850 :taka:2014/11/28(金) 12:23:59
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1945年4月13日

沖縄に米軍来寇


「……で、返事はどうだ?」
「支援感謝する、との事です。後は、覚悟を決めることかと」

インドネシアのバタビアにある、ドイツ海軍司令部。
頭上で回転するシーリングファンを見上げながら、司令部の主は視線を下げた。
デスクの前に居るのは、七人のUボートの艦長。

「U 181、搭乗員全員志願しております」
「U 862、問題ありません」
「UIT 24、志願いたします」
「UIT 25、準備は全て終わっております」
「U 219、異論なぞありません、やりましょう」
「U 195、支援準備完了しています」
「U 234、アール(魚雷)の用意は済んでおります」

全員の艦長の返事を聞き、司令官は深々とため息を吐いた。

「馬鹿野郎、大馬鹿野郎共め。今更、7隻のUボートが参加した所で何ができると思っているのだ?
 千隻を超えるアメリカのアルマダ(無敵艦隊)相手にフランシス・ドレークでも気取るつもりか?」

そう、苦々しく言い放っても、男達の面持ちは変わらない。
彼らは既に覚悟を決めているのである。
バタビアで終戦の日までくすぶり、自艦を自沈させる事よりもUボート乗りとして最後まで戦う事を。
だからこそ、残存していた魚雷を全て搭載し、出撃準備を終わらせている。

「分かった。いけ、行って来い。アーミーに、腰巾着のライミーに、まだ俺達が終わってないと教育してやれ。
 大西洋で数えきれないほど奴らに煮え湯を飲ませたのが、誰であったのか思い出させてやれ
 全艦、出撃せよ。目標、沖縄沖合に展開中の、米英艦隊!……これが、モンスーン戦隊、最後の出撃である!!」

南方に展開していた伊号達と共に沖縄に向けて出撃したUボートがどうなったか。
それらを語るには多くの物語を紡がねばならないが、結果を先に語るとしよう。

7隻のUボートが、再びバタビアの港へ戻る事はなかった。
果敢に沖縄近海まで進出したたった七隻のウルフパックは厳重な哨戒線を突破。
この突破には伊号の活躍や、日本の航空部隊の攻撃などの僥倖も重なった。
沖縄沖海戦による日本海軍最後の鬼神の如き壮絶な戦いの影響もあった。
それに呼応した第32軍が行った攻勢の成功もあった。
幾つもの奇跡と偶然の末に、6隻のUボートは米艦隊の船団をとらえた。
残念ながらライミーは既に壊滅していた。

「敵船団、捕捉! 見ろ、海面をうめつくさんばかりに居るぞ。食い放題だ!!」
「ああ、どこを見ても敵だらけだ。魚雷を撃てば当たるぞ!」
「ははは、こいつらにアールをぶち込んで生きて帰れれば柏葉付き貰えそうだな!!」
「魚雷をけちるな。できるだけ大きい艦を狙ってアールをぶちかませ!!」
「トロペト・ロス(魚雷、発射)!」
「ロス!!」

彼らは魚雷を撃ち尽くすまで雷撃を敢行し、米軍の輸送艦または支援艦22隻を撃沈。
更に数十隻に重大な損害を与える大活躍をした。

その後、激怒した米艦隊及び航空隊の猛烈な対潜攻撃により、3隻のUボートは撃沈。
損傷を受けつつも神戸港まで離脱したのは一番攻撃地点から離れた位置にいた援艦のU 195のみ。
真っ先に魚雷を撃ち尽くし機雷をばら撒きながら離脱したU 219は九州沖合で損傷が悪化。
同行していたU 195へ乗員は移送され、自沈処理によってU219は海底へと沈んでいった。

残りの2隻がどうなったかと言われれば。
叩きのめされた米海軍が既に去り、大和を初めとする第二艦隊の朽ち果てた船体が墓標の様に水面に浮かぶ宜野湾
そこに爆雷による損害で潜航すら不能になった2隻のUボートがやってきた
2隻は海岸近くの浅瀬へと慎重に乗り上げた後、分譲した救命ボートに乗りドイツ海軍軍旗を掲げながら沖縄へ上陸した。
2隻の乗組員の内最上位の士官であるヴェンツェル・H・アーベ少佐は、第二艦隊の生き残りを救助していた海軍部隊と接触。
バタビアで日本語を話せるようになった乗組員が多かった事もあり、問題なく第32軍と合流した。
アーべ少佐は総司令官の牛島満中将、大田実海軍少将から直々に感謝の言葉をかけられ終戦の時まで部下達と共に第32軍の賓客として遇されたという。
なお、ドイツ降伏から日本の終戦の間でも、その扱いに変わりは無かった。
第二艦隊の活躍に日本人が軍神を見出した様に、モンスーン戦隊最後の戦いにも、日本人は勇者である事を見出したのだ。

2隻のUボートが辿り着いた浜には記念碑が立てられ、極東におけるドイツ海軍最後の戦いを今でも語り継いでいる。


終わり
最終更新:2014年12月11日 18:47