433 :Monolith兵:2014/08/07(木) 00:36:53
ネタSS「
憂鬱日本欧州大戦 -パスタの本気-」
1941年の7月になると、フランスとイタリアの衝突は不可避となっていた。
フランス内戦で得点を稼ぎ、連合国入りを目指したムッソリーニの思惑は空振りに終わり、フランスの反感を買った上にそこをソ連に付け込まれた。イタリアを殴る気満々なフランスに対抗するために、最終的にソ連の援助を受け入れるしか無かった。
一方でフランスはイタリアを殴る気は満々だったが、まずはソ連を殴り殺すことを優先していた。だが、イタリアがソ連から援助を受けているという情報が入ると、対イタリア戦争を意識するようになる。
フランスはフィンランドにドイツに加えて本土防衛とアフリカにまで部隊を展開せざる得なくなり、それはかなりの重荷だった。
フランスがそんな事を考えている一方で、イタリアはアフリカの仏伊・英伊国境で連合軍が部隊を集結させつつある上に、南欧の仏伊国境にもフランス軍が40万もの大軍を展開している事を深く受け止めていた。
このままでは、イタリアはたいした抵抗も出来ずに蹂躙されると考えたムッソリーニは、少しでもイタリアが有利な内に開戦すべきと考えた。
そして、1941年12月、とうとうイタリアはフランスに対して宣戦布告した。これを受けて、日英独もイタリアに宣戦布告した。
ここに、イタリアが第2次世界大戦に参戦したのだった。
イタリアは、アフリカで防衛を第一にした一方で、南仏に侵攻した。また、ソ連と連携するためにギリシャに侵攻した。ソ連もイタリアを支援し連合国の圧力を分散するために、まずはブルガリアを傘下に治め、ついでルーマニアに南北から圧力を加えた。
ルーマニアは中立ながら、ドイツに石油や各種物資を優先的に輸出しており事実上の連合国と言ってよかった。しかし、連合国が各地で苦戦し、ソ連からの圧力で連合国に救援を要請するもどこも余裕が無かった。
434 :Monolith兵:2014/08/07(木) 00:37:24
イギリスは、フィンランドとエジプト、更にはインドにも部隊を展開しなくてはならず余力は無かった。
満州に送った10個師団をインドへ送ろうとしたが、極東ソ連軍との睨み合いに入っており、うかつには動かせなかった。イギリス植民地師団10個は、日本からの重火器の供給を受け、重歩兵師団へと変貌していた為、日本も貴重な部隊を手放すのは惜しがった。
日本軍とイギリス軍は、7月までにウスリースクとハバロフスクを陥落させていた。だが、ハバロフスクの攻略に時間がかかってしまい、ベロゴルスクにソ連の援軍が到着していた。
仕方なく今は戦力の拡充に努め、ハバロフスクとブラゴヴェシチェンスクで防衛戦を構築する事になっていた。
ただ、ハバロフスクまで戦線を押し上げたために、防衛戦が緒戦よりも短くなった。11月に入り消耗した日本軍も再編成が完了したために、イギリスの10個師団はようやくインドへ送る事が出来たのだった。
12月に入ると、とうとうソ連が徴兵した90万ものイラン人でインドへと侵攻した。インド防衛は、アンザック5個師団に加えてインド植民地師団11個、ビルマ植民地師団2個の18個師団があったが、所詮植民地師団が主力であり、戦力価値は低かった。イギリス軍は各地で後退し、満州からの10個師団のインド入りを待っていた。
ソ連はインドに本来は翌年に侵攻する予定だったのだが、バルカン半島を南下する為に連合軍を分散させる必要があった為、予定を早めたのだ。
