617 :ひゅうが:2014/12/26(金) 11:43:32
惑星日本ネタ――――「水星(火星)年代記のようなもの」その9.5 【接触開始】
――――西暦1979年12月24日 アメリカ航空宇宙局(NASA)は緊急記者会見を開く。
「水星に知的生命体の文明を発見」
そのニュースは、のちに日本列島とわかる龍のような弧状列島の夜の姿とともに発表された。
ちょうと帝都東京を南から見上げる形のその写真は、冬晴れの大気の中に人口3000万に達する巨大都市圏の灯火を映し出し、火山雷論争といわれた水星大気中に想定された継続的な放電が存在せずに「ただ灯火があっただけ」という単純な事実を人々に告げていた。
アナログ放送・通信電波が存在しないから文明が存在しないという思い込みが生んだ惑星物理学的な問題はこうしてあっさり解かれ、人々はこの「クリスマスプレゼント」に驚愕と興奮を思う存分楽しんだ。
「いつ水星人とコンタクトするんです?」
「可及的速やかにです。」
記者の質問に報道官がそう答えた通り、NASAは急ピッチで接触への準備を開始する。
この2年前に打ち上げられた外惑星探査機ボイジャーに搭載されたレコード盤の監修を担当した天文学者カール・セーガンをプロジェクトリーダーとして、「合衆国大統領の親書を水星へ届ける」という至上命題が与えられた。
すでに、月面着陸で宇宙開発のトップランナーとしての誇りにケチがついていたソ連は今度こそ一番乗りの座奪還を目指して突貫作業で探査機の改造を開始しており合衆国としてはこれに敗北することは許されなかったのだ。
さらに、NASA長官となっていたヴェルナー・フォン・ブラウンの指揮のもとで86年の到着を予定されていた有人水星探査船計画への予算も増大。
後期アポロ計画後に完全に宇宙開発を「経済的」に代替すべく議会の圧力で開発が開始されていながらもサターンロケットの存在によってコスト面で完全に劣勢となっていたスペースシャトル計画はこのあおりを受けて妥協を余儀なくされ、最終的には水星着陸船の帰還船として生き残ることになるが、それは余談である。
当初は、言語からして地球と根本的に違うと思われた水星人にメッセージを分からせるための絵図を考えて親書とともに添えるといった対応が考えられたのだが、それではあまりに時間がかかりすぎると判断されたことから彼らは別の対応をとった。
放射線からの防護がなされたコンテナの中にフィルムと映写機を入れ、絵図はその使い方を示す。
そしてそれとともに通信機を送り、直接コミュニケーションをとろうというのである。
強引だが確実な手段だった。
当時は、水星には文明は存在するもののその技術レベルは19世紀中盤以降レベルであると考えられており、通信技術は無線が発達しなかったのだろうと彼らは考えていた。
そのため親書を送ってもその返信を得るには無線機器が必要であると彼らは考えたのである。
アポロ計画での月面着陸後に運用終了するはずだったサターンロケットは、71年のソ連の月面周回と着陸探査による計画延長によってなし崩し的に運用が延長されてこの時までに何種類かの派生型が生まれていた。
そのために深宇宙軌道へ大型探査機を送り込む手段を彼らは持っていた。
さらにはサターンロケットの製造ラインにおいて組み立て中だった定期月面人員交換用の機体を転用することで打ち上げを早めることができる。
探査機自身は、製造されていたボイジャーの予備機2機を博物館行き前に急遽転用、着陸機もバイキング計画のものを転用することで製造の手間を最低限に。
そして通信中継用に3機の孫衛星も搭載し、伝送系も万全とした。
そんな彼らを焦らせることが起こる。
1980年1月、大英帝国宇宙開発部は赤道上のクリスマス島基地から初の着陸機を搭載した水星探査機を打ち上げた。
さらに翌月にはソ連がバイコヌール宇宙基地から同じく着陸機を搭載した水星探査機を打ち上げ。
