214 :弥次郎:2015/01/29(木) 23:03:33
バベルの塔。
ある時、人間が天国にいる神様に近づくために作り始めた、想像を絶する巨大な塔のことだ。
旧約聖書の創世記にかたられるそれは、最終的に神によって言語を乱されることで頓挫し、人々は各地へ散り始めたことで終わりを告げた。
そして、神話の時代から幾多の時間が流れて、人は再び天上を目指して建造物を建てようとしていた。



惑星日本ネタSS 地球の軌道エレベーター建造事情



水星はその住人の殆どが日本人であった。
一部には琉球やアイヌの人々、さらに故郷に戻れなくなったオランダ人やオランダ人との混血の家系もいる。
とはいえ日本語をはなし、日本の文化に親しみ、ゆっくりと民族の垣根が除去されていったことでほぼ単一民族となりつつあった。
オランダ語や英語なども存在したが、一種の学術的な目的以外ではほとんど使用されることはなかった。
よって言語の違い、価値観の違い、宗教の違い、人種の違い----地球では当たり前の『違い』が存在しなかったのだ。
だが、その違いは地球では非常に顕著だった。
そして、その違いの中でも軌道エレベーター建造の障害となる『違い』があった。
規格と基準、そして言語である。

215 :弥次郎:2015/01/29(木) 23:05:43
地球の超大国はアメリカ、ソ連、イギリスの三ヵ国である。
これを経済的なつながりで分割すると、イギリスを中心とした欧州圏+インド+アフリカ、南北アメリカとその影響下の国、ソ連と共産圏になる。
経済的な繋がりがあるということは、即ち共通した『規格』で産業が動いているということである。
勿論ISOやIECが存在していたが、それでも細かいところは各国が独自に『基準』を持っていたのだ。ヤード・ポンド法が良い例である。
工業『規格』が違えば安全『基準』も異なる。ある国では適性試験をクリアしていても、他の国ではその試験の『基準』が厳しく不良品とされることもある。
いや、国家間だけでなく国内でも安全『基準』や『規格』が異なるケースもある。特に各州の独立性が強いアメリカなどが最たる例だ。
欧州とアメリカの間では貿易を行っているため互換性がある。だが、共産圏であるソ連と資本主義の欧米の『規格』は完全な合致は難しい。
それがあまり問題とならなかったのは、曲がりなりにも統一してしまうメリットが小さかったからにすぎなかった。
統一化にはかなりの痛みが伴う。企業の倒産や主流から外れてしまった『規格』品へのフォロー、さらには生産ライン全体の見直しなどが求められる。
主流から外れれば価値は下がるが、逆に価値が下がったことで一時的に需要が生じ、切替の足を引っ張るかもしれない。
当然その間も部品の発注や生産は続く。SLGのようにいきなり生産ラインを切り替えるなんてことは不可能なのだ。
だが、軌道エレベーター建造という構想がその状況を一気にひっくり返してしまった。

同じような部品でも、その製法や大きさなどにおいて微妙な違いがあり、それの積み重なりは致命的となることは想像に難くない。
ましてや軌道エレベーターだ。そんな些細なことで欠陥が生じて崩壊しては目も当てられない。
建造に求められるのは『統一した『規格』』で『大量生産』された『長期間』『安定供給』される『良質な』部品。
そして、軌道エレベーターを襲うあらゆる困難に耐えきることができる設計。
さらに言えば、工事を行う中で使われる『言語』の統一、長さなどの表現の統一も必須となった。
そのような地球の工業の現状を鑑みた上で、各国の研究機関は彼らなりの意見を固めた。

「軌道エレベーターとその付属設備が地球全土に広がる以上、建造において『規格』が地球全体で統一されなければ完成は遠のく」

216 :弥次郎:2015/01/29(木) 23:06:27
そう指摘を受け、必要になると予想された分野の有力な企業と設計局が話し合いを行ったのだが、当然のように紛糾した。
そもそも宇宙開発競争、いや開発戦争にあった国同士がいきなり手と手を取って協力できるわけがない。
エレベーターの部品一つ、あるいは建造に使う工具一つをとってもどの国のものを使うかが問題となった。
さらに言えば、使う電気の電圧はもちろん無線機などの周波数、どの国が用意した資源を使うのかまでもが議題となった。
どの国も企業も必死であった。必死に自国、あるいは自社の製品の有用性を訴えた。
何しろ軌道エレベーターの工事規模は世界最大。何か一つでも受注できれば転がり込む利益は莫大なものとなる。
また、この段階で何らかの枠を確保できれば事前支度金が政府から降りると聞かされていたのだ。意地でもとりに行った。
これだけならまだ健全なのだが、徐々に政治的な面も顔をのぞかせ、会議は迷走を始めた。

「我が国のこの部品は耐久性に優れる。やはり建造においては最も重要だ。テストでも証明されている」
「そのテストは本当に妥当かね?」
「なんだと!?」
「これだから資本主義は……我が国の設計局の方が頼りになる、国内で統一した試験を実施しているのだからな」
「国内と一部地域しか出回っていないマイナーな設計局に委託は出来ない。これは我が国の指針である」

試験内容に明らかなバイアスをかけた物や、政府に鼻薬を嗅がせて名乗りを上げた物、あるいは国の後押しを受けた物が出され始めたのだ。
他にもアメリカに潜んでいたソ連のスパイが意図的に低品質の部品を出してイメージダウンを図ろうとするなど、ある意味冷戦よりも過熱化していた。
そういった、感情的な面と実利の面での対立。それが時間を経て浮き彫りとなった結果であった。
こうなっては、どれが優れた製品であるか、あるいはどれが最も適切な『基準』であるかが不明となってしまった。
全てが疑わしく見える疑心暗鬼の会議。まさしく睨みあいとなった。
のちに水星にも意見を求められたが、