予定より早い侵攻とあって、武器弾薬に物資も心もとなかったが、イスラムに毒されたイラン人を磨り潰し、インドのイギリス軍を消耗させ、更にはインドから食料や資源、人的資源も奪えるとスターリンは考え直していた。
「所詮は宗教に毒された資本主義者どもだ。精々インドを引っ掻き回せればいい。」
スターリンはそんな事を言い、早期の侵攻を指示したのだった。
他方ドイツは、フィンランドとドイツ戦線でソ連軍と激戦を繰り広げていた。ソ連軍は日本の極東攻勢以後は多少少なくなっていたが、その分技量や戦術能力が上がっており、むしろ苦戦しているほどだった。それに加えて、フランス軍がまだ足を引っ張っていた。
9月になり、フランス軍はようやく既存戦車を改造した自走砲や駆逐戦車を投入できていた。
H35の車体に48口径75mm砲を搭載した75mmH35対戦車自走砲(史実マルダーⅠ)や、R35にチェコ製の43口径47mm砲を搭載した47mmR35自走対戦車砲、S35にイギリスの6ポンド砲を搭載したS35突撃砲が投入された。
また、B1bisの砲塔を撤去し、車体の75mm砲をドイツから輸入した長砲身砲に換装し装甲を強化、エンジンも強化したが速度は若干低下していた。このB1qua(B1戦車4型)は、フランスが始めて有したT-39に対抗できる戦車(と考えられていた)だった。後に独自開発した70口径75mm砲を搭載した物も生産された。
だが、それらはまだ生産が始まったばかりで数が少なく、未だドイツ軍が欧州戦線の主力であった。
そんな状態だから、ルーマニアが救援に送れる余裕はなく、何とか救援部隊を編成した頃にはルーマニアはソ連の軍門に下っていた。ドイツにとって、ルーマニアは貴重な石油輸入国だったが、中立故に予め部隊を派遣する事が出来なかった事がここで響いて来ていた。
幸い、英仏やオランダなどから石油や物資の輸入が可能だったが、近隣の産油国を失ったのは大きかった。だが、ドイツにできるのはルーマニア国境に部隊を貼り付けて置くくらいだった。
435 :Monolith兵:2014/08/07(木) 00:38:06
さて、ルーマニアとブルガリアを傀儡国にしたソ連は、イタリア軍支援のために2個軍団を派遣した。イタリアもソ連軍との合流を目指すために41年10月下旬に7個師団でギリシャへ侵攻した。
そして、史実どおりギリシャ軍にアルバニアへ叩きだされた。これを打開する為に更に3個軍団を派遣し、ソ連から送られた戦車や航空機も投入したが、山岳地帯でゲリラ戦を繰り広げるギリシャ軍に苦戦していた。
イタリア本土から更に増援や補給物資を送ろうにも、余りにも酷いギリシャのインフラにイタリア軍は苦しめられた。イタリア軍はギリシャに数少ないトラックや戦車も派遣していたが、山がちな地形はそれらの行動を阻害した。
その為、補給が厳しくなったアフリカやギリシャのイタリア軍は弾薬のみならず、飢えや渇きに襲われ連合軍に降伏するものが多かった。
しかし、ソ連軍が侵攻してくると戦力差が逆転し、ギリシャ北部でイタリアとソ連とが握手する事になった。もっとも、イタリア軍はいやいやながらの握手であり、ソ連との共同作戦は彼らの士気を下げに下げていたが。
「そして、私達はここにいるわけか・・・。」
第1遣欧軍で派遣された第5戦車師団長百武春吉中将は、ギリシャの乾燥した大地を見渡しながら呟いた。
第1次遣欧軍で派遣されたのは当初独立混成旅団だったが、ファニーウォーの間に増強され師団に昇格していたのだ。百武も派遣当初は少将だったが、冬戦争での功績から中将に昇進していた。
「しかし、ついこの間まで北欧で寒さに凍えていたと言うのに、今度はこんな乾燥した大地に来る事になるとは・・・。」
