592 :グアンタナモの人:2014/12/06(土) 19:35:21
加論東高等学校、校舎最上階天文台、観測準備室。
かつては天文部の部室として機能していたこの部屋も、
一時在籍部員が零となったことで閉鎖され、長らく開かずの間と化していた。
しかし今年に入り、久方振りに三名の新入部員を獲得した天文部は、
部員数の関係で天文愛好会と名を変えたものの、活動を再開していた。
よって、この部屋も愛好会の部屋として再び開かれており、部屋の中にも人の気配が感じ取れた。
「うーん」
準備室の一角に置かれた机に向かい、金髪碧眼の少女が唸っていた。
机の上に広げられているのは、数冊の観光雑誌である。
いずれの表紙にも秋の京都特集と銘打たれており、
彼女が京都についての情報を集めようとしているのは明白だ。
では、何故集めようとしているのか。
それは彼女達学生にとっての一大行事とも言える修学旅行が間近に迫っているためだ。
今回、彼女を含めた加論東高校の修学旅行先に決まったのは、中津州京都府京都市。
大日本帝国連邦がまだ日ノ本と呼ばれていた頃の旧都であり、
天皇陛下が大遷都までの長きに渡って住まわれていた古都。
帝国で生まれ育った人間なれば、一度は訪れてみたいと考える歴史ある都市だ。
内地の学校が瑞穂市や水京(みずのみやこ)市を修学旅行先として選びたがるように、
外地の学校であれば、東京と並んで修学旅行先の候補にまず挙げるであろう。
そんな古都を訪問する貴重な機会に恵まれた加論東高校の学生達はにわかに沸き立っており、
金色の少女も沸き立つ学生達の一人に数えられた。
「……ねえ」
「どうした?」
金色の少女が座っていた椅子を回転させ、後ろで作業していた少年と向き合う。
肩に掛かる長さの金髪を遠心力でふわりと踊らせた彼女の手には、
右と左それぞれ清水寺と金閣寺の特集頁を開いた観光雑誌が掲げられていた。
「どっちが良いと思う?」
「いや、行きたい方にすれば良いんじゃないか?」
「それが決められないから訊いてるの」
どっちも捨てがたいのよね、と特集頁を自身の方に向ける金色の少女。
そんな少女を見て、少年は顎に手をやって考える素振りを見せ、それから思い出したように口を開く。
「そういえば、うちの班は清水寺だったかな」
「なら私は金閣寺にしよっと」
「おい、どういう意味だ」
「そっちが清水寺を観てくる、私は金閣寺を観てくる、後で感想を聞かせあう。完璧じゃない」
観光雑誌を膝の上に伏せ、ぐっと親指を立てる金色の少女。
一体全体、何が完璧だと言うのだろうか。
「ところでそっちは何してるの?」
「ん、これか?」
そこで金色の少女が少年が手にしているものに気付いたのか、そう訊ねてくる。
少年が持っているのは、軽銀(アルミニウム)合金で出来た直方体の箱だ。
その箱を床に置き、ぱちぱちと鍵を開けて、少年は中身を少女に示す。
「ほら、小さめの天体望遠鏡だよ。愛好会のだけど、学校に持ち出し許可を貰ったんだ」
「……まさかとは思うけど、京都でも星観ようって考えてる?」
「えっ?」
「えっ?」
何言ってんだ当たり前だろう、と言わんばかりの表情を浮かべる少年。
そんな少年の様子に、呆気に取られる金色の少女。
数秒の間が空き、金色の少女は思わず額に手をやる。
「そうだったね。そういう人間だったよね」
「何だよ、それ」
「だって京都よ? 星以外にも観るべきものがたくさんあるじゃない」
「いや、そっちも観るぞ? ただ星も観たいだけで」
場所によって観え方が変わるんだぞ、とは少年の弁。
それは知ってるけど、とは少年との付き合いが長く、
結構な天文の知識が蓄えられてしまった金色の少女の弁。
593 :グアンタナモの人:2014/12/06(土) 19:36:08
「こんにちは。遅れてしまい、申し訳ございません」
そこに観測準備室の扉が開かれ、一人の少女が静々と入ってきた。
濡烏の髪を後ろで結い上げ、それを髪留めで留めた少女は、
三名の在籍者を有する加論東高校天文愛好会、最後の一人だ。
「お疲れ様。何かあったの?」
