764 :ひゅうが:2014/12/07(日) 23:17:07


――「惑星日本年代記のようなもの その3」


元和偃武。
転移後の時代は、少なくとも150年以上はこう呼ばれる。
元和元年から3年にかけてを何とか乗り切った江戸幕府は、のちに東照神君と呼ばれることになる徳川家康に加え、自らが滅ぼしたはずの豊臣政権の祖 豊国大明神こと豊臣秀吉はもとより国内のありとあらゆる神仏を利用して「海外移民」をあおった。
その対象となったのは、大坂夏の陣で敵方にまわった武将たちをはじめ、食糧不足から暴発した諸大名たち、そして領民たちであった。
事実上、食糧地帯である関東八州や天領をおさえられ、さらには対処への知識を幕府に独占された諸大名に選択の余地はなかった。

何より、国内にいてまた前代未聞の大飢饉におそわれるより、海外へ領土を拡大する方がお家の安泰になる。
まだ戦国の遺風が色濃いこの時代において、生存本能に基づく状況判断はまさに正鵠を射ていたといっていい。
そして、ここでも幕府の手はしたたかだった。
すでに、日本列島にとりのこされていた南蛮人たちに硬軟混ぜた対応で取り入り、懐柔し、そして臣下としていた。
そして徳川御三家の領する紀州や、四国、木曽の山々などの大船建造に適した木々を有する森林地帯や航海の専門家を有する地域はことごとく彼らの支配下にはいっていたのである。
さらに、幕府とそのブレーンたちはしたたかだった。
彼らは資源管理から大船建造完了までを一括工程化し、初期に大資本を投入して大量生産による価格低減を実現。
これを安価で移民や海外進出を希望する各藩へと貸し付けるか、もしくは無料のリースにより天領拡大への協力を要請。
これに応じれば、一定期間のリース後に船は自動的に自藩のものとなるという制度を作り出したのである。

老中による検印である朱印状をもってこの船らを管理したことからこれを、「朱印船制度」という。

奥州の伊達家など、外洋航行可能な大型船を国産化した大名家はそれなりに存在したものの、御船手奉行の差配下におかれた朱印船は安価で、そしてかけられた税も特別の減免措置がとられていたために価格上、対抗不可能であった。
この頃はまだ日本列島の金山銀山の類はまだ豊富な産出量を誇っており、資本において幕府に対抗できるわけがなかったのである。

765 :ひゅうが:2014/12/07(日) 23:17:39

この朱印船を利用した中でも大きな勢力を誇ったのは、薩摩の島津家、長州の毛利家、山形の上杉家、肥前の鍋島家など外様大名であった。
これに、飢饉で大打撃を受けた奥州諸大名や畿内の商人たちが続く。
中でも、もともと食糧の生産能力が極めて低い火山灰性土壌を有していた島津家や、大坂の陣中に莫大な負担をしていた毛利家の力のいれようは凄まじく、以後の外地への進出はこの二家と幕府天領が主となり推進されていくことになる。

さらに、長い冬という脅威に加え、大型船舶建造のために森林管理が推進されるという状況は新たな発明の登場を促していく。
即ち、石炭と木綿や毛織物。
将来は需要と供給が安定したバランスになるとはいえ、この頃は木材価格が一時的に高騰し、このため石炭暖房が登場したのである。
さらに、当時は麻が主であった衣類も日本国内に自生していた綿花の栽培法確率により冬季の防寒と吸汗を両立させた衣類として普及が始まる。
中でも欧州船とともに渡来していた墨州山羊毛は高価であるもの、高機能な防寒着として人気を博していく。
さらには、庶民の娯楽として普及していた都市の銭湯の燃料としてコークス(大気汚染対策のために法令が出された)が使用されるようになると、それを用いたボイラーが、続いてそれを用いた動力化が指向されはじめ、17世紀半ばには蒸気機関が実用化。
さらには、増大を続ける外洋航路においてこれが使用されるようになり、同時に南方大陸において高品質な石炭と金鉱床が発見されたことから18世紀に入るころには日本列島とその周辺植民地群は産業革命に伴う未曽有の好景気期に突入した。

時の将軍であった徳川綱吉の自由主義的かつ学問重視の風潮もあり、江戸の町や、かつて南蛮といわれた欧州の都市にならった海外諸都市においては「今諸氏百家」といわれる自由闊達な思想家たちや科学者たちが文化の花を咲かせていた。
さらに、航海の進展は、南蛮風の分化を有していた航海者たちの文化的影響が日本本土やその周辺にあまねく広がる結果を生み、「航洋服」と呼ばれた動きやすい服装が庶民にも広まりだすきっかけともなった。

この時代、御船手奉行として辣腕をふるい、初の世界一周航路を確立した柳沢吉保や、通貨安定と貿易促進に力を尽くした新井白石など、のちの大改革の模範となるような優れた政治家が登場。
さらには外地風の音楽をとりいれた舞台芸術を確立した井原西鶴や、奥の細道や海の中道といった旅行記で知られる松尾芭蕉、太陽系観測を大成した渋川春海、そして航海理論から微分解析学と対数表を完成させた関孝和などきらびやかな天才たちが一世を風靡した。

この「元禄時代」は江戸幕府の黄金時代として、現代でも記憶されることになる――

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最終更新:2015年01月17日 18:50