百武は初春とはいえ、強い日差しに手をかざした。気温はそれほど高くはないが、強い日差しと乾燥した空気は油断していると体力を奪われそうだった。
「百武中将、これからよろしく頼みます。」
「こちらこそ。一木大佐もドイツで活躍しているようじゃないか。フィンランドにまで聞こえてきていたぞ。」
「いや、お恥ずかしい限りです。陸軍大国のドイツでしかも大佐で旅団長ですからね。ボロを出さないようにするのが精一杯ですよ。」
ポーランド戦後、宮崎や一木たちは日本には帰らずそのままドイツに残っていた。
と言うのも、ドイツ陸軍ではナチス信者を追放したために深刻な士官下士官不足となっていたのだ。平時なら時間をかけても正規の教育を受けた士官を養成するのだが、事実上の戦時となってしまった以上そのような時間はなかった。
そこで、ドイツ軍に編入されたポーランド軍に不足していた士官下士官を求めた。ポーランド士官達はその期待に見事に応えた。ドイツで士官下士官が育つまでの間、彼らは指揮官や参謀としてドイツ軍の運営を助けた。
また、師団長や参謀本部にもポーランド人は多くおり、実戦経験を積んだ彼らの存在は、経験の少ないドイツ軍を精強にするのに大いに役立った。
だが、それでも新時代の戦争に対応できる士官、特に機甲戦術に精通した者は不足していた。ロンメルやマチェク等、機甲戦術の名将を抱えてはいたがその数は少なかったのだ。
436 :Monolith兵:2014/08/07(木) 00:40:43
そこで、ドイツ軍が目を付けたのは、ポーランドで共に戦った日本人将官だった。特に、ケンプフ師団が派遣された日本義勇軍で師団長を務めた宮崎繁三郎は、ドイツ軍にとって喉から手が出るほど欲しい人材だった。
ポーランド戦ではロンメル中将(ポーランド戦後昇進)の采配に多くの注目が集まったが、宮崎中将(同)もドイツでは機甲戦術の第一人者と見られていた。
そのような理由から宮崎はドイツで日本人唯一の師団長として機甲師団を率い、西中佐(同上)と池田中佐(同上)が戦車連隊長に、一木大佐は歩兵(突撃兵)旅団長に就任していた。
日本だと、大佐は連隊長クラスなのだが、士官不足で苦しむドイツでは大佐で旅団長、少将で師団長と言うのも珍しくなかった。
それに、ポーランド戦でソ連の強力な戦車相手に次々と対抗手段を生み出した一木は、ポーランド兵にとって英雄であり、一木旅団のポーランド兵達は一木を慕っていた。
「派遣されて見たは良いが、こんな狭いところだと機甲戦は無理だな。豪を掘って戦車や自走砲をトーチカに代わりして、砲や重機関銃は山の斜面に陣地を作ろう。それから地雷だな。こちらは数が少ない上に時間が無い。
だが、この地形なら何とか持ちこたえられるだろう。」
百武の提案に一木は頷いた。いくらあのヘタリアが相手と言えども、ソ連軍を含めてその兵力は40万にも達するのだ。侮れる相手ではない。
「ギリシャのイタリア軍は確かに醜態を晒していますが、フランスへ攻め込んだイタリア軍はかなりフランス軍を苦しめているようですね。」
「なんと言うか、ちぐはぐな感じがするな。まあ、鉄道の通っているフランス戦線と、碌な道も無いギリシャ戦線じゃそんなものだろうな。」
南仏へ攻め込んだイタリア軍は、マントンのフランス軍を蹴散らし、南のマジノ線とも称されるアルパイン線へと到達していた。アルパイン線には、マントンから撤退した部隊を含め約30万が駐留しており、イタリア軍の進軍を阻んだ。
だが、イタリア軍は第1空挺師団(後のフォルゴーレ空挺師団)を投入し、アルプスを通る鉄道タンド線のトンネルや橋を奪取。フランス軍はこれらを爆破しようとしたが阻止された。
