777 :フォレストン:2015/01/15(木) 06:49:01
空軍と海軍の割りを喰うのは島国の宿命…

提督たちの憂鬱 支援SS 憂鬱英国陸軍事情1

第二次大戦時の英国陸軍は無い無い尽くしであった。ダンケルクの悲劇で30万人の将兵と装備を失い、慌てて日本から大量の武器を購入したものの、到底穴埋め出来るものではなかったのである。

そうこうしているうちに、ドイツがフランスを占領。ドイツとの戦争が不可避となったため、本土防空のために空軍に優先的にリソースが割り振られた。そのため、陸軍は歩兵小銃すら満足に補充出来ない状況にまで追い込まれたのである。

だからといって、戦力再建を諦めるわけにはいかなかった。ドイツから国土を防衛するはもちろん、最悪の場合、国王陛下がカナダへ脱出するだけの時間を稼ぐためにも陸軍上層部は、無い無い尽くしの中で如何にするか知恵と技術と英国面を絞ったのである。

778 :フォレストン:2015/01/15(木) 06:54:30
まず英国陸軍が手始めに行ったことは、史実同様コマンド部隊の設立であった。
正面兵器の大半を喪失した状態では、圧倒的優位を誇るドイツ軍を正面から対抗することは不可能だったからである。

上陸してきたドイツ軍の後方を撹乱することにより、戦局を優位に運ぶのが主目的であるが、守勢を余儀なくされる本土防衛戦において、膠着した前線の綻びに対処するための機動防御、いわゆる戦場の火消し役としての役割も期待されていた。そのため、史実の部隊レベルではなく、大隊レベルの規模となっており、停戦直前には師団規模にまで拡充された。

危険な任務に投入されることが前提のため、人員は志願兵の中から優秀な者が選抜された。(部隊規模拡大後は志願制)
装備も錬度も随一であり、一時期は英国陸軍最強部隊として君臨したのである。

なお、装備には日本から(バカ高い)価格で購入した装備の大半が充てられており、そのしわよせが他の部隊にいくことになった。

第2次大戦中は、部隊として戦闘を経験することは無かったのであるが、小隊、中隊規模で分派されて各地で特殊作戦や工作に従事した。実戦経験豊富な隊員が多かったため、訓練教官としてホームガード(後述)にも派遣された。

部隊の性格上、機動力の確保には熱心であり、兵員はオートバイや装甲車で移動することが必須となっていた。緊急展開のための空挺技能の取得も義務付けられていた。

地形的に空挺降下が難しい場所に降下するための手段として、コマンド部隊からの要請でジャイロダインの開発が開始されたのも、このころである。

ジャイロダインはオートジャイロから派生した、いわゆる複合ヘリである。
この機体の開発に合わせて、ラペリング技術や運用方法の研究が進められた。

その結果、小隊規模の特殊作戦には有用と判断されたものの、正規戦には不向きとして制式採用は行われずに少数生産にとどまったのであるが、運用法の研究自体は引き続き行われていくことになる。

戦後になり、コマンド部隊は一部を除いて解散したのであるが、他の部隊に与えた影響は大きかった。特にSASをはじめとした特殊部隊に強い影響を与えており、現在では英国特殊部隊の母体として評価されている。

779 :フォレストン:2015/01/15(木) 07:05:09
コマンド部隊のように、精強無比な部隊が存在した反面、その他の部隊は悲惨なものであった。

例えば、陸軍において歩兵は基本であるが、その歩兵に持たせる小銃すら不足していたのである。さらに、バトル・オブ・ブリテンにおいて、国内の軍需工場や施設にかなりの被害が出ており、兵器生産に支障が生じていることも陸軍再建の大きな足かせとなっていた。

要するに、少ないリソースを生かすために、短期間に大量に生産出来て、しかも低コストで火力もある歩兵用武器を英国陸軍は早急に求めていたのである。はっきり言って無茶難題であるが、その条件を満たせる兵器が一つだけ存在していた。マシンカービン(Machine carbine)-サブマシンガンである。

サブマシンガンは、拳銃弾を使用する小型の機関銃であるが、小銃に比べて威力の弱い拳銃弾を使用するために構造が簡単で済み、その分低コストで量産性に優れていた。連射能力が高く、弾幕を張ることが可能で火力にも優れている反面、拳銃弾を使用するために、威力・射程・命中精度の全てにおいて小銃に劣っていた。

しかし、想定される戦場が市街地における防衛戦闘のために上記のデメリットは問題視されなかった。相手から距離を詰めてくれるからである。さらに、市街地における突発的な遭遇戦、あるいは室内戦闘においては、小銃よりも携帯性に優れ、取り回しの良いサブマシンガンが有利であった。

