799 :ひゅうが:2014/09/12(金) 14:18:29
ミサイル駆逐艦(DDG)「天津風」型


全長:152メートル
全幅:14.3メートル
喫水:4.6メートル
基準排水量:4350トン
満載排水量:5880トン

機関:IHI・FW式D型缶2基 IHI・GE式衝動タービン2基2軸(6万馬力)
発電機:主蒸気タービン発電機(1800kw)+300kwディーゼル発電機2基

速力:32.5ノット(公試時)

武装:Mk.13mod.1 単装ミサイル発射機1基
   Mk.42mod7 5インチ単装砲2基
   Mk.16 8連装アスロック発射機1基
   62式対艦ミサイル発射機1基(Yシステム)
   3連装対潜短魚雷発射管2基
   ボフォース40ミリ機関砲単装2基
   12.7ミリ単装機関砲2基

装備:【ターター・艦隊情報リンクシステム一式】

   DATAR改Ⅱ情報リンクシステム(61式情報連繋システム)1基
   Mk.4mod(J) 武器管制システム1基
   Ml.74ミサイルFCS2基
   FCS-1射撃指揮装置2基
   AN/SPS-39A三次元レーダー1基
   AN/SPS-29A対空捜索レーダー1基
   AN/SPG-51Bミサイル射撃指揮レーダー1基

   【ソナー】

   OQS-3艦首ソナー1基
   OQS-101低周波ソナー1基


   【電子戦システム】

   NOLR-2電波探知装置(ESM)1基
   OLT-3電波妨害装置(ECM)1基
   Mk.36デコイ発射装置2基


同型艦:「天津風」「時津風」「国津風」「秋津風」「水無津風」 以上5隻

800 :ひゅうが:2014/09/12(金) 14:19:17

【概略】――ソ連極東海軍の質量的増大に対応するために開始された第2次防衛力整備計画に基づく「ミサイル駆逐艦」。計画時の名称は「35DDG型」
国防海軍初のターターミサイルシステムを搭載した型である。
ただし、旧来の艦隊型駆逐艦同様に後部煙突と艦橋の間に対艦ミサイル発射管を置くなどその系譜をひいている当時としては異例の存在でもあった。


【設計と建造】――1958年の装甲空母「信濃」第一次大改装後、国防海軍はその護衛艦艇としてターターミサイルを搭載した防空艦の整備を計画した。
ソ連海軍が配備したミサイル艇や、ミサイル艦化しつつあるといわれた太平洋艦隊の戦艦ソビエッキーソユーズへの対抗、そして沿海州から発進するであろうソ連空軍への対応のためである。
この計画に基づき、海軍は第2次防衛力整備計画(1960-70年を予定)において8隻の防空駆逐艦と8隻の汎用駆逐艦を艦隊に配備する通称「八八艦隊計画」を将来構想とした。
同時に旧式化しはじめていた雲龍型の「葛城」「笠置」の代艦をも建造するというこの計画は、増大を開始していた日本経済とはいっても過大と考えられ、総研と大蔵省の裁定によって空母と同時に護衛の大型駆逐艦3隻を建造する案へと下方修正が施された。
しかし、これに待ったをかけたのが在日アメリカ海軍だった。
当時進行中だった「太平洋安全保障条約構想」においてキーストーンとなる日本の防備はなるべく盤石にしたいという彼らの事情もあわさり、アメリカ海軍はOSP(米海軍調達供与)を用いたターターシステムの早期の「供与」を提案。
これにより、当初は購入を考えていた国防海軍は一挙に6隻の建造を実施することにし、1960年、初のターターシステム搭載艦の設計にとりかかった。

【艦様】――船体は、システムを余裕をもって搭載した上で電力不足を起こさないように当時現役であった巡洋艦「酒匂」に迫る5800トンとし、内部には強力な発電能力を確保。
当時はまだガスタービン機関が実験段階であったために蒸気タービン機関と補助ディーゼル発電機の混載という形となったが大きな発電能力はターターシステムに加え、開発されたばかりの国産艦対艦ミサイル「Yシステム」を運用してもまだ余裕があるものであった。

武器構成は、艦の前部からターター発射機・5インチ主砲・アスロック発射機という当時の最新の火器で固め、艦橋左右には小型艇対策用の40ミリ機関砲銃座が設けられている。
そして大きな艦橋からはレーダーマストが上にそびえるという基本構造が確立されたのも本型がはじめてである。
艦橋の後部からは旧海軍の夕張型に似た集合煙突がそびえており、その後方には国産の対艦ミサイルである「Yシステム」用の発射機が備え付けられている。
そして後部レーダーマストを兼ねたディーゼル発電機用の煙突が後部艦橋と一体化して存在し、その後方に後部5インチ主砲と対潜無人ヘリDASH運用用のヘリ甲板・ボフォース対潜ロケット砲という構成となっている。

一見してわかるように、防空駆逐艦というよりはむしろ艦隊型駆逐艦の正当な後継者という向きがつよい。
これは増勢が続くソ連太平洋艦隊の、特に潜水艦と戦艦へ日本側が脅威を感じていたためである。
ゆえに、アメリカの駆逐艦では廃止されていた魚雷発射管にかわって本型は、開発されたばかりの地対艦ミサイルシステムを艦載化した「Yシステム」を搭載。
航空機による中間誘導という面倒を振り分けても一撃で敵の巡洋艦級を撃破できるだけの火力を求めたのである。
この傾向は国防海軍の駆逐艦に共通することになり、現代でも一部のイージス艦を除いて必ず1発は「一撃必殺の」国産対艦ミサイルを搭載する傾向が強くなった。

801 :ひゅうが:2014/09/12(金) 14:19:57
【艦歴】――1964年に1番艦「天津風」が就役し、以後1968年の最終艦「水無津風」就役まで約1年に1隻のペースで建造が進み、艦隊に残っていた改秋月型駆逐艦を代替した。
艦隊側の評価は良好であったが、機関が蒸気タービンであったうえに高出力の発電機を搭載していたためにメンテナンスには苦労が伴ったようである。
また、船体に比して対艦・対潜能力も一定以上を有しているために甲板はやや手狭であり、「まるで旧軍の駆逐艦のようだ」という印象を後世に与えるようになっていたという。
ただし航行性能は建造費用の増大を甘受してまで大型化が行われたために良好であり、それ以前の米軍供与艦に比べると非常に素直であった。
また、その外見が「強そう」という印象を与えており煙突の流線型とあわせて当時の少年たちに大人気であり本型の体験航海や観艦式には多くの親子連れが押し掛けたことでも有名である。

当初は6隻の建造が予定されていたものの、前述の費用増大に加えて新型空母の建造にあわせて行われた福利厚生費用の増大を受けて建造は5隻で中断。
以後、1973年の「太刀風」型DDGの就役まで国防海軍の大型ミサイル駆逐艦の建造は小休止をとることになる。
最終更新:2014年09月26日 19:17