このダンド線を通って、イタリア軍は2個山岳師団と1個空挺師団がアルパイン線の後方への展開に成功した。
これに慌てふためいたフランス軍は、ニースに駐留していた約10万を救援に派遣しようとしたが、4個山岳師団がプレイユ=シュル=ロワイヤ、コントを経てニースへ侵攻。フランス陸軍10万は、4個山岳師団の奇襲攻撃で損害を受け、またニース防衛のために大規模な救援が不可能になった。
4個山岳師団がフランス軍をニースに釘付けにしている間に、ダンド線を使ってイタリア陸軍はアルパイン線後方に更に増援を送り、アルパイン線は完全に包囲されてしまったのだった。
「アルパイン線の陥落も時間の問題だろう。聞くところによれば、フランス本国には南仏以外に纏まった兵力は無いそうだ。最悪の場合、フランスの単独講和の可能性もあるな。」
百武が言うとおり、フランスは各地に部隊を派遣しており、フランス本国にある兵力は少なかった。しかも、最大戦力の駐留するアルパイン線は包囲されており、身動きが取れなかった。
「ですが、ここで伊ソ同盟軍を阻止できれば流れも変わります。ギリシャを屈服できない以上、ソ連からイタリアへの石油輸送も大規模な支援も安全に行えません。」
イタリアはアドリア海とイオニア海の制海権こそ握っているものの、それ以外の制海権は連合軍の物だった。イタリアとアルバニア間の輸送は兎も角、連合軍がここで持ちこたえればギリシャ領内を通る輸送路は常に危険を伴う事になるのだ。
また、連合国の潜水艦や戦艦などが地中海に集結しつつあり、アドリア海やイオニア海の制海権もいつまでもイタリアのものというわけにはいかないと考えられた。
「おお、ここにいましたか。ウィルソン中将が呼んでいます。どうぞこちらへ。」
二人に話しかけたのは、日本陸軍へ連絡将校として派遣されているドルキン大尉だった。2人は顔を見合わせ、ドルキン大尉の後について行った。
437 :Monolith兵:2014/08/07(木) 00:41:33
「あなた達に会わせたい人物がいる。」
ギリシャ派遣軍を率いるヘンリー・メイトランド・ウィルソン大将は、司令部のテントに2人が入ってくるや否やそう言った。本来ならば、彼はインドで指揮を取る予定だったが、ギリシャに伊ソ同盟軍が侵攻したために、百武や一木と同様に急遽ギリシャに送られていた。
連合軍では、特に日英独では戦車や短機関銃、対戦車砲などの共通化が進んでおり、欧州の帝国陸軍も97式中戦車の代わりにⅣ号戦車を、92式軽戦車の代わりにⅢ号突撃砲を装備する部隊も増えていた。97式中戦車は需要が大きい為に調達が難しく、92式軽戦車は日々進化するソ連戦車と戦うには旧式化が著しかった。
更に極東で本格的に日本が参戦したために、欧州へ回せる装備が減っていた為に、現地で装備を調達する事が多くなっていた。。
流石に小銃は共通化出来なかったが、銃弾や砲弾は欧州でも調達できていた。その為に、少なくとも日英独の間では共同作戦を行うハードルはかなり下がっていたのだ。
そして、最近はフランスもここに食い込もうとしていた。
「自由イタリア軍のマリオ中尉だ。彼と彼の中隊は連合軍と共に共産主義者やファシストと戦いたいと、接触してきた。」
突然の話に、一木は頭がくらくらしてしまった。敵が寝返ってきて、昨日の友軍と戦いたいというのだ。
「そ、それは・・・信用できるので?」
「信用できないのはわかります。しかし、アカやファッショの為に私達はこれまで苦しんできました。奴らを倒し、イタリアの自由を取り戻す。心から強くそう思っているのです!」
