121 :フィー:2014/12/31(水) 21:46:23
「長い冬の日々」
暦の上では水無月の終わり、江戸の町はいまだ雪に覆われていた。
町行く人の顔は暗くいつ終わるとも分からない冬に疲れ切っている。
それでも幕府のお膝元であり食糧の供給が大きく滞ることもなく新しい施策が真っ先に実行される場所であるだけに他よりマシなのだと住民は理解していた。
幕府側で流言飛語が飛ばないようきちんとした情報発信を行っていたし地方から聞こえてくる災厄の状況はお世辞にも芳しいものではなかったからだ。
いわく、
冬眠から覚めざるをえなかった熊に山間の集落が全滅させられた。
豪雪により完全に道が閉ざされ集落との連絡が途絶した。
餓えた狼の群れと領主が派遣した武士団が到着するまで死闘を繰り広げた村。
連絡が付かなくなり様子を見に行った者が見たのは村人が殺し合い全滅した村と壊れた家で震えながら生き残っていた幼い兄妹だけだった。
食糧を少しでも多く得ようと盗賊と化し領主に殲滅された集落。
等々。
そんな話が聞こえてくれば自分たちは生きていけるだけマシだと思うしかなかった。
雪はしんしんと降り積もり冬はまだまだ終わりを見せない。
*
師走の終わりにこの世界が火星だと報告を受け冬が長くなることが分かっていた
夢幻会は、一切の自重をやめた。
江戸という時代に合わせゆっくりと技術の蓄積と革新を行い、来るべき開国に備えるという当初の方針を完全に放棄したのだ。
それは転移があったことで元より破棄されることが決まっていた方針ではあるがそれでも何処かで遠慮はあった。
江戸という太平の時代。
ある意味で日本という国の基礎となった時代。
時代の流れに任せた一つ一つの階梯を踏んだ緩やかな発展を望んでいたのだ。
しかし、それを選ぶことはもう出来ない。
ありとあらゆる手段を用い最善を尽くさなければ生き残れない時代。それがやって来てしまっていた。
半年以上にも及ぶ冬、それは日本という国家を、文明を滅ぼしうる強大な敵だった。
睦月の中ごろ、普段であれば正月も終わり静かに冬を過ごしていく時期、幕府より全国へ前代未聞の命令が発せられる。
今年の冬は前例がないほど長く厳しいものとなる、よって米を中心に食料品の大部分を配給制にする。
同時に商家、武家、名主などから食糧の強制徴収を実施する。
ただし、干し柿や干物など自家消費分の保存食についてはこの限りではない。
もちろんただで徴収するわけではなく誰から何をどれだけ徴収したかを明記した証文との交換であった。
そしてその証文は幕府の名誉にかけて償還すると明記されている
また、武力や詐術によって不当に食糧品を得たものはどんな身分であれ須らく打ち首とする。
これは当初は厳格に適応され恐怖をもって命令の強制性を保つものだったが、のちに恩赦により身分剥奪の上での強制労働刑に改定された。
人的資源さえ無駄にするべきではないとの意見が出たのと、違反した千石取りの旗本の首が晒された時点で幕府は完全に本気だと周知されたためだ。
幕府から民衆へ命令が発せられるより少し前、諸藩へ同様の内容が幕府からの厳命として通達された。
その内容に諸藩は当然激怒した。
領内の統治に口を出されることになる(それも気が狂ったとしか考えられない命令だ)藩主が普通なら納得するはずもない。
しかし、大半の家はその大名家に属する夢幻会員が幕府側から送られた資料を示し命を懸けて説得した。
幕府側も謀反の兵をあげても冬場では行軍に支障が出るし春になればそんな余裕など決して残りはしないと見切っていた。
それでも実行する馬鹿が出たなら正面から粉砕する覚悟であった。
そして幕府が先んじて江戸と天領において先の布告をしたのを受け命令を受諾し領内への布告をするに至る。
122 :フィー:2014/12/31(水) 21:47:08