「生徒会の仕事に少々時間を取られてしまいまして」
「それなら仕方が無いね。私も彼も別に気にしないわよ」
金色の少女が少年を見やりながら言う。
少年も軽銀合金の箱に再び鍵を掛けながら、首肯で応じた。
「ありがとうございます」
そんな二人に、濡烏の少女が笑みを返す。
何気ない笑みであるが、そこにもゆかしい雰囲気が感じられる。
これが所謂、名家の風格なのだろう、と少年は思った。
濡烏の少女は、この高天原でも有数の老舗海運企業の創業者一族に連なる人物である。
系譜を遡れば、江戸初期の廻船主にまで辿り付けてしまう、紛れも無い旧家の令嬢だ。
普通、こんな極々普通の高校の、ましてや前身の部活が
休部中であった場末の天文愛好会に属しているような人物では無い。
しかし、彼女はそんな世間一般の認識など瑣末と言わんばかりに、
生徒会活動や習い事と平行して、精力的な愛好会活動を行っている。
と言うのも、濡烏の少女も少年同様、大の天体観測愛好家であるからだ。
少年と金色の少女、そして濡烏の少女の出会い方もそれを如実に示している。
中学生時代、天体観測を目的に加論市内のとある山に登った少年と
彼に付いて行った金色の少女が山頂で出会ったのが、
何人もの護衛を横に、山頂の東屋の特等席を陣取っていた濡烏の少女であった。
それを切っ掛けとして、二人と友誼を結んだ濡烏の少女が加論東高校を受験し、
三人揃って天文愛好会を復活させたというのが、
この三人しか知らない加論東高校天文愛好会の真実である。
「あ、そういえば京都では何処に行くの?」
「私達ですか? 私達は桂離宮に。他にも回りたい場所はありましたが、班で話し合って決めました」
「桂離宮? あそこって確か事前に宮内省に申請しないといけないんじゃなかったっけ?」
「はい。なので申請致しまして、先日参観しても良いとの連絡がございました」
「おー……」
「流石……」
濡烏の少女の手際の良さに、金色の少女は感嘆し、少年も思わず同調してしまう。
「それにしても、今年京都に滑り込めたのは奇跡ね。まあ、水京も惜しいと言えば惜しかったけど」
「まあ、確かに。電映(テレビ)や写真では見たことあるけど、内地や瑞穂とも全然違う街並みだからなぁ」
「かつて遥か西にあったヴェネチアという国の街を再現しているんでしたね」
「資料を基に再現したんだっけ? だから、ネオ=ヴェネチアとも呼ばれてるんだよね」
濡烏の少女の言葉に、金色の少女は授業で習った記憶を辿る。
瑞穂より遥か東方。
京都が存在する日本列島を越え、
その先の巨大な蓬莱半島をも越えた先に位置する新瀬戸(あらせと)と呼ばれる内海。
水京市は、その一角に存在する学術再現都市だ。
この星において、学術再現都市は珍しいものではない。
元和の大天変。
四〇〇年ほど前に生じたとされる、世界規模の天変地異。
何らかの理由で高天原の周回軌道が乱れ、太陽から遠ざかり、
さらには海底が隆起して大陸となり、また大陸が沈降して海底と化してしまったとされる大事件。
これにより、現在の瑞穂と内地の間にあったとされる明や朝鮮。
さらには瑞穂の遥か西方にあったとされる和蘭や英吉利、西班牙などの国々も、
この際に発生した大規模な地殻変動に巻き込まれ、悉く滅びてしまったというの現在の定説である。
594 :グアンタナモの人:2014/12/06(土) 19:37:13
そして、学術再現都市とはそんな滅びてしまった国々の都市風景を
残されていた資料を基に可能な限り再現しようとしたものだ。
こうした都市が建立されたのは、大天変後の高天原に日本人が散らばり始めて間もない頃。
当時の幕府上層部が現地の気候に即した植民地を造るには、
現地にあったとされる街を再現するのが最適だ、と考えていたためだとされる。
この幕府の施策に基づき、瑞穂や天津にはちらほらと擬洋様式の建築物が建てられ、
それがいつしか学術再現都市として再編されていった。
ヴェネチアの都市を再現した水京市や、和蘭の都市を再現した風京(かぜのみやこ)市などが
そうした学術再現都市に当て嵌まる。
