9 :Monolith兵:2014/07/22(火) 22:50:06
ネタSS「
憂鬱日本欧州大戦 -勝利への遠い道-」
欧州戦線で日英仏独の艦隊がソ連の軍港に殴り込みをかける算段をしている頃、日本にもソ連に対して攻勢するように英仏独から要請が来ていた。
欧州では、ソ連軍の猛攻によりマンネルハイム線が崩壊。VKT防衛線まで戦線が後退していた。ドイツはソ連との戦争が始まりフィンランドへ戦力を割けなかった。
フランスは内戦状態の上に、パリに大勢の官僚が残されたために政府や群中央の機能が大幅に低下しており、ドイツ同様フィンランドへの本格的な部隊派遣は不可能だった。
イギリスは、乾いた雑巾を絞るかのように国内のなけなしの部隊や航空機をフィンランドへ派遣していたが、その結果予備戦力が底をつきかけていた。
一応、英仏独共に100万単位で動員出来ていたが、肝心の兵器の生産が全く追いついていなかったのだ。特に重火器の生産が消耗に追いついていなかった。ポーランド戦で重火器の多くと装備の優良な部隊を失ったのと、世界恐慌時に日本(主に辻)が毟り取ったのが響いていた。
そのような状況から、欧州側は日本に極東で動くように働きかけていた。
「だからと言って、我が国は
アメリカとも対峙する必要があり、ソ連への攻撃に使える部隊が少ない。それを理解していただきたい。」
「解っています。アメリカとは我が国から話を付けています。
それに、現在のアメリカ大統領は連合国側について暴利を貪りたいと考えているようです。そこをついてアメリカを牽制する予定です。
それから、イギリスは満州にビルマやマレーから部隊を派遣します。これらの部隊は軽武装ですが、アメリカへの牽制には十分使えるでしょう。」
「我が国もインドシナから部隊を派遣する。我が国が体制を整えるまでの間、なんとか極東にソ連の意識を向けさせて欲しい。」
近衛はイギリス駐日大使やフランス駐日大使、ドイツ駐日大使と首相官邸で会談をしていた。
英仏独は、極東で日本がソ連に攻勢を仕掛ける事を要請してきた。英仏はフィンランドでの劣勢を挽回するために、ソ連の意識を極東に向けさせたいと思っていた。
この時期のフランスは、パリで戦闘を行いながらフィンランドでも戦うという、厳しい状況であった。その上に、フィンランドへの補給はだんだん細くなり、継戦能力が低下していた。国内の混乱を鎮めるには、まずパリを取り戻した上で、生産計画や兵站や派遣計画、更には鉄道の運行計画なども作り直さなければならず、それにかかる時間は短くても4ヶ月だろうと見積もられていた。
10 :Monolith兵:2014/07/22(火) 22:52:40
「どうかね?」
判断に困った近衛は同席していた永田陸軍大臣に尋ねた。
「規模によっては可能です。陸軍としては10個師団は欲しいところですが。」
可能という言葉を聞いた大使たちは喜んだが、10個師団という言葉が出た途端表情が固まった。
「そ、それはいくらなんでも・・・。」
フランス大使が情けない声をあげた。実は、英仏共に出せる戦力はそれほど多くないのだ。イギリスはビルマとマレーから合計6個師団を、フランスは仏印から1個旅団を出すつもりだった。
イギリスは、世界中の植民地から装備が優良な部隊を根こそぎ欧州に移動させていた。その為植民地には重火器の乏しい軽歩兵師団や警備部隊ばかりしか残っていなかった。
更にそういった部隊も兵器の生産に合わせて欧州へと引き抜かれていき、今や2戦級3戦級の部隊ばかりが少数しか残っていなかったのだ。
そしてフランスはイギリス以上に状況は厳しかった。アフリカやシリアから植民地兵部隊を欧州へ送っているものの、その兵站は厳しかった。その上に自国の兵器生産が低調であり、フィンランドやドイツに戦力を送るのみならず、国境付近に部隊を集結しつつあるイタリアへも対処せねばなら無かったからだ。
