354 :ひゅうが:2015/01/04(日) 01:16:15


  惑星日本ネタ――――「水星(火星)年代記のようなもの」 その12 【及第】



――――西暦1983年1月2日
月軌道のソ連の水星探査船「アブローラ」はアメリカ船に遅れること10日で発進。
それから2日後、大英帝国の探査船「エクスプローラー」が発進。
いずれも原子力ロケットエンジンの噴射によって地球圏を離脱し、水星への航路をとる。
平均飛行時間は5ヶ月あまり。
アメリカ船は巨大でありそれゆえに原子力ロケット3基を有する強力な噴射で4ヶ月半ほどでの到着を可能としており、英国船は新型の高性能炉心(トリウム溶融塩炉)を用いることで最大のペイロードを有しつつもこれからわずかに遅い5ヶ月ほど。
ソ連船は、英国船よりやや少ないペイロード内に調査機器と水星側への「贈り物」を詰め込み、5ヶ月半ほどでの到達を実現することになっていた。
70年代の計画では半年から9ヶ月を要していた計画は、技術的な進歩と打ち上げロケットの大型化により重量制限がそれほどシビアでなかったために複数機の原子力ロケットエンジンを投入することで最大半分近くまで短縮できたのだ。
原子力機関に一日の長を有する大英帝国が最大の貨物積載量を有している点は興味深いが、
米英両国はもとより、86年に迫っていたハレー彗星接近に伴う共同探査計画をともにしていたソ連とも協力体制をとっていたことはさらに興味深い。
共同規格で、宇宙船の救難キットを設けることは当然だが、遭難した宇宙船を後ろの宇宙船が救助して水星へと乗組員を連れて行く程度の余剰物資も搭載されていた。
水星上に人類の食べるに適する物資が存在していることはすでに伝えられており、彼らはいざとなればそこから宇宙食を作り帰還時に使用することも考慮していたのである。

「遭難された方の受け入れについては我々が責任を持ちます。名誉ある我らのゲストとして遇することをお約束いたします。」

それが日本の首相として福田前首相からの禅定を受けたばかりの中曽根という名の総理大臣からの公式回答だった。

「わが国は、水星に対する蒼星の平和裏の行動を阻害しないことを約束いたします。
ようこそという挨拶と握手、そして抱擁にいちいち口を挟むほど我々は狭量でも偏屈でもありません。」

こう続いた返答の末尾には、当初ほとんどの人々が注目しなかった。

「技術的に劣位にあるために信義を重視し、それを地球側にも遵守することを求めているのではないか。」

そうキッシンジャー大統領補佐官が延べ、合衆国がそれに従うことを選択したように、各国ともに襟を正しただけだった。
だが、その意味をこれから半年後の人々は再び考え直すこととなる。

355 :ひゅうが:2015/01/04(日) 01:16:50

だんだん小さくなっていく地球を見つつ、心も持ち大きくなっていく水星とその月であるイザナミの姿に乗組員たちは胸を躍らせていた。
そしてだんだん大きくなっていく通信時差にも。
幸いというべきか、この人類史上最大の大冒険のために三大国は大きな努力を傾けてテレビ放送を送っており、これはのちの水星航路の基本となっていた。
航海中の船にとって一番の問題は暇つぶしであることを彼らは知っていたのだ。
暇をもてあました人間は、倦む。
だが長い航海の間、3隻の宇宙船は暇という言葉から解き放たれていた。
地球との定期交信に加え、新たな航路の情報収集、そして余暇にはテレビ番組を通じて大学の公開講座に参加したりもしている。
そして、巨大な宇宙船と水星に向けて贈られる予定の物品をおさめる余裕のある設計は、自分の体重未満であれば私物の持ち込みすら可能だったのだ。
その中身は、個人的に水星に持ち込まれる「お土産」のほかは、お気に入りの書籍や、マイクロフィルム化されたそれらとその読み取り機、レコードなどが多かった。
そして誰もが持っていたのが、カメラとフィルム。
だが、水星上で使用するためにこれらは当分の間しまい込まれた。
このためNASAやソ連宇宙庁、大英帝国宇宙機関(GBAA)が記録用に積み込んでいたカメラとフィルムが船内での記録では使用されこの頃の宇宙船生活の貴重な記録を現在に伝えている。

4ヶ月が過ぎた頃、宇宙船に搭載されていた望遠鏡は、最大望遠でついに水星圏の夜の姿をとらえた。

「水星の地上は予想以上に明るい」

そう、オルドリン船長は手記に記し、電波を通じてNASAにこれを送っていた。

「ことによると水星の生活レベルは思った以上に高いかもしれない。」

「大日本帝国というのは、第1次大戦前のドイツ帝国のように豊かな社会を築いているのではないか。」

そんな記事やコメントが世界に届けられた。
宇宙船は、政治的な都合から大接近が起こる4年前に水星を追いかけるような形で進行したためにいったん水星公転軌道の外側まで出てから水星の引力に引かれて減速と接近を行うというルートを採用している。
そのため、夜の側の北半球(軌道面が地球軌道面に対しわずかに傾いているため)からの接近はこの時期まで水星の実情を押し隠していたのだった。

そして、西暦の1983年5月10日――突如としてアメリカ船「ニュー・ホライズン1号」に対して水星からの通信波が届く。

「こちらは大日本帝国『宇宙軍』。貴船のイザナミ管制圏内進入を確認しました。
ようこそ水星へ! 貴国と蒼星からの客人を歓迎いたします。『宇宙港』の検疫施設において一時逗留願いたくあります。」


「これは、いわゆる水星のジョークかな?」

「いやまさかそういうものじゃないだろう。彼らの指定した座標――水星の月(ティトゥス)軌道上へと修正噴射を実施すべきだと思う。」

オルドリン船長とアームストロング副長はそう言葉を交わし、後続の英国船とソ連船へと通信を送った。

―――彼らは「及第点」をとった。

西暦1983年5月13日、イザナミ軌道上において、二つの星の人類の宇宙船が会同する。
一方は、宇宙軍内惑星艦隊第1艦隊に所属する満艦飾に飾られた艦艇たちと、木星への「定期便」に属する超大型艦たち。
もう一方は、はるか遠景の超大型艦と似た形状でありながらもはるかに小型の探検船。
いずれも、武装は有していたが、互いにそれを向けるようなことはなかった。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2015年01月17日 15:42