917 :ひゅうが:2014/09/14(日) 08:08:07


――「ソビエツキー・ソユーズ」級戦艦


全長:261.5m
全幅:36.6m
喫水:10.2m

基準排水量:5万2600トン
満載排水量:5万7800トン

機関:モロトフスク工廠式水管ボイラー12基 同蒸気タービン4基4軸(20万5000馬力)
速力:最大29ノット

主砲:50口径16インチ(40.6センチ)砲3連装3基
武装:57口径15.2センチ砲連装4基
   56口径10センチ高角砲連装8基
   37ミリ機関砲4連装15基
   13.2ミリ機関砲単装12基

装甲:舷側最大360ミリ 甲板最大170+50ミリ 主砲防盾450ミリ 天蓋230ミリ


同型艦:「ソビエツキー・ソユーズ(ソビエト連邦の意)」(モロトフスク第402工廠)
「ソビエツカヤ・オケアン(ソビエトの海の意)」(モロトフスク第402工廠)
「ソビエツカヤ・シベリア」(建造中止)
「ソビエツカヤ・エウロピア」(建造中止)
名称未定5~6番艦(建造中止)


【解説】――――ソ連海軍が大戦後すぐに建造を開始した新型戦艦。
設計は建造を中止したソビエツキー・ソユーズ級のものを流用したものの、建造中に製造が不可能と判明した舷側の装甲を現実的なレベルへと落とし、また速力を維持できるように船体は2割ほど縮小されている。
そのかわりに、大戦の戦訓を受けて対空火器が大幅に増加しており水上砲戦を行う戦艦としてはアイオワ級を上回る完成度の高いものとなった。

918 :ひゅうが:2014/09/14(日) 08:08:40


【前史】――――第2次世界大戦前、ソ連海軍は6隻の本級と10隻のクロンシュタット級巡洋戦艦を建造することを目指していた。
しかし、日本海海戦以後のロシア海軍は弩級戦艦時代に乗り遅れ、さらにはソ連成立前後の内乱から建造技術はもとより製造設備も存在せず、イタリアやアメリカからの技術導入を前提としての建造は遅々として進んでいなかった。
(この間18インチ砲搭載の7万トン級航空戦艦などを要求するなどして米国を呆れさせていたりもする。)
やっと建造を開始したものの、当時はスターリンによる大粛清時代であり設計通りの装甲板が製造できないというお粗末な事情が発覚したりもしている。
そんな中でとどめとばかりに独ソ勃発。
建造が行われていたレニングラードは包囲下におかれ、さらにウクライナのドックはドイツ軍の占領下に落ちてしまった。
そんな状態にあっては、無事であったのは北極圏の白海に面したアンハゲリスク州のモロトフスク第402工廠しか存在せず、これも第二次世界大戦の勃発を受けて建造が中断されていた。
この状況にあって、レニングラードで建造が進んでいた1番艦はその身体から武装と鋼板をことごとくはぎとられた挙句に爆撃や砲撃でスクラップと化し、2番艦はドイツ軍によって解体されてしまった。
こんなことでは、ドックに残されたままの3番艦と4番艦もまた解体されてしまっていただろう。

だが、そんな彼らを驚愕させる事件が太平洋において発生する。
1942年8月から11月にかけ、日本海軍が誇る大艦隊はソロモン海において存分に暴れまわり、とりわけ水上砲戦部隊はアメリカ海軍から一時的に巡洋艦戦力を払底させ米海兵隊上陸部隊にトラウマを刻み込む対地艦砲射撃を見舞ったのだ。
この成果は、スターリングラード攻防戦もたけなわなソ連軍首脳陣に今更ながらに海上艦隊の力を認識させ、独裁者スターリンをして「ソユーズ級の建造計画の推進」を指示させた。
これにより、モロトフスクで放置状態であった3番艦と4番艦の船体では低調ながらも工事が再開。
建造可能なレベルにまで改設計が行われ、宙に浮いていた16インチ砲などの搬入が開始された。
この動きは1944年末から一気に加速する。レイテ沖海戦で「6万トン級戦艦ヤマト・クラス」が怪物じみた戦闘能力をみせつけたためである。
すでにバグラチオン作戦の最終段階に達していたソ連軍はドイツ軍を相手に王手をかけており、彼らは「戦後」を見据えはじめていたのである。
1945年1月には、レニングラードにおいて残っていた1番艦を解体し資材を転用してまでして本格的に建造が再開。
同年4月には、沖縄沖海戦で一時的に米海軍戦艦部隊がほぼ全滅するという恐るべき戦果を挙げて「同クラスの」ヤマト・タイプが沈み、彼らに自らの選択の正しさを確信させる。