そして、仏印ではタイが不穏な動きを見せている上に、ホーチミン率いるベトミンが武装蜂起しており、満州に部隊を派遣する事は難しかった。イギリスに尻を蹴飛ばされてようやく1個旅団を搾り出せたが、その為に蜂起を鎮圧するのに梃子摺る事になった。後に日本の仲介でタイとの緊張は緩和されたために、仏印軍はゲリラ戦で戦うベトミンと熾烈な戦闘が行われる事になるのだが、ここでは割愛する。
「10個師団あればソ連に攻め込めるのですね?間違いありませんか?」
「攻め込んで見せます。そして、我が軍の名誉にかけて結果を出して見せます。」
イギリス大使の言葉に永田は力強く答えた。
「よろしい。では10個師団用意しましょう。」
永田の言葉に納得したのか、イギリス大使は10個師団を用意すると確約した。
こうして、日本は極東で攻勢の準備をする事になった。
11 :Monolith兵:2014/07/22(火) 22:53:48
1941年2月下旬、アメリカのホワイトハウスを駐米イギリス大使が訪問した。訪問目的は、アメリカがしつこく迫ってきている物資や兵器の発注についてだった。
そしてイギリス大使はウィルキー大統領に対して、イギリスは物資や兵器を条件付で発注したい旨を伝えた。その言葉にウォレス大統領は一瞬驚いた後満面の笑みを浮かべた。
「ありがとうございます。それで、条件とは?」
「条件は3つかあります。1つは米ソ不可侵条約の破棄。もう1つはアメリカ内部の共産主義者の排除。最後の1つは対ソ戦に耐えられる十分な性能の兵器を開発することです。」
その条件を聞いたウォレスは難しい顔をした。
「1つ目の条約の破棄は、議会の承認が必要な為時間がかかります。何より条約を結んでから僅か1年での破棄となると・・・。」
「この3つの条件が認められない場合、発注は取り消しとなります。よろしいですかな?」
ウォレスは慌てて「努力しよう。」とだけ述べるに留まった。アメリカ経済はどん底の中にあり、ここでイギリスの発注を失えば、這い上がることすら不可能かも知れないのだ。また、何が何でも発注を取らなければ、ホワイトハウスから彼は叩きだされる可能性もあった。
一方でイギリスはアメリカよりは余裕があった。現状は厳しいが、フランスは最短で6月以降、長くても年内には復帰できるし、極東で日本が動けば欧州の圧力も減る。そして、欧州最大の工業国ドイツは着々と戦力を増強しており、カナダに建設中の大規模な工場群は今年の秋から稼動予定だった。
それ以外にも、オランダやベルギー等が兵器の生産や輸出を開始しており、チェコの工業力も連合国にとって重要な存在となっていた。今年さえ何とか乗り切れば、反攻に移れる算段はついていたのだ。
また、あまり期待はしていなかったが、アメリカがこちらの条件を履行出来れば、イギリスも約束は守るつもりだった。そうすれば、ソ連への反抗は現在の計画よりもよりスムーズに行えるだろうとイギリスは考えていた。
もっとも、アメリカが97jやⅣ号戦車(17ポンド装備も含めて)並みの戦車や、96式戦闘機やスピットファイヤ、Fw190と言った高性能な戦闘機等を開発量産できるのは、どう見積もっても1943年ごろになる見通しだった。
M4の開発さえ遅々として進んでいないアメリカには、これらのハードルはとても大きいものだとイギリスは考えていたのだ。
なお、共産主義者がパリで起こした蛮行の数々が世界中に報道され後に、ソ連と共産主義者への恐怖から、米ソ不可侵条約は破棄される事になる。
「残りの条件は飲めます。前政権はいざ知らず、私達は共産主義者の排除を進めていますから。」
「では、この情報をお役立てください。」
そう言って大使がウォレスに渡したのは、分厚い大き目の封筒だった。断りを入れて中身を見ると、中には書類が多数入っていた。それを取り出して読み進めていくウォレスだったが、読み進めていく内に肩が震えだしていた。
12 :Monolith兵:2014/07/22(火) 22:54:38
「ソ連に潜入した我々の諜報員が送ってきた情報です。前政権では数多くの共産主義者が出入りしていたようです。ソ連でもかなり評価されているようです。」
「ルーズベルトは政策がアカ臭いと思っていたが、これほどとは・・・。それにロングは何ていう事を・・・。」
