718 :ひゅうが:2014/12/15(月) 01:27:21
惑星日本ネタ―――「水星(火星)年代記のようなもの」 その6【激震】
――西暦1855年12月23日 本土標準時において午前9時30分。
日本列島東海道は遠州灘の南方約80キロにおいて大東洋プレートと東日本プレートの境界が実に300キロあまりにわたって破断。
膨大なエネルギーを解放し、その力を直上の海水と陸塊にと伝達した。
それは、巨大地震と津波という形で四方へ発散されていき、直近の日本列島へと高速で進行をはじめた。
最初にその兆候をとらえたのは、海底に敷設されていた地震・津波計だった。
海底ケーブルをつたって情報を帝都東京へと伝え、気象庁の電子頭脳はこれらが警報閾値を超えたことを認めて非常警報を各所へと響かせる。
相互表示機のブラウン管上に、推定地震規模が記されたとき、技官たちは思い切り目を見開いた。
「震規模(マグニチュード)8.8-9.0」
その数値は、150年前以来絶えて表示されたことのないものだった。
昼夜24刻(一日24刻へと改められてから100年余りが経過していた)体制で不寝番をしていた技官は迷うことなく手元のガラス板を破りスイッチを押した。
大日本帝国は、この時をもって「帝国国防体制基準3」に入った。
日本列島を分割する四つの州を通じて各所に瞬時に情報が伝えられたのは、御一新以来進められていた情報共有体制の成果に他ならない。
始業直後であったために交通機関での混乱は最小限でとどまったものの、各地の測候所から入る情報は緊急津波警報の発令に十分なものである。
関東地方では5分以上にも及ぶ地震の主要動は各所で建物を倒壊させ、さらには火災を発生させていた。
さらには情報が防災放送によって流れるにつれ、各所で人々は高台を目指し始めた。
のちに「第一次東京大震災」と、幾分誤解を招く呼称で呼ばれる大震災の、これがはじまりだった。
帝都東京などの大都市においては、とりわけ住宅街に被害が大きく、さらには東海道沿岸はところによって10メートル以上の大津波に現れた。
さらに、1日が経過した翌24日午後4時には紀伊半島南方を震源としてさらに同規模の大地震が発生。
南海地方一帯に加えて、前日の地震を受けた東海道沿岸も大津波が再び到来した。
続いて26日には九州・四国間においてマグニチュード7.5に達する地震が発生。
この地震は震源が深かったため、1000キロ以上も離れた日本海の向こうの瑞穂島や北海道で大きな有感があり人々を大きな不安に陥れた。
719 :ひゅうが:2014/12/15(月) 01:28:03
そして、人々は見た。
「本土が燃えている…」
緊急出港した帝国海軍艦隊や各地の駐屯地から発進した竹蜻機(ヘリコプター)や航空機に搭載されたテレビジョンカメラは、史上初の宇宙中継(衛星中継)で大陸の人々に大きな衝撃を叩きつける。
とりわけ、逃げる人々が炎に包まれた家屋とともに迫る大津波に呑まれていく姿、そして帝都東京を巨大な炎の竜巻が荒れ狂う姿はこの世の地獄を思わせた。
「助けなければ。」
各地の州軍はもとより、外地の24州は、本土の要請を待たずに全力での支援を表明。
政府と対決路線をとっていたものたちも含む財閥などの企業体も目の色を変えて海上航行中の船舶に指令を飛ばす。
「本土を救え!」
実に皮肉なことだったが、当時の年号をとって安政群発大地震と呼称されるこの3つの大地震は薄れがちだった日本人という一体感を水星の人類に与えることとなったのだった。
特に、外地訪問中であった第一皇女順子内親王と皇后が軍装を帯びた上で連合艦隊旗艦「常陸」に座乗し大陸から本土へと向かう際には港につめかけた多くの人々が万歳を叫んだという。
日本本土周辺に集結した船舶は最終的に600隻あまり。
うち、帝国海軍ならびに各州海軍は戦艦16 航空母艦14(大小含む)を含む大艦隊を本土近海に展開させて被災者救助を行うとともにと艦内を緊急時の住居として提供。
各地の州軍と陸軍の緊急展開部隊が東西800キロ近い被災地へと入るとともに、消火と救助、そして食糧輸送を担当しこれを実施した。
帝国政府は、特に時の宰相であった島津斉彬と小栗忠順内務大臣はよくやったといっていい。炎上する丸の内から退くことをよしとせずに消火を指揮したことは帝都防衛部隊や警視庁の士気を高め、さらには順延防止のために市街地への艦砲射撃を命ずる決断を下すなどの果断さはさすがは島津の末裔と帝都民がいうのも納得できるからである。
この後、帝国政府は結果的に醸成された一体感を糧として本土の復興とさらなる防災能力の強化に邁進することになる。
だが、災厄から人心地ついた日本人たちの前には、ある衝撃が待っていた。
それは、1858年に打ち上げられた無人探査機「蒼星3号」が9か月の航行の末に送ってきた天空に輝く青き星の情報だった。
「蒼星に知的生命体の存在確実。また、地形は古地図における日本列島周辺に酷似。」
送られてきた写真には、地球でいう北米大陸や朝鮮半島、そしてヨーロッパが映っていたのだ。
最終更新:2015年01月17日 17:11