524 :Monolith兵:2014/12/06(土) 05:11:26
ネタSS「握手」


 1987年、前年に地球から打ち上げられた火星有人探査機はとうとう火星へと到達した。
 これまで電波を用いた交流で互いの姿や文化、政治などと言った事柄を把握していたものの、やはり最後には直接会いたいと思うのは、地球人でも火星人でも同じであった。

「とうとうこの時がやってきたな。」

 時の大日本帝国首相は、閣僚らに感慨深く言った。
 日本は約400年前に原因は不明だったが、何故か火星へと転移してしまっていた。
 当時江戸幕府内で権力を掌握していた夢幻会は、度重なる異変にその事を理解していたが、だからと言ってできる事には限りがあった。
 日射量の不足と低温により日本は大飢饉を迎え、何とか火星の大地でも育ちそうな寒冷地の品種を全国へ普及させるまでの10年間で人口は3割も減少した。更に追い討ちをかけるかのように、各地で反乱が相次ぎ更に人口は減少した。
 だが、頼みの綱の寒冷地の品種はやはり収量が少なく、高収量品種を何とか作り出すまでに更に半世紀の時間を要した。この結果、日本の人口は一時800万を割り込むまでに減少した。

 何とか飢饉と反乱の時期を脱した日本だったが、そこから火星の大地の開拓と技術の開発に邁進した。人口の少なさがネックであったが、各地の口減らしの悪習を撲滅し多産を奨励した結果、何とか人口は1800年頃には史実程度にまで回復し、人口の増加に伴って開墾や技術開発も更に進んで行った。
 良くも悪くも、この間に大きな戦乱も無かったために、リソースの殆どを開拓と技術開発に費やす事ができた日本は、史実並かやや早い程度まで技術を発達させることができた。
 しかし、開墾は未知の病原体や生物との戦いの連続で、開拓団が丸ごと全滅するという事も少なくなかった。
 それでも、開拓は進められ1900年代にはいる頃には、火星に人類が足を踏み入れた場所は無いというほどまで開拓は進んでいた。

「1900年代中頃から我々は地球と連絡を取り合えるようになり、ようやく我々のルーツである地球人を火星に向かえる事が出来るようになった。」

「これまでの調査では、地球の技術レベルは我々と同等かやや上辺りらしいです。ですが、火星と地球の距離は日本にとって天然の要塞のようなものです。故に、地球人と平和裏に交渉する事が出来た。」

 首相の言葉に、国防大臣が続いた。
 20世紀に入り発達した電波技術によって、火星と地球は交流を持つ事が出来るようになった。これにより、日本の転移やその後の歴史が地球に知られるようになり、また火星でも地球の歴史や文化などが知られるようになった。
 そして、地球の歴史が火星に伝えられるに連れ、火星人達はある事を恐れるようになる。

「もし、地球人が攻めてきたらどうすればいいのだろうか?」

 地球の歴史は平和な時期が無いと言っていい程戦争続きであった。転移当初は兎も角、その後は一度も戦争らしい戦争を経験した事がない火星人にとって、地球人は余りに野蛮で好戦的な種族に思えてしまったのだ。
 だが、それは杞憂だった。火星と地球の間にある膨大な距離は、地球人から軍事オプションを奪っていた。その為、米ソは火星にいち早く辿り着き、日本と国交を開くかを競争し火星もまた地球へと宇宙船を送り込むべく計画を進めていた。
 そして、1986年の火星と地球が大接近する年に、日米ソは一斉に互いの星を目指してロケットを打ち上げたのだった。
 そして翌年の今日、とうとう地球からの使者を乗せた宇宙船が火星へと到着し、実に400年ぶりの地球からの来客に火星中が沸いていた。

「実際に地球からの客人に会えるのはまだ先の事だが、今から楽しみだよ。」

「ええ。しかし、その前に記者会見をしませんと。地球から日本へと、国交を開くべく厳しい航海を乗り切ってやってきたアメリカ人を称えましょう。」

 米ソの火星到達(国交樹立)競争は、アメリカが勝利していた。ソ連はロケットの不調から打ち上げ時期がアメリカよりも遅れ、それが火星到達の遅れに繋がってしまっていた。

「もうそんな時間か。では行くとするか。」

 そう言うと首相は椅子から立ち上がり、記者会見場へと歩いていった。
 そして、火星と地球の新たな関係が始まろうとしていた。

おわり

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最終更新:2015年01月17日 18:38