書類に書かれていたのは、ルーズベルト政権とロング政権の元で働いていた者達の一覧だった。その中にFBIがソ連のスパイとして逮捕した者がいたために、ウォレスはこの一覧表が正しい事をすぐに理解していた。
そして、続いて読んだ書類にはロング政権時代にソ連に売却された工場や生産設備と機械、更には弾薬工場にトラック等がずらっと並んでいた。
「これは・・・本当なのかね?」
「事実です。諜報員から送られてきた写真でも、アメリカ製のトラックや工作機械が大量に使われているのが見て取れます。」
そう言って、大使はもうひとつ封筒を渡した。その中には多数の写真が入っており、確かにアメリカ製トラックがソ連の軍人と一緒に写っていたり、アメリカ製の機械をロシア人らしき男が動かしていたりしていた。
(この情報を使えば、民主党を完膚なきまで叩きのめせる。これで共産主義者は徹底的に排除できるだろう。問題は一覧にあった企業についてだが、ロングの命令で仕方なく従ったとすれば問題は無いだろう。)
ウォレスはすぐさまこれらの情報がどれだけ自分達の立場を強化するのに使えるか計算した。
「ありがとうございます。条件については必ず履行して見せます。」
「頼みますよ。」
2人は笑顔で握手を交わした。
そして、ウォレス大統領は議会でイギリスから得たこれらの情報を公表し、ルーズベルトとロングそして民主党を徹底的に糾弾した。公表された情報の威力は絶大で、民主党は大量の離党者を出し、街では反共主義者が元大統領らやスパイ達の処断を求めデモを繰り返した。
一方で、ソ連に生産設備などを輸出した企業などへも批判が出たが、ロングの命令で仕方なくやった、という弁護によって、市民の怒りはロングへと向かう事になった。
更にパリの被害が報道され始めると、共産主義者の排除を求める声は次第に大きくなり、政府は徹底的な捜査を約束した。
だが、共産主義者を逮捕しようとしてFBIが攻撃を受けたり、追い詰められた共産主義者による武装蜂起が相次ぐなどしたために、軍まで投入する自体になり、アメリカ国民にソ連=共産主義者は敵という意識が根付く事になったのであった。
13 :Monolith兵:2014/07/22(火) 22:55:26
アメリカで民主党の権勢ががた落ちになり徹底的なアカ狩りが進んでいる頃、日本はとうとうソ連に対して攻勢に出た。
日本はウラジオストック攻略のために、海軍は戦艦扶桑、山城と空母飛龍、蒼龍を基幹とした艦隊を派遣しており、陸軍と海軍の航空隊と合わせて強力な砲爆撃を加えていった。
「もうウラジオストックにまともな戦力は残っていないんじゃないか?」
「いや解らんぞ?旅順要塞なんて28センチ砲しこたま撃ち込まれても陥落しなかったし、要塞砲は発砲してからようやく解る様な物もあるからな。安心して近づいたらズドンなんてごめんこうむるぜ。」
95式陸攻のコックピットで搭乗員達がウラジオストックの様子を見て、ああでも無いこうでも無いと、勝手な憶測を立てていた。
日本が攻勢に出始めて5日が経ち、ウラジオストックの軍港や軍施設は粗方破壊されていた。艦艇もこれまでの度重なる空襲で殆どが破壊されていた。
日本の攻撃はウラジオストックのみならず、ハバロフスクやナホトカ、ウスリースクに対しても行われており、それらは陽動だった。本命はウラジオストックであり、その他の根拠地から救援が向かわないように牽制していたのだ。
これまでも各都市やシベリア鉄道の駅や線路、橋梁に対して爆撃が行われてきたが、今回の爆撃はこれまでにないほどの大規模なものだった。
ソ連も迎撃機を出したがアメリカとの睨み合いから開放された日本軍機の方が数も技量も上で、日本軍の被害は思ったより少なくて済んだ。
ソ連は、日本軍とアメリカ軍とを睨み合いをさせる事で極東に配備する兵力を最小限に留め、その分を欧州に投入していた。最近はアメリカが連合国側につこうと躍起になっているため、危機感を覚えたソ連は増援を決定していた、だが、その増援が到着するのは4月中旬の予定であり、未だ極東に配備された兵力は少なく、日本は次々と戦果を上げていった。