いつもの料亭を会合に使うと顰蹙を買う程度では済まない状況のため江戸城内の屋敷の一室に夢幻会の面々が集まっていた。
年末年始と諸藩との折衝や民衆への布告と実行準備に追われ疲れを隠せない者も多い中、今後の政策についての会議が行われている。
「さて、ここまではどうにかなりましたが、問題はここからですね。いかに不満を抑え込みながら暴動に発展させないようにできるか、それによって今後の未来がだいぶ変わってしまうでしょう」
「完全には無理だろうが最低限に抑えるぞ、どんな手段を使ってでもだ」
「それには食糧供給を滞らせないのが一番の優先事項な訳ですが。まずは温室の進捗からですね」
「材木は大半を押さえました雪が降り積もる前に温室は予定数建てることが出来そうです。加工場では同一規格品の大量生産とライン化でかなりの効率で作業が進んでいます」
「不良品もそれなりには出ているようだが・・・まぁ、町民に配給する分も温室の暖房の為にも薪と断熱用の木屑はいくら出ても困らんからな。今後の為にもこの手の概念を定着させるよう他の業種にも展開を急がせねば」
「・・・大きな板ガラスが製作できないから仕方ないとはいえ、屋根に天窓が大量に開いている上にステンドグラスみたいになっているんですが、強度面で大丈夫なんですか?これ・・・」
「ただでさえ少ない日照量を確保するためには現状の技術レベルではこうするしかないのです。電灯が使えるならもう少しやりようもありますが照明がランプの類だけではとても・・・。それに強度計算はきちんとしてますから大丈夫です。雪下ろしは必須ですが」
食糧供給の面ではいくつもの温室という名の簡易植物工場を建設し促成栽培を大々的に行っていた。
このほか漁業を大いに奨励し正体不明の魚についてはどうにかして食べられるように試行錯誤を繰り返したり、虫色など一定の地域でしか行われていないものも全国へ周知させている。
さらには街道の整備と維持に人員を投入し地方との流通が途絶えることを予防している。
同時に希望者を募り取り残された南蛮船を旗艦とし既に見つかっていた南の陸地への入植も進めていた。
航路が確定し食糧の自給が可能になればそれだけ負担が減らせるし火星の植物や獣が食用にできるかという実験的な意味もある。
計画は多岐にわたり見切り発車的に進められるものも少なくない。
しかし、諸藩との連絡を密にし成果を全国へ展開できるよう体制を整えつつあった。
*
如月の初め
「それでは、頼む。どうかできる限り広くに伝わるように・・・」
「お任せください、必ず彼らにこの情報をお届けします」
降り積もる雪の先へ向かう使者達を見送りながら男は自らの無力さを噛みしめていた。
蝦夷地は松前藩。
この北限の藩へやって来たのはアイヌへの警告を送るためだ。
現時点では事実上の他国であるため支援することは出来ないしその余裕も無い。
幕府は諸藩と連携しての冬季対策に精一杯だったし自分に単独支援ができるような力は無い。
しかし完全に何もしないという選択肢を選ぶことは出来なかった。
握りしめた拳から血が滴るのもそのままに”かつての”自分が属した民族の苦境に何もできないことに耐える。
今の自分は江戸幕府の幕臣であり”今の”日本のために働く義務がある。
たとえ、幕臣として働いていた理由が対アイヌ政策において一定の理解を根付かせるための土台作りの為だったとしてもだ。
(調整に手間取ったせいでここまで来るのが遅くなってしまった・・・。だが、たったこれだけしか出来なくても何もしないよりは・・・!)
元々狩猟採取で生計を立てている民族なのだ、冬は冬で獲物を探しつつ集落ごと自給しているはずだ。
予備知識があれば、心構えさえ出来たなら、生き残ることだってきっとできる。
今はこうして祈ることしかできないが、せめて春になり余裕ができたならもう少し何かができるはずだ。
(だから、どうか、どうか・・・!)
