854 :Monolith兵:2014/08/26(火) 09:39:28
ネタSS「
憂鬱日本欧州大戦 -パスタの本気④-」
さて、イタリア海軍が潰滅した影響はすぐさま現れた。
まず、補給が絶望的になったイタリアアフリカ軍は、連合軍へと投降し一部は自由イタリア軍へ編入した。
次に、海軍の主力がことごとく沈み、南仏に侵攻していたイタリア軍約30万も、日英艦隊の艦砲射撃や航空爆撃で物資集積所や補給線が破壊され、次々と降り注ぐ砲弾や爆弾のよってアルパイン線を包囲していた部隊も敗走していった。
トゥーロンには無事5個師団が到着し、アルパイン線以西に進出していた部隊は孤立し次々と撃破され、鉄道が破壊された為に撤退しようにも出来ず、その殆どが降伏した。
そして、ギリシャのイタリア軍はと言うと・・・。
「俺、40万もの敵を相手するって聞いて、両親に辞世の手紙を送ったんだけど・・・無駄になったな。」
「俺なんて彼女に”俺の事は忘れていい人を見つけてください。さようなら。”って送ったぞ!・・・ハァ。」
二人のドイツ兵(ポーランド人)の視線の先では、激しい戦闘をするソ連軍とイタリア軍の姿があった。
イタリア軍は、自由イタリアの調略もあり、脱走する将兵が後を絶たなかった。中には大隊規模で寝返ってくるイタリア将兵もいる始末で、伊ソ連合軍主力がテルモピュレ近郊に到達する頃にはイタリアの兵力は10万以下にまで減少していた。
ソ連軍はそんなイタリア軍に不信感を抱き、イタリア軍を後方から督戦しようとしたが、当然ながらイタリア軍はそれに反発し、小競り合いが発生。そこから雪崩を打つように両軍は戦闘に突入していった。
「まあ、これでギリシャ防衛もめどがついたな。自由イタリア軍もやる気なようだから、決着は早くつくだろう。」
自由イタリア軍と自由アルバニア軍は、今や兵力20万を数え、ギリシャにある連合軍最大の戦力を保持していた。彼らはソ連軍の横暴に反発し、ソ連と手を組んだイタリア本国政府も憎んでいた。
その為に、連合軍と対峙していた時が嘘のように士気が高く、連合軍からの兵器供給も受けて、ソ連軍と対決する時を今か今かと待ちわびていた。
「連隊本部から前進命令だ。行くぞ!」
中隊長の言葉を聞いて、ポーランド兵達は各々の武器を手に進軍を開始した。ソ連軍と戦闘に突入したイタリア軍は自由イタリアを通じて連合国に協力する事を確約していた。
そして、この翌日ギリシャに侵攻したソ連軍主力はイタリア軍及び連合軍(自由イタリア・アルバニア軍含む)約30万に包囲されその殆どは降伏した。イタリア軍も戦闘終了後、自由イタリア軍へと参加の意思を示し、ギリシャ侵攻軍はここに潰滅したのである。
855 :Monolith兵:2014/08/26(火) 09:40:07
一方で、イタリア本国では政変が起きていた。
アフリカ、ギリシャ、そして南仏戦線で次々と敗北を喫したため、ムッソリーニの権威は大きく傷ついた。
そして、ムッソリーニの戦争指導に疑問を覚える者、反共主義者、そしてバチカンやイタリア国王らは意見の一致を見た。つまり、ムッソリーニから政権を奪おうと言うのだ。
史実と異なりドイツが敵対しているため、イタリアのファシストに味方する者はおらず、ムッソリーニらファシスト党の主要幹部ははあっさりと捕まり、ファシスト政権は崩壊した。
その傍らで、ソ連はイタリアが各戦線で次々と敗北しあっさりと脱落した事に、全く行動を起こす事が出来なかった。一連の流れが余りにも速く、準備する間も無かったのもあるが、ギリシャでイタリア軍がソ連に反旗を翻したのが大きかった。
「奴らは味方の振りをした敵だった!連合国はイタリアをわざと我が国と組ませて油断したところを背後から殴らせたのだ!!」
スターリンは激怒し、イタリアは敵国であると断言した。同盟国は弱いほうが戦後の取り分を巡っての争いで優位に立てると考えていたが、イタリアはスターリンが考えていたい上に弱く、ソ連に反感を持っていた。
そして、ギリシャで攻撃を受け、支援を受けるだけ受けて裏切ったイタリアを擁護する者はおらず、ソ連はこれ以降イタリアを敵視するようになるのであった。
856 :Monolith兵:2014/08/26(火) 09:41:15
「イタリアは片付いたな。全く迷惑なパスタどもだ。」
「蛙共が最近マシになったと思ったらこれだ。蛙どもをロンドンに迎える必要が無くなって嬉しいよ。
それに、ハンガリーにユーゴスラビア、それにトルコ。我々も決してソ連に後れを取っているわけではない。」
ロンドンではチャーチルとイーデンはイタリア戦が片付いた事に安堵していた。
イタリア軍がアルパイン線を越える事が現実味を帯びてきた頃、フランス政府はロンドンで亡命政権の設立準備を進めていたが、イタリアでのクーデターと講和要請によって中止されていた。
そして、イタリアが連合国に下った事で、三方を連合国に囲まれたユーゴスラビアは連合国に協力する姿勢を打ち出していた。ユーゴスラビア政府としては中立のままでいたかったが、ギリシャイタリアが連合国となった今、中立を貫けば戦後のバルカン半島における発言権は小さくなると危惧したためだった。
