421 :yukikaze:2014/09/18(木) 01:28:40
何とか第四幕を書き終わりました。やや短いですがお許しを。
なお、今回の執筆に際しては、ひゅうが氏のご助言によって大きく助けられました。ひゅうが氏に改めてお礼申し上げます。

  戦後夢幻会ネタSS――前史「栄光ある敗北」

4 ラストキャンペーン

1945年4月13日。沖縄は鉄の暴風に襲われることになる。
正規空母10隻。軽空母5隻からなる空母機動艦隊から放たれた猛禽達は、嘉手納にある航空部隊を瞬く間に殲滅すると、重厚な布陣を崩すことなく、翌日には守備の薄い本島中西部に対し、陸軍の第7・第96歩兵師団と第1・第6海兵師団による上陸を開始した。
これ程素早い展開が出来たのは、日本軍がその3日前から開始された硫黄島の上陸作戦から、アメリカ軍の真の狙いはサイパンであると誤認し、索敵がやや疎かであった事や、沖縄の32軍がこれまでの戦訓から水際防御作戦を完全に放棄し、宜野湾から首里までの間に何重もの複合陣地を構築。徹底的な持久戦をもって敵の損耗を図る方針を取った事もあるが、同時にアメリカ軍の戦力が、隔絶したものであったことも否めない。
それを示すものとして、アメリカ軍襲来を受けて急遽出撃した台湾の第八航空師団は、その濃密な防空網と火力によって攻撃隊の過半を失い、戦力としての価値は大幅に下落。海軍の第二航空艦隊も同じような惨状を表すことになった。
この状況に、帝都の参謀本部や軍令部の面々は顔色を失う者や、彼らのあっけない敗北に罵り声を挙げる者もいたとされるが、現場にてアメリカ海軍の強大さを知っている者からすれば、その反応は噴飯ものと言えるものであった。
何しろ彼らはアメリカの底知れぬ物量と、そして彼らが戦うたびに学習する軍隊であることをいやと言うほど味わっているのである。
連合艦隊をワンセット程海底に叩き込んでやったほどの打撃を与えたにもかかわらず、沖縄にまで追い込んでいる連中を「贅沢でだらしない」とか「惰弱」などという根拠のない言葉で片付けるほど彼らは愚かではなかった。
史上空前の被害をアメリカ海軍に与え続けたが故に、彼らはアメリカの強さをこれ以上ない程理解していたのである。

ではこの強大なアメリカ海軍を理解している男たちは、如何なる術をもって対抗しようとしたのか。結論から言うと取るべき手段は限られていた。
未だ有力な水上艦隊は残っていたものの、空母機動艦隊の差は歴然としており、それをカバーすべき基地航空艦隊も、短期間の消耗戦の末磨り潰されるのがオチであった。
つまり、水上艦隊が沖縄に殴り込みに行ったとしても、圧倒的な航空戦力の前に、基地航空隊の傘は破られ、敵に痛撃を与える筈の空母機動艦隊は叩きのめされ、ボロボロになった水上艦隊は、レイテの復讐に燃えているであろう敵水上艦隊に止めを刺されるという可能性が極めて高かった。
一部には、スリガオ海峡で無双してのけた武蔵の活躍を基準に考えるべきと主張する声もあったがあれはハルゼーが無理に無理を重ねて進撃した結果、ほぼすべての艦が機関に不調を覚えたり、燃料不足から重心が上がってしまって、水線下の被弾に弱かったという、僥倖に近い要因が大きいのである。
楽観的な予想で戦争を行えばどうなるかなど、誰に説明されるまでもなかった。

422 :yukikaze:2014/09/18(木) 01:29:13
それでも彼らは、空母と基地航空隊の傘の下、水上艦隊が沖縄まで突進し、沖縄にたむろする敵侵攻船団を自らの砲力を以て撃破する方針を固めていた。
成功する可能性が低い事は分かっていたが、仮に沖縄がこのまま陥落すれば、それこそ連合艦隊は戦わずして消滅するのみである。
むざむざと港で朽ち果てるよりも、大損害を受けること覚悟の上で、沖縄県民を守るために出撃する方が遥かに海軍としての誓いを果たすものであると考えたのである。
これまでの言動や行動を見ると、多分に建前的な匂いがするのだが、それでも最後の最後に「国民を守る」ことを作戦目的として掲げた所に、救いがあったと言えるであろう。