設計開発は超特急で行われ、ダンケルク撤退時に鹵獲したMP40を参考にして、徹底的に無駄をそぎ落として量産性を追及したサブマシンガンがエンフィールド王立造兵廠で開発された。いわゆる史実のステンガンである。

このステンガンであるが、史実とは異なる仕様となっていた。大まかには以下の3項目が史実とは違う点である。

  • 専用弾の採用。
  • 銃剣装備。
  • フォアグリップの装備。

ステンガンが使用する弾薬であるが、史実と同じく9mm弾であった。
当時採用されていた制式拳銃弾である38エンフィールド弾がリムド実包であり、自動火器の使用に向いてなかったためであるが、特筆すべきは、その装薬量である。作動不良を低減させるために、口径こそ9mmパラベラムであるが、装薬を増量した強装弾(史実MKII-Z弾)が最初から採用されていたのである。

もっとも、専用弾を採用したことにメリットがあったのかは、後世の研究家からは疑問視されている。通常の9mm弾でもステンガンはほぼ問題なく作動したからである。

ちなみに、ステンガン専用弾は、現在ではホットロード弾として『9mmプラス弾』の名称で現在でも生産が続けられている。カスタムガンマニアの間では、弾を自作しないで済むということで好評のようである。

史実では最終生産モデルのMk.5で実現した銃剣装備であるが、憂鬱世界では最初からエンフィールド小銃の銃剣が装備可能であった。これはマズルジャンプを低減させるカウンターウェイトとして機能させる目的と、銃剣突撃を考慮したものであった。

780 :フォレストン:2015/01/15(木) 07:12:18
特に銃剣突撃は、史実の極東の島国がやらかしたバンザイ突撃とは違い、火力支援下における最大限の効果を狙ったものであり、あらゆるシチュエーションが想定されてマニュアル化されていた。紅茶と銃剣突撃大好きな英国陸軍の伝統は、ここから始まったと言っても過言ではない。

フォアグリップは、銃剣と同様に射撃時の安定性を図るために取り付けられた。しかし、実用上無くても問題無いことが判明したため、装着されているのは初期生産ロット分のみであった。

低コストで生産性に極めて優れたステンガンは、英国本国のみならず、カナダでも大量生産されて、歩兵装備の穴埋めに多大な貢献を果たした。しかし、ステンガン自体は、あくまでも緊急時の繋ぎに過ぎないことを陸軍上層部は理解しており、生産開始とほぼ同時期に、次期制式小銃の開発が開始されている。使用する銃弾の規格をめぐって、陸軍を二分するほどの騒動に発展するのであるが、それは後の話である。

ドイツとの早期停戦が実現したことにより、大量の余剰在庫を抱えることになったのであるが、これは独立が予定されているインドやパキスタン、バングラディッシュの3ヶ国に格安で売却された。

格安といっても、それは他のサブマシンガンと比べての話であり、元から破格的に安いステンガン(史実ではMP40の1/7)は、商品として充分採算が取れたのである。このときに発生した利益が、次期制式小銃の開発費として充当されたのである。

781 :フォレストン:2015/01/15(木) 07:20:00
小銃と同様に、歩兵に必要不可欠な兵器が手榴弾である。
ブリティッシュ・グレナディアーズ(The British Grenadiers)で謳われるのに相応しい手榴弾を定数装備…と、いきたいところなのであるが、現実は非情であった。英国陸軍では、現用のミルズ型手榴弾ですら充足出来ていなかったのである。

バトル・オブ・ブリテンが開幕して、空軍に資材を取られ、さらにルフトヴァッフェの空襲により生産施設が被災してミルズ型手榴弾の生産が滞ってしまったため、窮余の一策として、鉄資源を必要とせず、生産に技術を要しない陶製手榴弾の採用に踏み切ったのである。

こうして採用されたのが陶製手榴弾(porcelain grenade)である。
形状はミルズ型手榴弾と似ているが、全体的に大きくなっており、本体は陶器で出来ていた。
爆発時に破片となりやすいように陶製の本体は薄くスジ彫りされていた。

発火方式は発煙筒同様の摩擦発火式を採用していた。手榴弾上部にある信管には防水の目的からゴム製のキャップが取り付けられており、弾体自身も陶磁器のため、破損・水の浸透・取り落としなどの防止の目的から薄いゴム袋で覆われていた。

陶製手榴弾は鋳造技術が不用であり、構造が極めて簡単であったため、それこそ町工場でも問題なく量産が可能であった。もっとも、大きく重くなった割りに、使い勝手も性能も大幅に低下していたので、兵士達からは大不評だったのであるが。

ドイツとの停戦後、陶製手榴弾は速やかに従来型のミルズ型手榴弾と置き換わる予定だったのであるが、衝号作戦による巨大津波で被害を受けた船舶の補修に資材を取られてしまったため、戦後しばらく陶製手榴弾を装備し続けることになるのである。