江戸よりも遥かに長い冬の中にいる蝦夷地。
日本にあって未だ日本ではない北限の地は深い雪の中に閉ざされたまま、春の訪れを待ち続けている。
123 :フィー:2014/12/31(水) 21:47:39
*
文月の中ごろ
江戸城内の廊下でふらふらしながら廊下を歩く友人に声を掛けた。
「ああ、久しぶり。元気そう、ではないな隈すごいぞ」
「それは、こっちのセリフだよ。ふらふらしすぎだろう」
久々に会った友人と笑いながら雑談を交わす。
こうして"昔<史実>"を知る友人と話せる時間は貴重だった。
「リリーホワイト早く来ないかなぁ」
「いきなりどうしたよ・・・。そもそもあれは春になったら来るんであって春を呼べる訳じゃ・・・」
「リリー、リリー、春告精はドコカナー フフフ」
「おい、おい!帰って来い!」
「・・・ああ、すまんちょっと意識が飛んでいたわ。ハハ・・・」
「いや、気を付けろよ・・・」
隣を歩く友人を横目に見ながら、
(ああこいつかなりキてるな・・・。今の状況じゃ無理もないが)
そんなことを思いつつ会話を続ける。
「いったいどれくらい寝てないんだお前は・・・」
「いや、仮眠はとってるよ?仮眠だけだけど。でもやっと江戸中の温室の状況まとめ上がったからな。上がって来た報告だけじゃなくて江戸中の温室全部見て回った甲斐はあったさ」
「部下の報告をまとめろよ。そこは。お前が死ぬぞ」
「今は食糧の生産情報が何より大切だからなちょっとでも正確で有用な情報を報告しなきゃだし」
それに、と続ける。
「文章だけの報告書が上がって来ても内容分かリ難いんだよ・・・。主観ばかりで客観的なデータが足りないし。部下引き連れて報告書の書き方から実地で教育必須だったわ」
「ああ・・・それはうちの所もそうだったな・・・。現代式の統計の効率性が今ほど身に染みたことはないな」
「だろ?あと統計ソフトとか電卓とか、そんな贅沢言わないから。せめて鉛筆ください。筆字の分かり難さが辛いです・・・」
「前聞いた話だと試作くらいは作ってた筈だぞ。早く実用化されるよう嘆願書くらいは出しておこうか」
はぁっ、とため息が重なった。
「ま、報告が終わったら久しぶりにゆっくり眠るさ。ある程度軌道には乗ったし、直ぐどうこう出来ることも、もう無いしな」
「はぁ、城内に部屋の用意頼んどくから終わったらそっちに行け。その状態で帰るよりましだろ」
力なく笑う同僚を見ながらそう言った。
「ありがと。じゃ、俺はこっちだから」
そう言って手を振りつつ角を曲がっていく同僚を見送りながらふと外を見た。
眼下には一面の雪景色が広がっている。
(ふぅ、春告精か、まだ熟睡状態なんだろうなぁ。そろそろ起きてくれないと本気で拙いんだがなぁ・・・。)
未だ溶けない雪を見ながらそう思った。
124 :フィー:2014/12/31(水) 21:48:25
*
「葉月の終わりまでです」
その言葉に鎮痛な雰囲気が会議場を包んだ。
「騙し騙しやって来ましたが葉月の終わりまで冬が続くようなら完全に備蓄が払底します。もう切り詰められる部分もありませんしここが限界です」
いくつものため息がもれる。
集まっている面々も疲労がにじみ出ており常の騒がしさは鳴りを潜めていた。
「しかし、温室からの生産分やら南方からの物資輸送やらもある程度軌道に乗って来ているのだ、もう少し持たないのか?」
「いえ、幕府本体のみで考えればさらにひと月以上の余裕は出せます。しかし東北地方の備蓄が枯渇しています。そちらに振り分ける分を考えると、とても・・・」
「早く冬に突入した上に元々の生産能力自体も大きくはありませんでしたからね。むしろよく持った方ですよ」
「地方を切り捨てるという選択をする時期はとうに過ぎています。一日も早い春の訪れを祈りながら走り続けるしかありませんな・・・」
選択肢として地方の切り捨てが浮かんだ事も数か月前には確かにあった。
しかし、それを選んだ瞬間に統一政権としての幕府は致命的な傷を受けることになる。
ここを生き残ったとしても今後の統治に多大な影響が出る以上禁じ手以外の何物でもなかったのだ。
「計算上から考えてもそろそろ春になってもおかしくありません。気温はじりじりとですが上昇に転じていますし九州ではもう春の初めと言っていい所まで来ているんです」
「あと少しか・・・。日照量が少ないせいでなかなか解けない雪が厄介だが、あと一月、ギリギリだな・・・」
「せめて暖だけは取れるよう燃料の配給や集会場の暖房は絶やさないようにしましょう。白湯でも配っておけば体を温めらますし、それだけでもだいぶ違いますから」
諦観に支配されそうになりながらも僅かに見える希望を頼りにここまで来た。
限界は近い。
しかしそれは今すぐではない。
終わりの時まで全力を尽くし走り続けようと、会合はそれを確認し閉会した。
*
葉月の―――
ゆっくりと上がって来た気温に誘われて福寿草が顔を出す。
深い雪に閉ざされながらも植物はその身を縮め春の日を待ち続けて来た。
樹の皮を喰らい僅かな獲物を探し求め数を激減させながらも生き残った動物たちも雪のない開けた場所に降りてくる。
雪に埋まり何もかもが死に絶えたように見える場所であっても春になれば生命の息吹があふれ出す。
多く命を凍らせ彼岸へと運んだ冬は去り、誰もが待ち望んだ春がやって来る。
最終更新:2015年01月17日 15:32