そして彼らのこうした行動に、八百万の神々も少しばかりご利益を与えようと思ったのかもしれない。
台風と呼ぶには勢力は弱いが、しかし通常の低気圧としてはやや勢力の強いそれが、四国沖から高気圧に押される形で南下し、沖縄の海域に襲来したのが、連合艦隊が悲壮な決意のもと抜錨した4月15日。
後に『カミカゼ』と呼ばれることになる、この低気圧の影響は、両軍が予想もしなかった事態を引き起こすことになる。

何故か? それは両軍ともにこの低気圧の影響を見誤っていたことになる。
沖縄沖海戦の渦中の最中であったがためか、日米両軍ともこの低気圧の勢力を正確に記録したものは残っていないのだが、両軍のデータから判断すると、この低気圧は当初は幾分活動の活発な低気圧であったことは間違いがなかった。
アメリカ海軍は同低気圧が接近しても作戦に支障はないと判断し、更に4月16日には九州から沖縄へ向けて進撃してくることが確実な日本海軍を要撃するべく、4個任務部隊の内、1個任務部隊を総予備として宜野湾海域に置くと、残り3個任務部隊(正規空母8隻、軽空母4隻基幹)及び沖縄北部で上陸擁護をしていたイギリス太平洋艦隊と共に北上を開始したのだが、彼らの誤算はここから始まった。

当初、作戦に支障をきたさないと判断していたこの低気圧は、彼らの予想を嘲笑うかのように急速に勢力を発達し、遂には台風に近い程の猛烈な風と雨を伴った状態で、アメリカ艦隊に直撃することになる。
後の世で言う所の『爆弾低気圧』であった訳だが、更に不運だったのが、当時のアメリカ海軍は台風のメカニズムに関するデータを蓄積しておらず、予想針路を検討した上で低気圧の南側に廻りこむよう指示し、全艦隊を南東方向に向かわせたことで、最大で波高10mに達する大波が断続的に空母機動艦隊を襲うという悪夢の展開に陥っていた。
ただでさえアメリカ海軍の空母は、それほど荒天での耐久性に優れているとはいえない代物だったのだが、これまでの戦訓から対空兵装を大量に搭載したことにより、艦の重心が上がって復元性の悪化も引き起こしていたのである。
全乗組員の必死の努力によって、艦の接触事故といったことは避けられたものの、一夜明けて彼らの目の前にあった惨上は目を覆わんばかりの物であった。

まず出撃していた8隻の正規空母の内、バンガーヒルとフランクリンの前部飛行甲板は見事なまでに圧潰しており、航空機発着艦能力に多大な支障をきたすことになった。
そして他の艦も舷側エレベーターの不調や、備え付けていた対空火器の破損などの被害が続々と出たのだが、それ以上に頭を悩ませたのが、格納庫に収納が遅れてしまった、露天係止していた艦載機や大波に翻弄された事で、固定索が緩んで、他の機体や格納庫に激突した機体など、合わせて170機近い艦載機を、決戦の前に失ったことである。
それでもまだ艦載機としては700機以上の戦力を有しており、連合艦隊を圧殺するには十分な戦力を有していたのだが、マケインは万が一のことを考えて、2個任務部隊からアイオワ級4隻を主力とする高速戦艦部隊を臨時編成すると共に、被害を受けたバンガーヒルとフランクリンを下げ、総予備にしていた1個任務部隊に合流を命じた。しかしバンガーヒルとフランクリンの搭載機を他艦に移送するのに予想以上に時間がかかり、空母機動艦隊が再び行動を移すのに手間取ることになる。
そしてこの手間取りが、日本海軍に付けいる隙を与えることになる。

1945年4月16日午前11時30分。
アメリカ海軍の再編成の遅れに苛立ちを募らせていたイギリス海軍太平洋艦隊に対し、日本海軍第3艦隊が攻撃を開始した時刻をもって、沖縄沖海戦が本格的に開始されたと、戦史に記されることになる。
最終更新:2020年05月04日 14:46