これら学術再現都市は観光都市、さらには研究都市としての側面も持ち合わせており、
再現された都市と連結した古典西洋学や基督教学を志す学生達が高天原中から集まっている。
故に連邦制とはいえ、ほぼ単一民族で構成されるに至った高天原にありながら、
かつての貴重な異国情緒を味わえる場所として大変重宝されている。
そのような思いを味わえるのなら、味わってみたいと思うのが若い彼らの特権であろう。
「とはいえ、復元したと言っても写真も何も無かった頃だろうし、実際どれほど似てるんだろうな」
「それは解らないけどさ。そこは雰囲気で楽しむものだよ。
ああ、でも、どうせなら風京市も悪くなかったよね。風車だよ、風車」
「和蘭の都市が基なんだっけ?」
「らしいよ」
「先祖の血が騒ぐ?」
「若干」
そんな言葉と裏腹に、金色の少女の碧い瞳はこれ以上に無く、まるで蒼球の如く輝いている。
天文愛好会に属しているものの、同時に文芸部にも籍を置く彼女は、
和蘭語や英吉利語といった、古典西洋言語に強い興味を抱いていることを少年は知っている。
それどころか、一般的な〝興味〟という領域を踏み越えているかもしれないということも。
何せ、彼女はこの高天原では数百と居ないであろう完璧な和蘭語話者であり、
そして和蘭語ほど堪能ではないにしろ、英吉利語も話せる多言語話者であるからだ。
興味は興味でも、一線級の。それこそ研究者としても通じる逸材であろう。
(……今の小僧奉公(アルバイト)を三年続ければ、旅行する分くらいは貯まるはずだ)
そんな金色の少女を見て、少年は思案する。
本来は愛好会で使うための新しい天体望遠鏡を買うために始めた小僧奉公。
しかしながら、生徒会会計たる濡烏の少女の伝と手腕により、
予期せず潤沢な資金を得てしまった天文愛好会は、新しい天体望遠鏡をあっさりと手に入れてしまった。
少年自身の天体望遠鏡を新調するという手もあったが、
それを叶えるための金額には既に達してしまっている。
ならば無理せず、小僧奉公を辞めてしまう手もあったが、それを思い止まる理由がこれだ。
金色の少女に、風京を旅行させる。
長年、幼馴染として天体観測狂いの自身に付き合ってくれた少女。
これくらいの褒美はあって然り、のはずだろう。
「? 何を難しい顔してるのよ?」
「……そんなに難しい顔してたか?」
「うん」
「ちょっと考え事してたんだ。京都だと何処が一番星が見えるかな、って」
怪訝そうな金色の少女に対し、少年はそう取り繕った。
誤魔化すには苦しいかもしれないが、普段の彼が彼だけに少女は本気と受け取ったようだ。
「夜は宿から出ちゃ駄目に決まってるでしょ」
「駄目?」
「駄目」
誤魔化すつもりで言ったこととはいえ、
完全な嘘でも無かったため、少女の言い振りに少年は若干凹む。
「愛好会活動を目的とした夜間外出、学校に掛け合ってみましょうか?」
だが、少年の言葉でもう一人の天体観測狂い――もとい、愛好家の心に火が灯る。
濡烏の少女が上品に、されど無理を押し通さんとする微笑を浮かべながら言う。
「待って待って! そんなこと言ったら、こいつ本気にしちゃうから!」
「できるのか!?」
「ほらもー!」
天体観測に関しては、愛好会内で最も一般人寄りである金色の少女は悲鳴を上げた。
(終)
595 :グアンタナモの人:2014/12/06(土) 19:38:14
以上になります。
ちなみに少年少女世界線では、転移ではなく天変地異の影響で
日本以外沈没説(意訳)が今のところ最も有力視されています。
勿論、最新の研究でそんなことが起こるのか、
仮にそうだとしても文明の痕跡が無さ過ぎる、と疑問も呈されていますが、
他に尤もらしい学説も無く、ファンタジー過ぎる国土高天原転移説や
超空間通路連結説はそれほど支持を得ていません。
歴史書に記される高天原転移の一文は、
天変地異に際して幕府が発した情報統制の一種だと受け取られています。
尤も接触後は、幕府が正しかったんや!と国土高天原転移説や超空間通路連結説が台頭しますが。
最終更新:2015年01月17日 18:33