215 :ひゅうが:2014/12/20(土) 23:01:12
惑星日本ネタSS―――「水星(火星)年代記のようなもの」その8 【恐怖の連鎖】
西暦1890年4月1日早朝 その日の正午、大日本帝国政府は重大発表を行うと予告。
全国民に対し可能な限り放送を聞くように呼びかけた。
各報道機関をはじめ、ネットワーク化が進みつつあったソーシャルメディア(互連報道)群は解説員となるボランティア(奉仕活動従事者)に事前依頼を開始。
電子百科事典や図書館サーバーはアクセス殺到に備えて予備回線の開放を開始した。
国民の大多数は、今回の発表が宇宙開発か基礎所得配分政策の変更と考えていた。
そしてそれは正しかった。
正午、帝国宰相(憲法上は総理大臣とは別である。これは非常時の宰相権限者が副総理、上下院議長、内務大臣、国防大臣と継承されるためにあえて別格とされたためである)官邸の記者会見場に現れた面々を見て、人々は首を傾げた。
内閣総理大臣 伊藤博文、帝国宇宙庁長官 長岡外史がいるのはわかる。
だが、国防大臣 山縣有朋、帝国学士院総裁 勝海舟、そして物理学者や天文学者に軍人たちが集い始めたとき、人々はこれが容易ならざる事態であることに気付く。
帝国三軍が緊急発表を行う時は、大規模災害か海賊対策のような大規模騒乱、そして記憶に新しい隕石接近のような国家の緊急事態であることが多いからだった。
国旗に一礼した伊藤総理大臣は、わずかに疲れを見せた顔でこう切り出した。
「国民諸氏に喜ばしくも悩ましい発表をしなければなりません。皆さん。去る2月、わが帝国宇宙庁が打ち上げた蒼星探査機による精密観測により、あの蒼星に知的生命体が文明を築いていることを確認いたしました。」
記者たちがついにきたかと陽性の驚きを示し本社へ連絡をとりに駆け出そうとするのを「ただし!」と制し、伊藤は続けた。
「異星起源生命体ではありません。われわれと同じ、人類です。
さらにわが科学陣や学者諸氏は古記録との対照作業により『元和の大天変』の真実に一応の見当をつけました。」
その瞬間、人々の頭の上には大きな「?」マークが浮かんでいたことだろう。
いきなり話が過去の歴史的大事件へと飛んだためである。
「われらの故郷である日本列島は、かつてあの蒼星の地上に存在し、何らかの宇宙的作用によって我々が現在暮らすこの太陽系第4惑星『水星』上へと一瞬のうちに移転したものです。
そして、消失したと思われた外国は未だに健在、なのであります。」
日本列島だけではなく、水星全土が大混乱に叩き込まれた。
216 :ひゅうが:2014/12/20(土) 23:01:45
西暦1891年7月、水星暦では3月。
帝国議会は会期満了を待たずに解散。
第3次伊藤博文内閣は総辞職し、下院全議席と上院連邦選出議員の入れ替えを行う総選挙が開始された。
最大の焦点となったのは、明らかになった蒼星への対応。
当時の政友会は、消極的ながらも将来の接触を目指しての宇宙計画の拡充と軍事力の強化を提唱。
対して右派である立憲帝政会は軍事的オプションによる蒼星遠征も含めた大軍拡を提唱。
左派である自由政府党は宇宙計画の縮小と星上開発の推進による義勇国防隊構想を主張した。
他にも軍事力全廃による平和的接触と技術援助を主張した泡沫政党も存在したが、これは誰にも相手をされなかった。
選挙の結果は政友会の大勝。
日本史上に希に生じる過剰な防衛反応そのものだった。
白村江後の国土防衛態勢の整備しかり、元寇への対処しかり、そして元和の大天変しかり。
また、同時に国内で根強かった完全福祉国家への移行論は完全に棚上げされた。
それを熱心な推進者たちですら受け入れたあたり日本人たちの恐怖感は相当だったといえる。
そしてそれは、大軍拡のはじまりであった。
まず宇宙基本法が改正され、宇宙空間拠点の軍事化に向けた調査が開始。
地上では、宇宙空間へ迎撃用誘導弾を打ち上げる発射基地が各所に設けられ、海上や海中への兵力展開を容易にすべく海上艦艇の増産が開始された。
高速鉄道上に展開できるミサイル列車ですら生産されたのだから常軌を逸しているといってもいいかもしれない。
また、開発が細々と計画されていた純粋水爆開発予算が前年度の1000倍にも達する予算を執行され、航空機の量産と空中待機が開始された。