782 :フォレストン:2015/01/15(木) 07:27:07
バトル・オブ・ブリテン時に、英国陸軍が恐れていたのが、ドイツの機甲師団の本土上陸であった。
史実とは違い、ダンケルク撤退時に、ドイツ側は一戦で決着をつけるべく積極的な戦力運用を行い、虎の子の機甲師団もダンケルクに突入させていたのである。その結果が、英国陸軍の正面装備の大半と30万人もの将兵の喪失である。

機甲師団の威力を骨身に染みらされた陸軍上層部は、当然対策を検討したのであるが、現状で取れる選択肢は限られていた。ある程度上陸予想地点を予測出来てはいたものの、正面装備の大半が失われてたため、水際作戦で迎撃するのは不可能だったのである。上陸を防ぐことが出来ない以上、ドイツの機甲師団に対抗するには戦車戦力が必要なのであるが、まともに対抗するのは不可能であった。有力な戦車戦力の大半をダンケルクで失っていたからである。

本土にまとまった数が残されていたのは、カヴェナンター巡航戦車のみであった。当時最新の巡航戦車であり、ドイツとの開戦が迫っていたこともあり、工場をフル稼働して量産したのであるが、これがとんでもない欠陥戦車であった。

車高を抑えるために、水平対抗エンジンを搭載したものの、搭載スペースの制約からラジエターと冷却用吸気口が車体前部に搭載されるという特異なレイアウトとなり、冷却不足を引き起こしたのである。 このラジエーター配置のため配管が車内を通る事になり、稼働中は車内温度が40度を超す事態となった。後期型ではラジエーターの装甲カバーを取り除いたり、車体後部に空冷用のルーバーを追加したが、根本的な解決には至らなかった。

なお余談であるが、カヴェナンター巡航戦車は、戦後にソ連に援助物資として送られている。前線の兵士からはヒーター装備の戦車として大人気だったそうである。ソ連に送られたカヴェナンター戦車は、英国からの技術供与であるパイクリートタイル装甲を追加装備して、シベリアなどの極寒地域に優先配備されたという。

783 :フォレストン:2015/01/15(木) 07:33:37
曲りなりにも、本土に残された貴重な戦車戦力であるカヴェナンター巡航戦車であるが、ドイツの機甲師団相手に戦えるのか疑問視されていた。遥かに重装甲なマチルダ歩兵戦車が、ダンケルク撤退時に、ドイツ軍が投入した虎の子である4号戦車に撃破されていたからである。

手っ取り早い対戦車戦力の確保の手段として、高射砲の転用も検討されたのであるが、当時の主力は第1次大戦以来の既に旧式化した3インチ高射砲であり、新型の3.7インチ高射砲は未だに数が揃っていなかった。威力を考慮すると、当然後者の選択をするべきなのであるが、ドイツ軍の侵攻が間近に迫っている状況で、最新型の高射砲を別任務に転用するという贅沢が許されるわけもなく、少数の3インチ高射砲が対戦車任務に充てられた。しかし、バトル・オブ・ブリテンが始まると、この数少ない3インチ高射砲も再び高射砲として召し上げられてしまうのである。

情報部によると、ドイツ軍はさらなら重装甲大火力の戦車を開発中とのことであり、それらの重戦車群が本土上陸を果たせばどうなるか、英国陸軍は深刻な危機感を抱いたのである。そのため、圧倒的な重装甲で敵戦車の攻撃を無効化し、搭載された大口径砲による長射程でアウトレンジ撃破する超重戦車構想が計画された。

戦力として運用する以上、まとまった数を量産することが前提となるのであるが、一方的に敵戦車を撃破出来るので、少量生産して重要拠点に配備すれば良いとされた。どこかで聞いたような話であるが、負けが込むと考えることは人類皆同じであるらしい。

ただでさえ少ない、陸軍の資材割り当てを喰って開発された重戦車は、結局バトル・オブ・ブリテンに間に合わず、後にトータス重駆逐戦車と命名されることになる。開発に遅れが生じたため、計画よりも調達数が減らされ、4両のみ生産されている。

後の試験では、機械的信頼性と砲台としての安定性を実証したのであるが、80tの大重量と3mの全高は輸送に問題があった。しかし、これは拠点防衛に用いられることを考えれば度外視出来る問題であった。

ドイツとの停戦が実現したことにより、トータス重駆逐戦車は歴史の影に消えるのであるが、再び脚光を浴びることになるのは戦後しばらく経ってからのことである。

784 :フォレストン:2015/01/15(木) 07:38:53
戦車戦力では、上陸してくるドイツ軍の機甲師団に対抗出来ない現状に頭を抱えた陸軍上層部であったが、幸いにして上空からのロケット弾攻撃が有効な対戦車攻撃であることが実証されたので、空軍と海軍に助力を頼むことになった。

