412 :ひゅうが:2014/12/23(火) 12:52:39

惑星日本ネタ―――「水星(火星)年代記のようなもの」その8.5 【地球側の事情】



―――地球における水星学のはじまりは古代シュメールの時代からはじまる。
紀元前3500年頃に突如として世界史に出現したシュメール文明は、世界最初の都市文明であった。
彼らは1年が365日であったことも知っていたし、60進法で「1分が60秒」という常識を作り上げた文明でもあったといわれる。
彼らは天文学をもとにしてこれを作ったが、その中には天空にひときわ明るく輝く水星と金星の観測も含まれていた。
その中で水星は、その青い姿から水と関連付けられ、地母神ナンムが定期的に洪水を起こす主神エンキから淡水を遠ざけて定期的に雨を降らすように天空に挙げられた水であるとされた。
また、大洪水神話においては驕れる人類を罰するために神々がこの水を解き放ったともされる。
こうした水とのかかわりはエジプト神話においても同様で、水星はナイルの源流であり、天空を支える神ヌトが飲む水の源であるとも、女神イシスがつかさどる現世の水の源であるともされる。

ギリシア・ローマ神話では、天空神の象徴でありかつ1年半という公転周期から天空上で不規則な動きを示す(これは軌道面がわずかに地球とずれているためである)ことから運命の支配者であるという考えが強く、さらに古代神話の地母神の源的な印象がもたれたために「ゼウスの半身」として女神ディオーネーの星であるとされた。
音韻の転化によって狩りの女神であり処女神アルテミスと同一されるディアーナと習合されたこの女神は、よく知られるように現代の水星の英語名「ディアナ」や文語体・ロマンス諸語やロシア語での「ディオネ」「ディエネ」の語源となっている。
いずれにせよ、金星がその黄金色の輝きで人を魅了したように、水星はその青さと気まぐれさで人々を魅了した。

「水星の神は処女神であり、鉄壁を誇る武の神である。その恩寵を与えられたものは水に困ることはなく、しかし彼女を裏切ったものには不運の罰がくだる」

こういった神話のエピソードに、人々の水星への思いを見て取ることができるだろう。
また、キリスト教においてはその地母神的でありながらも天空神である性格をローマ神話から受け継ぎ聖母マリアの星であるといわれた。
軍神であるマルスの星といわれるさそり座の赤い主星はミカエルの星といわれ、水星は戦いで傷ついた人々の血を象徴するこの星に水を注ぎ清めているともいう。
神話は繋がっているのである。

こうして星空に神話を象徴していた時代が終わり、世界を細かくわけて考えるような学問が急速な発達を遂げていくにつれ、天文学という分野において水星は研究対象となった。
太陽の炎をもらってくるために地底の鍛冶神が空へ駆け上がるという神話から「ヴァルカン」とよばれた第1惑星火星とともにその軌道は天動説から地動説への移行をたすけるものとなったし、望遠鏡での観測で水星の「下部」は上部より幾分暗いために陸地があると18世紀にはすでに知られていた。
19世紀に入ると、望遠鏡技術の急速な発達によって水星の地形についても大まかな推定がはじまった。
大陸中央部に大きな湖が2つあること、そして北部の海洋上には2つの大きな群島が存在することはこの時代に判定された。
それだけでなく、この頃には水星上に「運河のような溝」が存在していることが確認されている。
これは当時多くの議論を呼んだのだが、最終的にはただの河川であるという結論が下された。
実際は文字通りの運河だったのだが、これは誤解が実は真実であったという皮肉な例だろう。
また、光のスペクトル分析から水星が地球とよく似た星であると判明し、炭素と酸素、そして水素が大量に存在していることが示されたときに水星は「生物が存在する可能性が高い星」として人々に知られることとなった。

413 :ひゅうが:2014/12/23(火) 12:53:14
こうした科学的な発見は小説家たちの想像力を刺激し、ジュール・ヴェルヌやあの有名なH・G・ウェルズの「宇宙戦争」のような名作サイエンスフィクションが誕生することにもなった。
後世、アメリカやドイツで放送されたラジオドラマを当の水星側も聞いておりこれが文字に起こされたことから著作権料が請求されたなどという国籍ジョークが生じるほどに(そしてそれは事実であった)こうした話は人々に好まれた。
月世界のように地下に生物が存在するといったガジェットを使わずとも地球によく似た自然がそこにあることは明らかだったからである。
現代までも続く「水星もの」といわれるSF群は、当初は南軍のジョン・カーター大元帥がといった未開の水星を文明化するという路線であったものが、のちに水星からの侵略といったものが多くなっているのが面白い。

文化的な興味に加え、科学的な調査は進み、20世紀に入る頃には水星には植物が存在し、動物もほぼ確実に存在するという結論に学者たちは至った。
そうなると、知的生命体の存在が次の議題となった。
まず考えられたのは、巨大な鏡とサーチライトを使って信号を送るという原始的なものだったが、これはあまりの規模から夢想的なものに過ぎず、電波を送ろうという考えも当時は指向性を持たせることができなかったために断念された。
最後に残ったのは直接探査という方法。
これが実現するのは、第2次世界大戦後を待たねばならない。
第一次世界大戦の結果、列車砲のような超長距離砲の保有が制限された敗戦国は代替手段としてのロケット技術の開発を開始。
ことに、重砲大国であったドイツからアメリカへ移民したフォン・ブラウンやオーベルト、そして敗戦国となったソ連のセルゲイ・コロリョフといった天才たちは第2次大戦中に長足の進歩を遂げる。
世界を敵にまわして戦い続けたフランス第三帝国と新華=ドイツ領(中華地域に存在した傀儡国家)が投入した復讐兵器は大戦後に宇宙ロケットへと変じたのである。

これにより、水星探査の実際の方策がたった。
この頃までには、水星地上から放射される微弱な電波解析の結果から水星には文明が存在していないという判断が下されていた。
そのため、無人探査機の投入という方法がとられ、大英帝国とアメリカ合衆国、ソ連間の国家の威信を示す手段となっていった。
だが、1964年に投入され水星上空1万キロを通過した英国の「ディアナ5号」をほぼ唯一の成功例として探査機投入は技術的困難から次々に失敗した。
地球軌道の外側をまわる水星への探査機投入は独特の技術が必要であったのだ。
(なお、水星側は妨害行為をしていない。)

もとから月に全力を注いでいたアメリカに追随し、各国は目下の月レースに全力を投入するものとして60年代から70年代を過ごす。
1974年、月面に到達した米英ソ三国は次期ミッションとして水星への有人探査をそれぞれ策定。
1986年の水星大接近の機会を利用しての有人探査を目標とすることになった。
1976年、打ち上げられたアメリカの探査機マリナー6号および7号は水星上空3400キロを通過。
地形情報を含む多くの写真を地球へと電送。
続いて打ち上げられたマリナー8号および9号と、バイキング1号と2号は水星軌道上への投入と地表への軟着陸を目指して「水星艦隊」といわれる集団を組んで飛行。
1979年12月、ついに水星軌道への投入に成功する。
そして人々は驚愕する。

「水星地上に知的生命体の文明を確認。」

それが結論だった。

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最終更新:2015年01月17日 16:31