なお、極東に配備された機体は旧式機が多く、戦車も軽戦車や不要の烙印を押された多砲塔戦車が主力であった。
日本陸軍の将兵は、欧州の激戦を聞かされていた為に、ソ連極東軍を次々と撃破出来た事に首をかしげる事になった。後に旧式兵器ばかりしか存在しなかったことを聞かされた彼らは、「俺の覚悟を返せ。」「97式無双とかこれなんて火葬戦記?」などと愚痴を言う事になるのだが、全く本筋には関係ないので省略する。
「ウラジオストックの軍事施設はほぼ潰しました。沿岸砲台も粗方潰しましたので、次の段階に移れるでしょう。」
「だが、要塞内に退避した兵員は無事だろう。」
「ですが、弾薬庫や重火器は殆どが破壊できたと思われます。士気も低下しているでしょうから、攻略は容易なはずです。」
東条はウラジオストック沖合いの輸送船の中で、参謀たちと最後の作戦会議をしていた。ウラジオストックはソ連の重要な軍港として発展してきたために要塞化され、攻略は慎重に行われていた。
数多くの要塞砲やベトンで防御された機関銃陣地や重砲など、多くの重火器で防御された要塞は徹底的な爆撃で破壊され、更に戦艦による砲撃で崩壊していた。
すでにウラジオストックの防衛力は無くなったように思えたが、巧妙に隠された要塞砲により扶桑が305mm砲弾を2発貰い小破した。だが、要塞砲はすぐさま上空で待機していた航空隊と、戦艦2隻による反撃により破壊されていた。
まだ隠された火砲や機関銃陣地が残されている可能性はあったが、グズグズしていると敵の増援が現れる可能性もあるので、不安はあるものの上陸戦をしかける事を決定した。
「では、明日に上陸を開始する。海軍にはその旨を伝えて支援を要請しろ。」
そして、ウラジオストック攻略作戦は第2ステージに移った。
14 :Monolith兵:2014/07/22(火) 22:56:17
ウラジオストック上陸戦は、やはり隠されていた野砲と重機関銃により、600名ほどの損害を出してしまった。すぐさま97式艦爆によって潰され、それ以降上陸はスムーズに進み、第1波の3個師団がウラジオストック上陸に成功した。
上陸後、日本軍は散発的な攻撃をしてくるソ連軍を撃退しながら、支配地域を拡大していったが、3日目には連隊規模のソ連軍との戦闘に入り、その相手に手間取っている間に周辺からソ連軍が集まってきてしまった。運が悪い事に生き残っていた戦車部隊も合流し、日本軍は苦戦を強いられた。
しかも、一部の部隊は市民を盾に突撃をしてきた為に、思うように反撃が出来なかった。
第2派で上陸してきた戦車師団がようやく到着し、一部が迂回して敵の後背に回りこみ、ソ連軍を包囲して何とか撃破出来たが、日本側は4000近い損害を出してしまった。
また、市民側にも多数の死者がでており、日本は急遽医療部隊を投入して、彼らの治療に当てた。その様子は従軍カメラマンがカメラに収めており、後に写真は世界中に広がる事になる。
「奴ら、自国民を盾にするとは、何て卑劣な連中なんだ!」
「それが共産主義者というものなのだろう。じっさい、パリでも似たような話が伝わってきている。今回は、我が軍のふりをして攻撃してくる者は幸いいなかったが、この先出てこないとも限らん。今後の検討課題だな。」
東条はソ連の非道に怒る参謀に、これからもこういった事は続くだろう事を告げた。
「奴らが非道だからと言って、我々も奴らと同じ事をするわけにはいかん。捕虜への対応はきちんとするように。」
「わかっています。」
「奴らが市民を盾にとって攻撃してくる様子は写真に取ってあったな。おかげで世界中にソ連の非道さを宣伝できる。」
東条は、今回のソ連軍の非道な行いを公表し、世界中に宣伝するよう指示した。
こうして、日本はウラジオストックを占領し、アルチョーム、ナホトカと周辺の都市を次々と攻略していった。しかし、ウスリースクにソ連軍が軍弾規模の部隊を集結させつつあり、これ以上の進撃は困難となった。欧州側から一部の部隊が増援に向かっている、という情報が齎されたのも進撃の中止に影響した。
