演習をやってみてほしいという依頼を受けた林は当初は固持していた。
だが、あのパットン元帥からの直々の要望に加え、新世代の米軍士官や空軍の「核による一撃講和論」を掣肘すべきという夢幻会(吉田機関)の意見もあってただでさえ胃の痛い思いをしていた林(東条)は吹っ切れた。
たまたま、冷戦時の知識を持っていた阿部(嶋田)の協力を得、さらには情報機関から入ってきた「どこが出所だよ?!」といいたくなるような情報を参考にした作戦構想の推察は、二人そろって頭を抱えたくなるようなものだった。

ああ、畜生め。
核さえあれば何でも出来ると考えている連中はこれだから――
まだソ連軍の方がアレをうまく使っているぞ。
まったくどいつもこいつも。

――あらかじめ言っておくが、林はいらだっていた。
国会と海軍大拡張を潰す折衝で死にかけていた阿部が同情した吉田茂のはからいで休暇を得られたのに対し、空気を読まない官僚どもの策動を潰していた林はこの数週間修羅場を生きていたのだ。
しかも、太平洋戦争時と違って現代では2日もしないうちに米国へ渡れてしまう。
休めるわけもなかった。

だから彼は言ってやった。


「まだ『たった7000万が死んだ』だけですからね。さぁ続きをやりましょう。次はどこです?英国ですか?日本ですか?ああ、それともアラスカがよろしい?」

キッシンジャーという名のホワイトハウスから来ていた官僚がごくりとつばを飲み込むほかは誰も声を上げない。
テラーという名の統合参謀本部長も、ジョンソンという名の副大統領も。


「何を惚けているんです? それくらいあったら核待避壕へ駆け込めますよ。
さぁ頭を働かせろ。反撃手段を考えろ。さぁさぁさぁ!」




マメに日記をつけていたある士官はこう書いている――「悪夢が極東からやってきた」。
最終更新:2014年09月26日 03:45