とはいえ、それだけでは不十分であった。確かにロケット弾による攻撃は、たとえ外れたとしても、その爆風や破片で戦車に損傷を与えることが可能であった。装甲車などのソフトスキン目標や、生身の歩兵にはさらに有効であったが、航空攻撃は天候に左右されやすい難点があった。

空軍と海軍で対応出来ない分は陸軍で対応する必要があった。戦車が頼りにならない以上、対戦車兵器の量産で対応するしかなかったのである。

肝心の対戦車兵器であるが、陸軍では既にに少量の装薬と強力なバネを使って発射するグレネードランチャーをPIAT(Projector, Infantry, Anti Tank:歩兵用対戦車投射器)として実用化していた。

バズーカやパンツァーファウストのように、発射に薬莢に充填した装薬や弾体内部の推進剤の噴射を用いる兵器と異なり、PIATのバネを使う機構は簡易かつ軽量な対戦車兵器を実現していた。そのため、停戦までに大量に生産されたのであるが、結局使用する機会は無かった。

PIATは運用性に難があったため、停戦後は大量の在庫が倉庫で埃をかぶることになった。幸い、対日戦を意識し始めていた当時の豪州陸軍が、対戦車兵器として興味を示したためバーゲン価格で売り払うことが出来た。

結局、英陸軍がまともな対戦車兵器を手に入れることは、戦時中はかなわなかったのであるが、上層部もその必要性は認識しており、後に携帯型の対戦車無反動砲を開発することになる。

785 :フォレストン:2015/01/15(木) 07:42:01
揚陸戦力とは別に、拠点にグライダーで夜間強襲をかけてくる降下猟兵も英軍の悩みの種であった。

降下猟兵は、ルフトヴァッフェ管轄化の空挺部隊であり、史実同様に極めて高い錬度を誇る装備優良部隊である。
この降下猟兵が電撃的に本土内の飛行場を占拠し、本隊侵入のための着陸拠点と化す可能性が危惧されたのである。

しかし、飛行場に防衛用の建築物を建てるのは航空機の運用上の安全と対立するため、防衛を難しいものとしていたのである。この問題に対処するために、ピケット・ハミルトン格納式トーチカのような、複雑な解決法が開発されたのであるが、複雑故に作るのにも運用するのにも手間がかかる難点があった。

そのため、トラックの上にトーチカを作り、移動させて用いる方法が考案された。自走可能であるため、必要なときに防衛態勢を取ることが可能であり、グライダーの着陸進路に侵入して妨害することも可能であった。

バトル・オブ・ブリテン真っ最中ゆえに、鉄は貴重であった。そのため、トーチカの装甲材にはコンクリートが使用されたのであるが、これが難物であった。一般的に分厚いコンクリートは、よく銃弾や砲弾に抗堪するというイメージがあるが、それは鉄筋コンクリートの話である。鉄筋の入っていないコンクリートは、圧縮強度はともかく、引張強度に欠けているのである。そのため、被弾すると派手に欠片を撒き散らし、周辺に被害を与える危険性が高いのである。

コンクリートの重量も問題であった。
積層したコンクリートの厚みは6インチにも達したのであるが、こんなもので車体とトーチカ本体を覆うと重量が馬鹿にならなかったのである。移動トーチカのベースとなるトラックは、軍用車両ではなく、非力な民間トラックであるため、こんな重量物を纏ってはまともに走ることすら覚束ない始末であった。

786 :フォレストン:2015/01/15(木) 07:45:22
この問題を見事解決してみせたのが、ジェフリー・ナサニエル・パイク(Geoffrey Nathaniel Pyke)である。

当時、発明家として活動していた彼は、この問題を聞きつけると、自らの発明品である『パイクリート』を陸軍に売り込んだのである。

パイクリートは、水にパルプを混入しておき、凍ったら繊維が結んで溶けにくくなるようにしたものである。通常の氷と比べ、熱伝導率の低さによる低融解性(融点15℃)、パルプを混ぜたことによる高強度、高靭性などの特性を持っていた。 鉄筋コンクリートと同等か、それ以上の強度を誇り、比重はコンクリートの半分以下で、材料はタダ同然で手に入る…当時の常識からかけ離れた、とんでもなくチートな装甲材であった。

ただの氷の塊と信じて、最初は馬鹿にしていた陸軍のお偉方も、パイクのデモンストレーションを見て態度を一変、直ちに採用された。なお、パイクはこの功績により、DMWD(Department of Miscellaneous Weapons Development:多種兵器研究開発部)に推挙され、数々の研究・開発に携わることになる。

実際の運用であるが、氷であるが故に溶けることによる耐弾性能の低下が真っ先に懸念された。しかし、パイクリートの融点15℃に対し、首都ロンドンの年平均気温は10℃であり、夏場の一時期を除けば運用に支障は無かった。後に、欧州全土を襲うことになる異常気象により、さらに気温が低下したため、英国本土全域で問題無く使用が可能となり、パイクリートは英国のあらゆる場所で使用されることになるのである。