だが、それでも連合国が殴られてばかりの存在では無い事を証明して見せ、クロンシュタット・レニングラード奇襲も合わせて、連合軍の士気を上げるのに役立った。
また、フランスも6月には体制を建て直し、ドイツ戦線とドイツ戦線でソ連軍に対して押し返しつつあり、反攻も時間の問題だと思われていた。
それと合わせて、共産主義者の非道さ、異常さが世界中に宣伝される事になり、連合国以外でも共産主義者狩りを積極的に行う国も現れ始め、戦局は連合国に優位に傾きそうに思えていた。
15 :Monolith兵:2014/07/22(火) 22:57:04
しかし、それは2つの報告によって覆された。
1つは、ソ連によるイラン侵攻である。イランは第2次世界大戦勃発以後、中立を宣言していた。イギリスは連合国への参加を求めたが、戦場にされる事を恐れて拒否した。ドイツを加えた会談でソ連に侵攻された場合にのみ連合国に入るという、フィンランドやトルコと同等の秘密条約を締結していた。
8月25日に突如、ギーラーン社会主義共和国とクルド人民共和国と名乗る武装勢力がイランからの独立を宣言。イランはそれを認めず鎮圧しようとしたが、ソ連は両国の要請の元にという建前で介入を始め、快進撃を続けた。イランは動員を進め、連合国に助けを求めた。
ソ連と傀儡国は、8月末にはイランを縦断しアーバーダーンまで進撃して油田を占領していしまった。イラン軍は、何とかそれを防ごうと努力したが、戦力差は圧倒的であり、イギリスの応援を何度も要請していた。
だが、イギリスは有力な戦力を欧州へ投入しており、僅かに残っていた軽歩兵師団も満州へ投入しており、インドには編成途上の部隊や警備師団くらいしか残っていなかった。
そのような状況だったので、イギリスが兵器を掻き集めて何とか3個歩兵師団を編成派遣した時には、既にイランは首都を制圧されソ連と講和していた。
イランは講和条約で、ギーラーン社会主義共和国とクルド人民共和国の承認、アーバーダーンの採掘権を求められたが、そのどちらも拒否した。イギリスの応援を期待しての事だったが、残酷にもイギリスにその力は無かった。
イランの返答を知ったソ連側は、アーバーダーンの油田を破壊し、傀儡国は再び戦闘を開始した。これにはイランも先の条件を飲まざる得ず、9月15日にはソ連に対して友好的中立な新国家イラン民主共和国が誕生した。
イギリスは一連の出来事をただ見ているしかできず、編成した3個師団を使ってもイラン国内に駐留するソ連軍15万を相手にする事は出来ず、イランの中立を再確認すると引き下がる他無かった。
そして、ソ連はイギリスの心臓ともいうべきインドへ一撃を加える事が可能となった。イギリスはこれに対抗するために、戦力をインドに割かなくてはならず、欧州への兵力の輸送は低調となった。
フランス植民地兵がその穴を埋める事になったが、重火器が足りずソ連に対抗出来る対戦車兵器も無いために、一時は盛り返していた連合軍は再び押し返されるようになっていた。
もう1つは、ソ連がイタリアと接触していることであった。
イタリアは、フランス内戦の際にボルドー政府軍への支援という名目で国境線に部隊を集結させていた。それを脅威と考えたフランスはすぐさま国境付近の部隊を増強し、最終的に40万もの部隊を展開させていた。
イタリアも対抗上部隊を増強し30万まで膨れ上がっていたが、これ以上の部隊の派遣はイタリアの国力から難しかった。そこに付け込んだのがソ連だった。ソ連はイタリアに支援を約束し、ソ連側での参戦を促した。
イタリアは悪名高い共産主義者からの誘いに何度も拒否したが、その間にも状況はイタリアにとって悪化しており、もはや開戦も時間の問題だった。フランスは火事場泥棒をしようとしたイタリアに心底怒っており、懲罰戦争を求める声も少なくなかった。
もはや、イタリアに選択肢は無いも同然だった。そして、第2次世界大戦は新たな局面へと進む事になるのであった。
おわり
最終更新:2014年09月26日 18:54