ソ連首脳陣は、これを受けて「アイオワ級は水上砲戦艦としては不適格」と判断。
唯一日本側に残った大和型である装甲空母「信濃」を賠償用として受け取り調査を行い、さらには18インチ砲艦の建造を実施する夢すら抱いていたのだ。

だが、よく知られているように日本側が予想以上に早く降伏してしまったため、よく知られているようにこの夢は実現せず。
ソ連は緊張を高め始めた欧州と、戦力上の空白が生じていた極東においてこれまで建造計画を進めていた白海モロトフスク第402工廠の3番艦と4番艦を用いることとした。
さらに、復旧しつつあったウクライナとレニングラードにおいて更なる新型艦の建造を企図するが、これは資材の節約を図るためにクロンシュタット級戦艦の改良型とした。
(のちのスターリングラード級である)
米国のような空母機動部隊の建造は疲弊したソ連としては不可能であり、より安価に「接近を阻止できる」だけの水上戦闘艦を建造しようとしたのである。


かくて、1945年12月、ソ連は海軍再建計画を始動。
対外的には6隻のソビエツキー・ソユーズ級戦艦と6隻のスターリングラード級「巡洋艦」とされた。
なお、この動きはアメリカ海軍にもすぐに伝わり、モンタナ級戦艦の建造へと至ることになる。

919 :ひゅうが:2014/09/14(日) 08:09:22


【建造】――――建造は、上述したように白海モロトフスクの第402工廠で実施された。
州都アンハゲリスクから40キロあまりの場所にあるこの工廠は独ソ戦の被害を受けず、内陸部で製造された武装や米国による資源援助を受けることができていた。
そのため、大戦末期以来の米ソ関係の冷却までに資材の蓄積はほぼ完了。
さらには建造工程30パーセントあまりで放置されていた船体も、改設計には適していた。
建造は、戦後ソ連の苦しい台所事情から送れたものの、1947年2月には新1番艦と2番艦が同時に進水。
あらためて「ソビエツキー・ソユーズ」と「ソビエツカヤ・オケアン」と命名され大々的に報道された。
しかし艤装は2番艦がやや遅れ、1949年3月に1番艦が、1949年5月に2番艦が完成し艦隊に配備される。
しかし、同時期に就役を開始していた「スターリングラード」級巡洋艦(巡洋戦艦)とともに西側へ与えた強烈なインパクトとは裏腹に、大量の乗組員の錬成は間に合わずに予定されていた極東への配備は朝鮮戦争には間に合わなかった。


【艦歴】――1番艦「ソビエツキー・ソユーズ」は、レニングラードで完成したスターリングラード級2番艦「レニングラード」とともにバルト海艦隊に配備され、冷戦期においてはドイツをはじめ西側諸国に強力なプレッシャーを与えていた。
2番艦「ソビエツカヤ・オケアン」は、朝鮮戦争後の1953年にスターリングラード級1番艦「スターリングラード」とともに「新太平洋艦隊」を編成し極東へと配備された。
ひんぱんにウラジオストクと旅順・大連港を行き来するこの2隻は極東におけるソ連の脅威の象徴として語られた。
さらに1960年代に行われたミサイル搭載改装は、日本国防海軍をして深刻な脅威と受け取られ彼らに対艦・対空ミサイルの装備を加速させることとなる。

ソ連崩壊後に解体されたバルト海艦隊の2隻に対し、太平洋艦隊の2隻は――
最終更新:2014年09月26日 19:22