現在では、保冷材として物好きが使用する程度であるが、戦後に技術供与されたソ連側では、今でも根強い需要がある。
当時のソ連で爆発的に普及し、あらゆる分野に活用されたためか、パイクは偉人としてソ連の教科書に掲載されているのである。

787 :フォレストン:2015/01/15(木) 07:52:33
トーチカは、降下してきたドイツ兵を迎え撃つための設備であるが、より積極的に迎撃して早期に無力化することにより、防衛側の被害を抑えるために開発されたのが、対空火炎放射器『シング』である。元々は、スツーカなどの急降下爆撃対策用に開発されたものを改良したうえで転用したものである。

改良の際に従来型よりもポンプ出力が増強され、地上より50m程度までの火柱を打ち上げることが可能となった。さらに、降下完了した兵士にも対応するため、銃架にも改良が加えられ、-5°~90°までの広い範囲をカバーすることが可能となった。このシステム一式は1t程度と比較的軽量であり、車載化されて、上述の移動トーチカとセットで運用された。

実際の運用であるが、マニュアルでは、降下体勢に入っているグライダーを直接狙うか、それが不可能な場合は降下中のパラシュートを狙うこととされた。

開発そのものはスムーズだったのであるが、試験の際にいきなり最大出力で水平に火炎放射をしてしまい、あわや大火事になりかけたのはご愛嬌である。

シングは、ある程度の数が量産されて、空港などの重要拠点に配備されたが、幸か不幸か活躍せずに終わっている。
シングの開発で生身に対する火炎攻撃の有効性を認識した陸軍では、より安全な運搬手段と攻撃方法を突き詰めていき、その後ナパーム弾を開発することになるのである。

788 :フォレストン:2015/01/15(木) 07:54:32
本土防衛は陸軍の管轄であるが、英国の場合はもう一つの組織が存在した。それがホームガード(郷土防衛隊)である。

史実と同じく、ドイツ軍の上陸に備えた民兵組織であるが、史実より切羽詰った状況であるために、治安維持だけでなく、陸軍の補助戦力として期待されていた。とはいえ、陸軍ですらまともな武器に事欠く有様で、ホームガードにまともな武器を支給出来るわけもなかった。

しかし、ホームガードに志願した若者たちは愛国者であり、不屈の英国紳士であった。
彼らは溢れんばかりのやる気と、工夫と英国面でこの国難に対処したのである。

ホームガードは名目はともかくとして、基本的に2線級部隊として扱われていた。正規軍のお古…もとい、旧式兵器を配備する予定だったのであるが、余裕の無い陸軍は、そんな旧式兵器も持っていってしまったため、ホームガードの武装は創意と英国面溢れる急造兵器が大半を占めることになったのである。

想定される戦場が、正規軍よりも市街地戦に特化したホームガードゆえに、開発された急造兵器もそれに沿ったものとなった。ただし、ここでも貧乏神の呪いから逃れることは出来なかったのであるが。

一例をあげると、白兵戦兵装として悪名高いホームガードパイクであるが、長さ2メートル弱の鉄パイプを斜めにカットして、先端部に焼き入れを施す-これだけである。実にシンプルで量産向きであったため、不足しがちであったホームガードの武装も、これだけは定数を満たしていたのである。隊員からは大不評であったが。

789 :フォレストン:2015/01/15(木) 07:57:01
小火器は陸軍の正規部隊と同様にステンガンが配給される予定であった。
しかし、陸軍への配備が優先されていたため、定数を満たすには今しばらくの時間が必要であった。
ステンガンよりも、より簡易で急造に適した兵器が求められたのである。

その結果、開発されたのがFP-9(Flare Projector 9mm:9mm信号弾発射機)である。現在ではペアレント(parent:守護者)の通称で知られている。

ペアレントの特徴は部品数わずか20数点という、異常なまでの簡素さである。
弾薬はステンガンと共用である9mm弾を使用し、装弾数は1発のみである。
銃身はライフリングが刻まれていない滑腔銃身、つまりはただの鉄パイプである。

グリップには11発の予備弾を収納できたが、装填は撃つたびに手動で行う必要があった。
発射後は排莢されないため、空の薬莢を取りだすには銃口から棒などを突き入れなければならなかった。

トリガーガードはフロントサイトも兼ねていたが命中精度は低かった。
フルサイズ拳銃の半分のサイズと重量で9mm強装弾を発射するので、この命中率も止むを得ないことであろう。(戦後のテストでは、グルーピングは50フィートで10インチ程度)

もっとも、本銃の用途は史実同様に本格的な戦闘用ではなく、敵兵を不意討ちして武器を奪い、その武器で本格的な戦闘を行うのが本来の目的であるため、この程度でも問題無かったといえる。