「私も最初ロンドンからの連絡を知った時は頭がおかしくなったかと思ったが、イタリア軍はソ連軍との共同作戦ということで、かなり士気が下がっているらしい。
脱走兵もかなり出ているようで、ギリシャ軍は捕虜の後送をする専門部隊まで作ったとか。
それに、自由イタリア軍の規模が大きくなれば、イタリアに降伏を迫ることも出来るだろう。国内の軍がいつ反旗を翻すか気になって戦争どころでは無くなるだろうからな。」
ウィルソン大将は最後に腹黒い事を言いながらにやりと笑顔を見せた。
史実でもギリシャ軍に寝返ったイタリア兵やアルバニア兵がいた。それはこの世界でも同様だったが、チャーチルはソ連と同盟した事でイタリア軍全体の士気が低下している事に着目した。
つまり、チャーチルは、こちらへ寝返ったイタリア軍を丸抱えにして自由イタリア軍を創設し、イタリアへ揺さぶりをかけようとしているのだ。
「心の中ではソ連と行動したくない、連合国と戦いたくないと思う者は多いです。私達はそこをついて仲間を増やしたいと考えています。」
まるで戦国時代だな、と思い百武は苦笑した。昨日の敵は今日の友、戦国時代では極普通だったのだ。現代でも通用しないわけが無い。
(そう言えば、勝てば官軍負ければ賊軍という言葉もあったな。)
明治維新の際に、新政府軍が掲げた言葉を思い出し、イタリアも新たな時代の幕開けがやって来るのだろうかとふと思った。
「我々はソ連軍を主敵とし、イタリア軍を調略する。こちらに寝返るものが多ければソ連軍はイタリア軍に不審を感じるだろう。その隙を撃つ!」
イタリアは補給路が山がちで効率がよくない。一方でソ連軍の補給路は比較的なだらかだったが、イタリア軍まで養える物資は存在していない。結局イタリア軍は飢えたままで、そこにも付け入る隙はありそうだった。
「だが、伊ソ同盟軍が協力してこちらを攻撃してくる可能性もある。それも考えて、迎撃体制の構築に励んで欲しい。」
ウィルソンの言葉に2人は頷いた。
438 :Monolith兵:2014/08/07(木) 00:42:13
ギリシャで自由イタリア軍が連合軍の正式な部隊として配備される事になった頃、南仏戦線ではアルパイン線でフランス軍が必死の抵抗を行っていた。
アルパイン線にはフランス軍約30万がおり、戦車も(軽戦車主体だが)配備されていた。
だが、イタリア軍約30万に挟撃され身動きが取れない状態だった。しかも、ニースにもイタリア軍が侵攻しており、援軍も期待出来そうに無かった。
「このままでは物資と食料が底をついてしまう。」
要塞司令官は司令部でうなだれていた。背後をイタリア軍に遮断されたため、アルパイン線への補給は途絶していた。
「物資も食料も北欧に送ってしまいましたからね。耐えて後1ヶ月ということですか・・・。」
フィンランドやドイツが戦場になって以降、マジノ線やアルパイン線に蓄積されていた弾薬や物資、食料などは前線に送られていた。イタリア参戦の可能性が高まり再び物資の蓄積を始めていたが、前線への輸送が優先されていた。
「しかし、我々は出来るだけ踏み止まらなければなりません。奴らが本格的に侵攻するためにはアルパイン線を攻略し、鉄道で補給を送らなくてはなりません。ダンド線だけでは十分な補給が出来ていないのは現状が証明しています。
何よりも、既にマントンを奪われた上にアルパイン線を抜かれたとあれば、陸軍の威信は更に傷つく事になります。」
「解っている。ボルドーには援軍を要請した。・・・だが陸軍はほとんどが国外へ派遣されている。」
「・・・海軍ですか。」
