91 :ひゅうが:2014/06/28(土) 23:09:20
海上警備隊 特乙型警備艦「しなの」

全長:285m(元設計より艦尾延長済み)
飛行甲板長:280m
基準:6万6300トン
満載:7万5190トン
喫水10.31m
最大速力:28.1ノット
武装:12.7cm連装高角砲8基16門
25mm3連装機銃37基
25mm単装機銃40基
12cm28連装噴進砲12基

(大戦後すぐのため、武装に変化はない)

搭載機:常用72機(補用18機)


【解説】――日本海軍が生み出した世界最大の航空母艦。
もともとは大和型戦艦の3番艦として建造されていたものの、太平洋戦争勃発に伴い建造工事を停止。解体予定であったが1942年のミッドウェー海戦において空母への改装が決定。
艦隊側の強硬な主張によって当初の「搭載機をもたない浮かぶ航空基地」路線は早急に放棄され大型でバランスのとれた「超大鳳型」相当の艦として設計がまとめられた。
そのためにもとの設計から艦尾は20メートル近く延長されており、これが就役を遅らせる原因ともなった。
その最大の特徴は、戦艦として建造されていたゆえの強大な防御力と飛行甲板へと張られた装甲である。
これはミッドウェー海戦の戦訓を受けたものだが、のちに彼女の艦長となる阿部俊雄中佐と神重徳大佐らの主張を取り入れてその後の日本空母の基本となる「打たれ強い」防御力を実現すべく最大限の努力が払われている。
搭載機数は、もともとが戦艦であったうえに強力な装甲を張ったために当初予定では50機あまりとなる予定であったが、「せめて飛龍型相当の搭載機数を」という艦隊側の主張により常用補用をあわせて90機が確保された。
もっともこれは、設計で揉めつつあった中において戦争中の完成を諦め、「終戦後」の使用を考えたものであるともいう。
実際、完成予定は1944年12月であり。この頃には日本海軍は雲竜型(天城型)空母6隻と大鳳をはじめとした空母を保有しているはずであり日本海軍は大鳳と信濃にそれぞれ3隻程度の正規空母を加えた機動部隊を運用する構想であったとされる。
(つまり、ミッドウェー後時点で日本海軍は太平洋における講和追求へと方針を転換したのである。蛇足ながら近年ではいわゆる阿部―鈴木ルートといわれる宮中工作が進行していたことは定説とされる。)
しかし、相次ぐ敗北に加え、マリアナ沖海戦において空母機動部隊が大被害を受けたことから一時的に資材不足に陥った日本海軍は建造予定の短縮を試みるも設計変更のためにこれは達成が不可能とされ、竣工時期を守ることが精いっぱいであったという。
そのため、レイテ沖海戦時には艤装中であり、沖縄沖海戦時には完成直後であって参加を見送られている。
そのため、1945年6月1日の終戦を舞鶴で迎えることとなった。

92 :ひゅうが:2014/06/28(土) 23:09:53

終戦後には海外への賠償艦として引き渡せる予定であり、また高いレベルでまとまった設計をもち無傷の巨大空母にアメリカ海軍は予定艦名「オキナワ」(これは日本海軍との最後の艦隊決戦に敬意を表したものである)を用意するなどの念の入れようで彼女を迎える準備を行っていた。
だが、ポツダム会談においてソ連が賠償艦として手に入れることを主張しはじめることによって(これは、あのヤマトの同型艦を手に入れたいというスターリンの強い意向であったという)海軍当局と国務省が対立。
さらには強引に進駐を実施した樺太における一般市民への蛮行から米軍武官の証言がある中で日本軍が自衛反撃を実施したことによって事態はさらなる混迷を迎える。
8月6日、いまだ存続していた海軍総司令部から脱出支援命令を受けた信濃は舞鶴から出港。
樺太大泊からのべ15回の輸送によって一般市民を脱出させたのだ。
さらに、ソ連軍による朝鮮半島南部への「進駐」を警戒した米海軍による日本海作戦の結果偶発戦闘や睨みあいが繰り返されており、進駐部隊として北海道へ展開したばかりの米陸軍第58師団のうち1個支隊が千島列島北端占守島で孤立。
ソ連潜水艦隊(未詳)による輸送船撃沈という緊張状態の中にあって「信濃」は現地へ急行し脱出の支援と潜水艦撃沈という「太平洋戦争最後の戦闘」を「米海軍の駆逐艦隊とともに」実施したのである。
とりわけ、沈没しつつあった重巡インディアナポリス乗員の救助は米海軍はもとより米市民の対日感覚を一変させるのに十分だった。

これらの結果として「好意的な」反応を勝ち取った信濃は戦後の日本において数少ない稼働艦であることから特別輸送艦に指定されて以後3年間を南方からの引き上げに従事。
ヘンリー・J・ウォレス大統領による日本再軍備への好意的な反応から横須賀において「保管艦」として「長門」や「酒匂」とともに留め置かれた。
そのため、1948年の工作船「ヴァストカヤスク」号事件や国共内戦の勃発に伴い編成された海上警備隊――実質的な新生日本海軍の象徴的な艦として米海軍の強力な後押しのもとで復帰が実現したのである。
(これは、空母ユナイテッドステーツを「撃沈」されたことへの米海軍の報復であったともいわれる)
近年の朝鮮半島南北分断線の緊張状態や、国共内戦における国府軍の壊滅的な敗北に伴い改装が検討されているが、復興のために資材を必要と考える人々も多く、呉軍港で残存する戦艦「伊勢」「日向」の去就とともに情勢は流動的である。

もっとも、最新鋭艦であるうえに樺太からの邦人脱出を支援した本艦への国民的な人気や米海軍による後押し、そして海上警備隊警備局長である阿部俊雄元少将の存在もありその保有継続は海上警備隊の最優先事項であるといわれる。
最終更新:2014年10月21日 18:52