ペアレントは、3ヶ月で1万挺という当時の英国としては、大量生産された武器であったが、やがてステンガンが定数を満たすと余剰となり、戦後になるとステンガンといっしょにインドや、その周辺地域に格安で売却されたのである。

その他にも、防御用装備として上述のパイクリートで製作したバリゲードや、ボディアーマーなどもあったが、前者はともかく、後者のボディアーマーを実際に用いた者はいなかったそうである。

790 :フォレストン:2015/01/15(木) 07:58:49
ホームガードは、従軍経験者はそれなりに存在していたものの、その大半は民間人であり、組織だった軍事行動をするためには訓練が必要であった。そのため、各地のホームガードにコマンド部隊から訓練教官が派遣された。

訓練の内容であるが、これは教官の裁量に一任されており、各地でバラつきがあったようである。そのため、史実I○Aのようなテロ活動に特化した部隊や、室内でのブービートラップ設置に長けた部隊など地方色豊かな?組織となったのである。

中でも異色を放つのがサリー州防衛隊であった。部隊を指導したジョン・マルコム・ソープ・フレミング・チャーチル(John Malcolm Thorpe Fleming Churchill:当時陸軍少佐)は、彼独特の価値観と信念をもって、隊員達を鍛え上げた。その結果、コマンド部隊に匹敵する錬度を持つに至ったわけであるが、その真価が発揮されることは無かった。

彼とその薫陶を受けた部下達が、アフリカの地でドイツ軍関係者を恐怖のどん底に叩き落すのは、また後の話である。

791 :フォレストン:2015/01/15(木) 08:04:10
あとがき
バトル・オブ・ブリテンから戦後直後の英国陸軍について書いてみました。
空軍と海軍の割りを喰った結果、陸軍が悲惨なことになりました(泣

でもまぁ、落ちるところまで落ちたので、後は上がっていくだけです。レッツポジティブシンキングっ!

目指す方向はやはり史実陸自になると思います。
史実陸自は超絶錬度と変態技術で冷戦を潜り抜けましたが、憂鬱英軍は英国面でなんとかすることでしょう。たぶん、きっと、めいびー(白目


以下、登場させた兵器です。

フェアリー FB-1 ジャイロダイン試作機

乗員数:1名 + 兵員4~5名
全長:7.62m
全幅:5.38m(機体+主翼幅)
全高:3.07m
メインローター径:15.768m
自重:1629kg(最大離陸重量2177kg)
発動機:アルヴィス レオニダス 9気筒空冷ピストンエンジン 520馬力
最高速度:225km/h
上昇限度:3050m
航続距離:不明
武装:非武装

空挺降下の難しい地形へ展開する目的のために、コマンド部隊からの要請で開発された複合ヘリコプター。1機のみ生産されてコマンド部隊に配備された。
この機体を用いてラペリング技術の洗練と習熟が行われている。戦後になってから武装を追加した性能向上型が少数生産されている。


ステンガン

重量:3180g(銃剣含まず)
全長:760mm(本体のみ)
使用弾薬:MKⅡ-Z弾(9mmパラベラム強装弾)
装弾数 32発/50発(通常/ロング)
作動方式:シンプル・ブローバック
発射速度:500発/分
銃口初速:365m/秒
有効射程:46m

ダンケルク撤退時の大量の武器喪失の穴埋めをするべく量産された急造短機関銃。
徹底的に無駄とコストをカットした構造であり、その製造コストはMP40の1/7という驚異的な価格を実現している。大量生産されたため、戦後になって不用となった余剰在庫はインドやパキスタン、バングラデッシュに売却されている。

使用されている弾薬は、規格は9mmパラベラムであるものの、装薬を増量した強装弾である。
しかし、実際のところ通常の9mmでも問題無く動作したようである。

通常の9mm弾と同規格のため、何も知らないドイツ兵が粗悪な拳銃で暴発事故を多発して心理的なストレスを受けた-と、後世の英国の銃器研究家らは評価している。

銃剣が標準装備されているのが特徴であり、英国陸軍が銃剣突撃を好むようになったのは、本銃が原因との説もある。

792 :フォレストン:2015/01/15(木) 08:19:23
陶製手榴弾(porcelain grenade)

重量:約450g
長さ:約10cm
直径:約8cm
炸薬:カーリット 99~130g前後
信管:4~5秒

バトル・オブ・ブリテン時に英国陸軍で製造された手榴弾である。
空軍にリソースが集中したため、割りを喰った陸軍では、あらゆる物資が不足していた。特に金属資源の不足は深刻であったため、苦肉の策としてそれまで鉄で製造されていた手榴弾の材質に陶磁器を使用して製造したものである。