「そうだ。海軍がアフリカから5個師団を輸送している。それでニースを攻撃しているイタリア軍を撃退し、アルパイン線へ援軍を送った上に、イタリア軍後方の兵站線を戦艦との艦砲射撃で破壊するそうだ。」
海軍という言葉を聞いた司令部要員達は静まり返った。
第2次世界大戦が始まって以降、フランス陸軍はいいところがまるで無かった。一方で、海軍はバルト海でソ連海軍を撃退しクロンシュタット奇襲など勝利を重ねてきていた。
その為、陸軍は海軍と常に比較され、その傾向はクロンシュタット奇襲で大勝利を得てから強くなっていた。
「海軍だろうと陸軍だろうと、援軍は援軍だ。」
司令官がそう言った時、報告が届いた。
「敵の爆撃機隊が接近。」
「またか・・・。」
司令官がうんざりした様に呟いた。アルパインでの攻防が始まって以降、イタリア空軍はアルパイン線を破壊しようと何回も爆撃を仕掛けていた。
439 :Monolith兵:2014/08/07(木) 00:42:50
アルパイン線上空では、フランス空軍とイタリア空軍との壮絶な空中戦が繰り広げられていた。
イタリア空軍は、南仏戦線に200機以上の航空機を投入していた。これはイタリア空軍が保有する可動機の約2割に相当し、イタリア軍が南仏戦線にどれほど力を入れているか解るだろう。
「火事場泥棒のパスタ野郎が!ぶっ殺してやる!!」
フランス空軍の戦闘機パイロットは、イタリア軍の爆撃機と護衛戦闘機を視認すると怒号を上げた。これまでに何度もイタリア軍機を撃墜した経験を持つ彼は、今度も撃ち落としてやると意気込んでいた。
『3時の方向に敵戦爆連合約60機。いつもどおりだ、パスタどもを食ってやれ!』
「了解。」
隊長機からの指示に無線ごしに返答する。フランス軍では航空機は元より、戦車や各中隊レベルまで無線機が普及しつつあり、十分な連携が取れるようになっていた。
彼の乗る戦闘機は見る見るうちに爆撃機の上空へと到達し、一気に降下した。敵戦闘機や爆撃機の機関銃の火線が戦闘機の回りに迸るが、速度が速いのかパイロットや機銃手が未熟なのか当たらなかった。
彼が乗る戦闘機は、VG.39は純国産機だった。一時期はフランス航空機の貧弱さに、外国製戦闘機のライセンス生産も決定されていたが、VG.39の原型機であるVG.33がそれを覆した。
フランス戦闘機として始めて600km/h以上を発揮し、20mm機関砲2基7.5mm機関銃6丁の重武装の戦闘機は、他国の戦闘機と比べても遜色ないレベルだった。
更に改良型のVG39bisでは、更にエンジン出力を上げ650km/hを発揮でき航続距離1500kmにも達していた
。
ただ、串型エンジン二重反転プロペラのこの機体は高価格だったのが玉に傷だった。
一方で、「チートしすぎたかも。」と自惚れていた日本は、新興の列強に負けるものかと欧州各国が次々と改良型や新型の航空機を繰り出すのをみて、顔が引きつる事になっていた。確かに日本遣欧軍の烈風や飛燕も高性能だったが、欧州各国は日本からの技術提供や機体の購入もあったものの必死でそれに追いついて見せたのだ。
だが、それ以上に日本の軍人達の顔が引きつる事になったのは、それに対抗するために新型航空機を次々と繰り出してくるソ連だった。
特に、1941年末にI-185やYak-9が登場した時は転生者達は慌てふためいた。性能的には烈風や飛燕の敵ではなかったが、その生産数を考えると脅威だった。
余談だが、VG.39をフランスが主力戦闘機に決定したと聞いた時、嶋田は自分の耳を疑い、辻は生産コストが高い事に米神をひきつらせ、倉崎翁は「こうしちゃおけん!」とロマンを追い求めるために立ち上がった。