いずれも国旗ペナントを搭載しており、あわゆくば水星上に領有権を主張しようとするのは明白だった。
国連宇宙条約によれば、月その他の天体は南極同様に領有が禁止されていたのだが、水星上に国家があるとしたらそことは違う無主地については地球同様の国際法が支配すると考えることも出来る。
なぜなら宇宙条約の規定をそのまま適用すると水星上の国家は存在することが違法ということになってしまい、かの国家を合法としてもそれが支配していない部分のみを宇宙条約の対象とするのならかの国家がそれを知ったとき先取権を主張することができなくなる。これは主権の侵害であるために国家の自然権と矛盾する。
要するに、水星上は帝国主義的な領土分割の論理が介在する余地が生じてしまうのである。
あくまでも地球の国際法によるとという但し書きがつくのだが。
618 :ひゅうが:2014/12/26(金) 11:44:30
そして地球そっくりの環境が存在することはさらに彼らにとり魅力的であった。
水星上の生物人口は、19世紀程度とされた文明程度からの推定と平均光度からの推定の2つがあったが、それらいずれも5億人程度とされた。
というのも、彼らは地上の灯火の多さと強さを白熱電球のものではなくアーク灯のものだと考えて都市の全体照明にそれを使っていると考えていたからである。
そうでなければ、地球上で問題となっていた煤煙と大気汚染による窒素酸化物がもっと多いはずだったからだ。
LEDを照明として使用しているなどというのは彼らの理解の外だった。
着陸機として降下したバイキング1号と2号が生物を検出し、さらに大気組成中の汚染物質がきわめて少ないということを検出していたのもこの想像を補強した。
最大5億人、常識的には2~3億人というと、人口密度から考えても確実に無主の地が多く存在する。そして地球そっくりということは資源地帯も多いだろう。
いや、確実にまだ採掘されていない資源――石油やウラン鉱石などが存在するはずだ。
英ソは先取権を主張すべきという法律学者の提言に従ってペナントを送り込んだのだ。
86年の大接近に伴う水星有人飛行においては、こうしたペナント部分に人間が国旗を立てるつもりだったという。
合衆国はあわてた。
だが、彼ら一流のプライドはそうした帝国主義的な領土拡張に拒否感を示し、逆に水星上の国家のひとつとでもコンタクトをとりそのかわりをするという選択を示す。
偉大なるニクソン大統領の後を継ぎ副大統領時代から推進していた宇宙計画を本格的に押し進めていたケネディ政権は自信にあふれており、議会からの詰問にこう答えた。
「自由と民主主義は普遍的な原則です。水星の国家から領土をかすめとるような行動よりも、我々が彼らを助けることこそが二つの星の未来にとってどれほど建設的でしょうか。」
保守派のように水星に民主主義を広めるというような放言を彼は行わなかった。
若き副大統領であった頃と違って落ち着いた性格になっていた彼だったが、情熱はまったく変わらなかったのだった。
1980年3月、ケープカナベラル宇宙基地を
アメリカが満を持して放つ宇宙探査機が飛び立った。
サターンV-Cロケットが4本の固体燃料ブースターによる強力な加速力を発揮して100トン近いペイロードを載せた上段を強引に持ち上げ、2段目は地球軌道へ、3段目は月軌道のさらに向こうへの噴射を成功させた。
6ヶ月後の水星到着という予定は、先に打ち上げられた英ソの探査機を強引な噴射で抜き去ることを意味していた。
そして、1980年9月1日 東部標準時7時02分。
「こんにちはアメリカ。こちら水星。蒼星の皆さん聞こえますか?(Good morning USA! This is a call from the Dione to the Earth. Can you hear my voice?)」
きれいな発音の女性のクイーンズイングリッシュがヒューストン管制センターと生中継の前の人々の耳を打った。
最終更新:2015年01月17日 16:34