開発と生産は、陶器メーカーであるウェッジウッドのバーラストン工場で行われた。
ただし、生産されたのは手榴弾本体のみであり、内部に充填する火薬や信管など起爆装置の部分は陸軍あるいは民間の別工場で生産されていた。

構造は基本的に手榴弾の弾体部分の材料に陶磁器を使用し、その中にカーリットを詰めたごく簡単な作りになっている。
本体が陶器であるため、焼成する際に誤差が生じ、大きさや重さにバラつきがあるのが特徴である。

発火方式には発煙筒同様の摩擦発火式を採用、手榴弾上部にある信管には防水の目的からゴム製のキャップが取り付けられていた。
弾体自身が陶磁器のため、破損・水の浸透・取り落としなどの防止の目的から薄いゴム袋で覆われていた。
当然ながら陶器製の外殻では、炸裂時に生成される破片の殺傷力が金属製の手榴弾より大幅に劣っており、兵士達には不評であった。

あくまでも非常時の急造品であり、速やかに従来品のミルズ型手流弾に切り替わるはずだったのであるが、50年代後半まで装備していた部隊もあった。


カヴェナンター巡航戦車

全長:5.8m
全幅:2.61m
全高:2.23m
重量:18.3t
懸架方式:クリスティー方式
速度:50km/h
行動距離:160km
主砲:52口径2ポンド戦車砲
副武装:ベサ同軸機関銃
装甲:40mm
エンジン:メドウス 水平対向12気筒水冷ガソリンエンジン 280馬力
乗員:4名

諸所諸々の事情で欧州側に派遣されなかったため、ダンケルクの悲劇に遭うことなく貴重な戦車戦力として運用された巡航戦車。

ドイツとの開戦が近かったため、とにもかくにも数を揃えることを優先し、多少の問題は無視して量産を強行したのであるが、控えめにいっても、まごうことなき欠陥戦車となった。
しかし、他にまともな戦車が残っていないこともあり、バトル・オブ・ブリテン中は主力戦車として配備されていた。

ドイツとの停戦後は、訓練用戦車として用いられ、英国戦車兵の補充・増強に貢献した。
英国戦車部隊が人的資源の枯渇に悩まずに済んだのは、カヴェナンターの貢献のおかげである-と言うのが、後世の英国の歴史研究家の評価である。

戦後になってから、ソ連に有償の援助(資源とのバーター)として送られたのであるが、こちらでは大好評をもって迎えられた。
その特異なレイアウトにより、極寒の地でも冷却系が凍結することもなく、サウナと酷評された車内もシベリアのマイナス30度以下の外気に比べれば天国であった。

ソ連に配備されたカヴェナンターは、パイクリートタイル装甲を標準装備している。
これは英国からの技術援助であり、10センチ厚のパイクリートをタイル状に整形したものである。機関銃からの防御や、HEAT弾のスタンドオフ効果を低減させる効果が期待されていたが、実戦に効果があったかは不明である。
原材料がタダ同然であり、ソ連領内では調達しやすいこともあってか、一時期のソ連戦車の大半に装着されていた。

793 :フォレストン:2015/01/15(木) 08:26:58
トータス重突撃戦車

全長:10.058m
全幅:3.912m
全高:3.048m
全備重量:79.1t
乗員:7名
エンジン:ロールス・ロイス ミーティア 4ストロークV型 12気筒液冷ガソリン 600馬力
最大速度:15.31km/h
航続距離:70km
武装:62口径32ポンド戦車砲Mk.I(60発)
   7.92mmベサ機関銃×3(7500発)
装甲厚:50~279mm
 前面:279mm
 側面:152mm
 後面:76mm
 車体:50mm
 サイドスカート:50mm

圧倒的な重装甲で敵戦車の攻撃を無効化し、搭載された大口径砲で遠距離からアウトレンジ撃破するために開発された超重駆逐戦車。結局、バトル・オブ・ブリテンに間に合わず、計画よりも調達数が減らされ、4両のみ生産されている。

試験では機械的信頼性と砲台としての安定性を実証したのであるが、80tの大重量と3mの全高は輸送に問題があった。そのため、実戦配備されることはなく、戦後しばらくは、次期主力戦車のデータ取りのために細々と運用されていた。

1950年代初頭に、新型の大出力パワーパックのテストベッドとして改装を受けており、良好な運用実績を残したことから、後に全車両が同様の改装を施されたうえで、旧北米大陸に配備されている。


PIAT

口径(弾頭直径):76mm
全長:99.04cm
重量:14.4kg
砲身長:86.4cm
弾体長:38.1cm
弾体重量:1.35kg
対戦車有効射程:90m
最大射程:685m
使用弾種:対戦車成型炸薬弾、破片榴弾、煙幕弾など