最も、純国産機であるので国内経済へ波及効果が高い事から、辻も生産性の向上を強く言うだけだったが。
「よし、1機撃墜!」
イタリアの爆撃機は、20mm砲弾を食らいガクッと機首を落とした。それを見て彼は歓声を上げた。
フランス空軍はこの日20機以上の敵機を撃ち落としたが、イタリア空軍はそれでも爆撃を敢行。アルパイン線に多大な被害を与える事になる。
440 :Monolith兵:2014/08/07(木) 00:45:44
アルパイン線で陸空戦が行われている頃、戦艦プロヴァンスとロレーヌを基幹とした艦隊に護衛された輸送船団が地中海に入ろうとしていた。この船団にはアルジェリアとモロッコから集められた植民地師団5個が乗っており、南仏での反抗作戦に投入される予定だった。
この情報はイタリアも掴んでおり、どうにかしてこの船団がトゥーロンに到着しないようにしなければ、南仏戦線が崩壊してしまうだろうと考えていた。
しかし、この船団を攻撃しようにもアルジェには戦艦ダンケルクが、そしてアレクサンドリアには日英の強力な艦隊がおり、うかつに艦隊を動かすことも出来なかった。
そこで、イタリア海軍は一つの奇策を実行に移すことにした。
さて、日本遣欧艦隊のうち第8艦隊(第7艦隊に相当。ただし戦艦は金剛榛名のみ)の将兵は、出撃前の景気づけに酒場で一杯引っかけていた。
フランス輸送船団の地中海入りで、イタリア海軍が行動を起こすのは確実と連合軍では見ており、出撃が近い事を将兵は感じ取っていた。
「これまで対地支援とか爆撃とかばかりだったけど、艦隊決戦が出来る日が来るとは・・・。」
「軍港突っ込んでからは暫くバッタ乗りだったしなぁ・・・。」
彼らは空母天城の艦上機搭乗員であった。これまで彼らが行ってきた任務といえば、対地支援対地爆撃で陸軍の支援ばかりだった。クロンシュタット軍港・レニングラード港奇襲は、海軍機のパイロットとして相応しい任務であったが、1ヶ月以上にも渡る連日の出撃で機体も人間も疲労していた上に、艦隊の防空をしていた50機程度の戦闘機に対して300機以上ものソ連軍機が襲い掛かってきたのだ。
それが原因で、一度母艦航空隊が壊滅して以降はドイツ戦闘機や爆撃機に乗る日々だったが、速度と運動性は兎も角、短い航続距離に辟易していた。もっとも、短いといっても1300kmはあり、欧州では航続距離は長い方だったが。
「戦艦乗りの奴らには悪いが、俺らでイタリアの戦艦は全部沈めてやるぜ!」
「何だと!バタバタ落とされてたお前らが言える立場だと思ってるのか!!」
「何だ!?やるか?」
「まあまあ、これはどっちの方が沈められるか競争という事で。」
「ふんっ!」
「戦艦の戦艦たる所以を見せてやる!」
このように士気が上がり衝突する者もいたが、艦隊決戦を目前にしていると日本海軍の将兵は血の気が上っていた。
無論、本来の彼らは協調性に優れていたが、夢にまで艦隊決戦を前にして、彼らはこれまでの鬱憤を晴らそうと意気込んでいたのだ。
そんな時に、凄まじい爆音が空気を震わせた。窓ガラスは割れ、机の上にあった皿やグラスは床に落ち砕け散った。
いきなりの出来事に悲鳴が上がった。
「爆発!?ついにイタリア軍が攻めてきやがったか!!」
「港の方を見ろ!艦が燃えてるぞ!!」
「潜水艦だ!イタリアの潜水艦が攻撃してきたんだ!!」
「いや戦艦だ!ああっ、あっちの戦艦も爆発したぞ!!」
「空母が・・・、天城がっ!?」
酒場にいた将兵達は国籍を問わず暫く呆然としていたが、数秒もすると自分達の部隊に戻るべく走り出した。
そして、戦争始まって以来最大の危機が連合国海軍に訪れた。
おわり
最終更新:2014年09月26日 19:01