また、ハンガリーもソ連が幾度として中立国へ侵攻や介入する事に危機感を抱いていた。元々親独国であり連合国よりだったハンガリーだったが、ルーマニアとブルガリアがソ連に組すると本格的に連合国入りを目指して活動していた。
そして、トルコはソ連軍がバルカン半島を南下してきた事を深刻に受け止めていた。
もし、ギリシャがソ連の支配下となれば、トルコは東西をソ連に挟まれる事になるのだ。そうなれば、ボスポラス海峡とダーダネルス海峡をソ連軍艦艇が通過できるよう、ソ連が圧力をかける事は想像に難しくなかった。
だからこそ、トルコは連合国側での参戦を決意したのだ。
勿論、各国とも失地回復や戦後の国際秩序での発言権など腹に一物は抱えていたが、それはイギリスにとって関係ない話だった。とにかく、イギリスはロシアを殴り殺すことが第一の目的だったからだ。
「5月の反抗作戦は若干遅れるようだ。だが、パスタ共のお陰でバルカン半島を北上する経路と戦力を確保出来た。奴らには精々火薬庫を歩いて貰おう。」
「イタリアは片付いたが、問題はインドだ。大量の共産イラン軍や難民がインドに流れ込んで各地で戦闘が起きている。
パルチスタンは奪われ、インダス川で何とか防衛できているが、長くは持たないだろう。」
ソ連はイラン人を大量に徴兵し、僅かな武器を与えインドへと進軍させていた。抵抗したり逃亡しようものなら家族や集落の人間を殺されるため、イラン人達はインドへ侵攻するほかなかった。また、反乱の中心になりそうな宗教家などは次々と逮捕されていた為、まとも抵抗すら出来ずイラン人は次々と戦場へと送られていた。
そして、それから命からがら逃れたイラン人やパキスタン人は難民としてインドへ流入し、各地で衝突が起きていた。更に、難民の中には武器を持つ者もおり、インドの状況は日に日に悪化していた。
「共産イラン軍が持つ武器や、インドに流入している武器の中に少なからずアメリカ製の物もあった。アメリカ政府に確認させたが、どうやら奉天軍がソ連に横流ししていたようだ。
全く、植民地人どもはまともに犬を買うこともできんのか。よくもそんな白々しい事が言えたものだ。」
インドでアメリカ製兵器が見つかった事で、イギリスは抗議していたが、これらをソ連に渡していたのは奉天軍だった。彼らはアメリカがソ連を支援しているのを真似たのだが、これは英米両国を怒らせるには十分すぎた。
これに気付いた
アメリカは、奉天軍への支援を中止し軍を展開して圧力をかけ、横流しを止めさせた上で責任を強制的に取らせた。
なお、奉天軍を詳しく調べたアメリカにより、彼らがパリで消えた美術品の数々の転売をしていた事も解り、連合国どころかアメリカ国内からも奉天軍討伐の声が上がっていた。無論、アメリカはそれらの美術品の捜索を全力で行い、フランスへ返還する事を確約していた。
しかし、それらの事をイギリスは全く信用していなかった。元々アメリカは大英帝国の利権を虎視眈々と狙っていたし、一度は裏切ったのだ。
857 :Monolith兵:2014/08/26(火) 09:41:51
「インドは最早統治不可能だ。例え戦争に勝利しても維持するだけの国力は、最早我々には存在しない。だが、ただでインドを手放すのも面白くない。」
チャーチルはインド戦線にアメリカ軍を投入できないかと考えていた。アメリカが反共政策を進め対ソ連を鮮明に打ち出した事で、連合国の態度は多少軟化していた。イギリスもアメリカの努力を認め、トラックや各種物資などをアメリカに大量に発注していた。
一方で、兵器類の発注はしていなかった。ソ連に対抗できるだけの強力な装甲車両や航空機が無かったのだ。それ以前に、日英独仏は必要な兵器なら何とか生産出来ていたし、ソ連に対抗して次々と新兵器を繰り出していた。
例えば、戦車は既にドイツは56口径88mm砲、イギリスも17ポンド砲、フランスも70口径75mm砲と大口径化が進んでいたし、戦闘機も600km/h越えが普通だった。それどころか日本などは700km/hを超える戦闘機を配備していた。
爆撃機も、アメリカのB-17を超える連山やランカスターが生産されており、フランスでもB-17並の性能を持つM.B.162爆撃機が生産されていた。
つまり、アメリカの生産する兵器は連合国に比べてその殆どが時代遅れの物になっていたのだった。
「精々インドで人民の津波に溺れるがいい。」
チャーチルはそう呟くと小さく笑い声を上げた。
「インドを放棄するかもしれないと言う話をすると、植民地人は凄まじく食いついてきたそうだ。大方、我が国からインド利権を奪えるかもと思っているのだろうな。」
「それから、撤退前には独立派の連中に独立祝いとしてプレゼントを送ってやろう。旧式兵器を処分するにはちょうどいいだろう。」
後に、アメリカ人をして「失われた20年」と呼ばれるアメリカのインド戦線(内戦)介入を誘導する方針が決定した瞬間だった。
おわり
最終更新:2014年09月26日 19:09