宇宙空間に部分大気機動(宇宙空間に常駐しているものの有事の際は大気圏上層部に浅い角度で突入し水切り石のように「ジャンプ」を行うこと)を行う超大型迎撃機を数機配備し奇襲攻撃に備える中間迎撃機計画が始動したのもこの頃である。
最終的には、月軌道外郭の早期警戒衛星網と、月軌道に同期して存在する水星圏防衛陣地、月・地球軌道間に展開する宇宙艦隊、水星軌道の二段階にわたって展開する迎撃宇宙機群という防衛態勢の構築が構想され、この後数十年をかけて実現。
のちにこれに「外惑星艦隊」と「内惑星艦隊」といわれる機動打撃戦力と、地上の大口径電磁加速砲と長射程ミサイルが加わり合理化が行われ、水星の防衛態勢は基本的にこの形を維持していくことになる。
(余談ながら、これを見た後世の総研の人々が監修したのが「ACEC○MBAT」
シリーズと「航空宇○軍史」シリーズであるという)
もちろん、軍事力の整備だけで彼らは終わらなかった。
月面の重要性はさらに増しており、地球軌道上の2基の宇宙基地に加えて人工重力の発生を考慮したドーナツ型回転構造の軌道ステーションの構築と、恒久月面基地の拡張が宇宙庁の喫緊の課題となった。
さらには、内惑星系への航路調査に加え、ある程度の縦深を確保できると思われた木星圏や小惑星帯の資源地帯への進出が企図され、多くの探査機が打ち上げられた。
その第一の頂点となったのが、計画から10年遅れの1904年に発進した内惑星系有人探査船「さきがけ」だった。
地球側の探知を警戒して放熱板以外は艶消しの明灰色で覆った探査船は往復2年半をかけて蒼星軌道へと達し、十数機の着陸機を太平洋上と大西洋上と降下させて情報収集を行った。
217 :ひゅうが:2014/12/20(土) 23:02:41
極めて危険な任務であると判断されたために個艦防衛火器をはじめ、着陸機には自爆機構が設けられたものの、地球側はこれを外惑星からの探査機であると判断できなかった。
しかし、英国諸島北部のホワイトヘッド沖合へ向かって落下した流星や北米大陸東岸などでどこから来たかもわからない気球らしきものが目撃されるなど、記録は残された。
この頃には、地球側も無線電信を実用化しており探査船は多くの電信情報を収集。水星上での解析によってほぼ精確に地球上の情報を判断することができたという。
その結果、蒼星こと地球上には統一政権が存在しないことが確認され、
アジアにおいては露清戦争の泥沼状態が続いていることが確認された。
また、「のぞみ」シリーズの調査時よりも技術的に急速な発達が確認されている。
水星の人々は、とりあえずは急速な侵攻が発生しないことに安堵しつつ、産業革命後の技術発展期にある蒼星に変わらぬ警戒感を持つ。
その警戒感は、地球軌道近傍に配置された電波傍受衛星が伝える情報によって徐々に増大していく。
ことに、20世紀初頭から開始された私的なラジオ放送の情報は貴重な資料として分析された。
水星側を恐怖に陥れたのは、特に米国南部で乱立していた私立放送局が垂れ流していた人種偏見に満ちた宣伝放送だった。
南北戦争後に急速に台頭したそうした団体による放送は、人々の恐怖をかきたてた。
「もしも彼らが我々の存在を知ったら、放送が主張するような黒人に対する弾圧のように我々を征服し奴隷化しようと攻撃を加えてくるかもしれない。」
今からみると笑い話のようだが、当時の人々はそうした恐怖をまことしやかに語っていったという。
こうした恐怖を推進力として彼らはせっせと国土や宇宙に手を入れていった。
そしてそれが正しかったと確信させる出来事が起きる。
――1914年、第一次世界大戦勃発。
盛んにやりとりされる軍用無線と、戦況の推移を伝える私的ラジオ放送は増大の一途をたどった。
そして人々は戦慄した。
1回あたり数十万名が死傷する戦闘、最終的には900万にも達する死、そして君主制の否定と処刑を伴った革命。
いずれも、当時の日本人にとっては受け入れ難い事柄のオンパレードだった。
1917年、帝国議会はそれまで提唱されていた平和裏の接触計画の無期限凍結を決議。
同年、宇宙軍は地球のそれとの区別のためにイザナミと呼ばれるに至った月と水星の間において、最初の宇宙空間核実験を実施した。
うち3発は、試作されたばかりの純粋水爆だった。
20世紀はじめの20年間は、水星にとっても地球にとっても恐怖の時代となったのである。
最終更新:2015年01月17日 17:09