不足していた戦車戦力を穴埋めするために急遽量産された対戦車兵器。
軽量簡便な構造で量産向きであったが、運用性に難があった。

バトル・オブ・ブリテンでは使用されることは無かったのであるが、そのことがかえって評価を落とさずに済んだとの指摘もある。

ドイツとの停戦後、対日戦を意識し始めていた豪州陸軍が大量に購入している。


移動トーチカ

全長:不定
全幅:不定
全高:不定
全備重量:不定
乗員:最低でも1個小隊規模

フルトヴァッフェの降下猟兵に対する備えとして主に空港に配備された。
民間トラックの荷台にトーチカを載せたものであり、ベース車両はまちまちであった。
同種の車両はホームガードでも使用されており、こちらは自家用車などをベースにしていた。

当初は積層したコンクリートを装甲として用いていたが、コンクリートで充分な防御力を備えると重量過大であったため、後にパイクリート装甲版に切り替えられている。

パイクリートは氷であったため、運用の際に注意が必要であったが、ロンドンの年平均気温は10℃であり、パイクリートは15℃で溶けるので、夏季の一部期間を除けば運用に問題はなかったようである。

パイクリートは、理想的な状態で使用された場合、鉄筋コンクリートと同等の強度を持つ。仮に6インチ厚だとすると、装甲換算(鋼板:パイクリート=2.5:1)で3インチ弱の装甲と同等の強度を持つことになる。加えて重量が半分(コンクリート:パイクリート=2.3:1以下)なので、同等の重さなら装甲厚が2倍となり、同じ強度なら重量は半分となるのである。

パイクリートは英国本国で一時期のみ使われたが、技術供与先のソ連では追加装甲としての用途のみならず、土嚢の代わりにしたり、建材にしたりと、あらゆる方面で活用されて、独自のパイクリート技術が発展している。

794 :フォレストン:2015/01/15(木) 08:33:19
対空火炎放射器 シング

全長:不明
全幅:不明
全高:不明
全備重量:1t程度

当初はダンケルクで猛威を振るった急降下爆撃機対策として開発されたのであるが、役に立たないことが判明したので、改良されて降下猟兵対策に転用された。
改良の際にポンプ出力が増強されて、50m上空まで火柱を打ち上げることが可能になっている。

上述の移動トーチカとセットで降下猟兵対策として運用されており、主に空港に配備された。

運用方法であるが、降下猟兵の乗るグライダーに火炎放射して着陸を阻害、または空挺降下中の降下猟兵のパラシュートを狙うこととされた。

ターゲットである降下猟兵の使用するパラシュートは、キャノピーが背中中央の1本のストラップだけで繋がる方式のため、装着者は降下中の姿勢制御がほとんど出来なかった。
そのため、シングの迎撃に遭った場合、何も出来ずに黒こげになる可能性が高かった。さらに、膝と肘から着地するため、パッドを装着していても負傷率が著しく、動けないところを水平方向の火炎放射で薙ぎ払われて壊滅したであろう-というのが、後世の英国の歴史研究家の一般的な評価である。

戦後になって速やかに退役したが、一部は南アフリカ連邦に格安で譲渡された。


ホームガードパイク

全長:2m弱
重量:2.4kg前後

ホームガード用に開発された白兵戦兵装。
鉄パイプを斜めにカットして、先端を焼き入れ処理しただけのシロモノであり、その分

量産性に極めて優れていた。先端に毒を塗って殺傷力を高めたり、落とし穴の底にしかけたりと、様々な用途で用いられている。


FP-9 ペアレント

重量:450g  
全長:140mm
使用弾薬:MKⅡ-Z弾(9mmパラベラム強装弾)
初速:320m/s 
装弾数:1発(グリップ内に11発収納可能)

銃器が不足していたホームガード用に作られた小型拳銃。
正面装備ではなく、ドイツ軍の武器を鹵獲するための脅迫及び強奪用の兵器であり、生産コストと量産性を極限まで追及した結果、3ヶ月で1万挺という当時の英国としては破格の生産量を達成している。
計画では10万挺の生産が予定されていたが、ステンガンがホームガードに行き渡ったために生産は中止された。

この銃は9mm弾を使用した単発式の銃である。
製造簡略化のため銃身はライフリングがないただのパイプであり、命中精度は期待出来なかった。
この軽量な本体から、ステンガンと共用の9mm強装弾を撃ち出すことが命中率低下に拍車をかけている。

通常の拳銃に比べて、発射方法が独特であり、後ろのブロック部分を引き、半回転して弾薬装填、元に戻して、引き金を引き発射する。
単発銃であるが、グリップ内に予備弾を最大11発搭載可能である。なお、排莢装置はないため、発砲後、銃口より棒状の何かを差し込んで排莢を行う。

作ってから使い道に困ったのか、戦後になってから、タダ同然でインドやパキスタン、バングラデッシュに売却されている。

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最終更新:2015年03月08日 22:17