「なぜ同じ惑星内でこうにまで『規格』が統一されていないのか?」

何らかの解決案を期待した地球の技術者たちは、そんな水星からの返答に目を白黒させるしかなかった。
そして思い至る。彼らと自分たちは、そもそもが前提条件が異なっているのだと。

一方で水星としては、このまま地球内で争ってくれた方が、自分たちが地球の宇宙産業を抑え込めると考えていた。
自分達がエネルギーや宇宙分野において地球の市場を独占することを目論んでいるので願ったり叶ったりなのだ。
そんなわけで、水星はオランダを中継して宇宙開発分野に介入することで、うまく地球を抑え込もうと考えていた。
もっとも、オランダにとっては水星からさらなる技術支援を受けることを意味し、他国からの視線で胃が痛くなる話ではあったが。

217 :弥次郎:2015/01/29(木) 23:07:07
政治家達もまた、技術者同様に問題に直面していた。
それは国内で盛り上がっていた軌道エレベーター構築の世論を如何に沈静化させるかである。
建造可能になるまで技術進歩するまで最低でも二十年、長ければ一世紀との予測が研究機関からもたらされた。
つまりそれだけ建造開始まで時間はかかり、さらに完成まではさらに気が遠くなる時間がかかると言外に宣告されたのだった。
下手なことをすれば国家が滅びかねないというリスクは、政治家達にためらいを呼ぶのに十分すぎた。

だが、事態はそう簡単にはいかなかった。
政府が先頭に立って、国民に対して大々的に公表してしまった手前、簡単にひっこめるわけにはいかなかった。
自分たちの技術を半ば過信していたといえばそれまでなのだが、想像を絶する事業になるとは思えなかったのだ。
下手にひっこめれば国内から突き上げを喰らうし、かといって不可能に近いそれを無理に実行するだけの国力も技術もない。
市民は目に見える成果を求めている。だから、もし百年単位で建造には時間がかかると正直に打ち明けたとしても納得させるのは困難だ。

「水星でできるならば地球でも可能なはず!」

議会で野党からの突き上げを受けた宰相や大統領が歯噛みしたのは言うまでもない。野党だけでなく与党からもそのような意見が上がった。
なまじ白人主義がごく当たり前のように広まっている世間である、黄色人種の水星人にできて地球の白人にできないはずがないという考えも一般的だった。
いや、むしろ後れを取るわけにはいかないという軌道エレベーター過激派もいた。
リベラルなケネディ大統領としては「政治と技術と予算の問題を解決してから夢を見ろ」と思いながらも、彼らをなだめようと必死だった。

何故そういった意見を切って捨てないのか?
それは為政者たちも野党がそう主張する理由を十分理解していたためだった。
他の国よりも国力や政治力のある超大国は、穏当な「国力に見合った」もので済ませることが難しい状況にあったのだ。
超大国としてのプライドが、簡単に降参することを許さなかった。何しろ明確な競争相手がいるのだから。
競争である以上、相手よりも上のものを作らなければならない。だが、その目標が達成できないとわかっている場合どうするべきか?
先に根を上げるか、それとも意地を張り続けるべきか?
相手よりも長く取り組めば少なくとも「実現に向けて他国より努力した」と面子は保たれる。
かと言って無理に続ければ「空想に国力を振り向けた」と後世から嘲笑されることになるだろう。

ある種のチキンレースとなったのだが、結局は超大国のそれぞれのトップが話し合いを設けると宣言していったんは落ち着いた。
彼らが共通して想定している「最悪の事態」、すなわち軌道エレベーター開発が停滞してしまう状況を回避すべく、行動を起こしたのだ。
一年もの時間をかけて会議を重ねた超大国三ヵ国は『軌道エレベーター建造に伴う国際指針』を発表した。
その内容は以下の主に五つを中心としていた。

1.軌道エレベーターは数世紀単位の巨大事業であり、地球を挙げて建造・管理・運営を行うこととする
2.建造資金などは各国が話し合いで分担を決め、負担に応じて利用権を持つ
3.いくつもの国をまたぐ特性を持つ軌道エレベーターはいずれの国にも属さず、人類共通の資産とする
4.第3項に関連し、軌道エレベーター周辺の土地は中立地帯とし、軌道エレベーターへの攻撃は禁止する
5.水星との技術交流を推進し、必要なノウハウと技術を蓄積する

ただし、この『指針』はある意味抽象的なものだ。法的な拘束力はなく、あくまでも努力目標に留められた。
それもこれも、この条約が超大国三ヵ国が国内向けのアピールポイントを稼ぎたいがために、何とか落としどころを探した挙句の妥協だ。
そんな事情は誰の目にも明らかであり、結局は各国に対応は丸投げされる形であった。
果たしていつ頃建造に取り掛かれるのか?完成にどれほどまでかかるのか?建造されてもきちんと使えるか?
未だに問題は山積みであり、設計図はおろか理論すら構築されていない軌道エレベーターを置いてけぼりにして、外交戦争は続いていた。

「こんなことで建造に取り掛かれるのか?」

内憂外患の状況で、頭を抱えたのはどの国の指導者も同じだった。
天上の神々へと至ろうとしてバベルを建造し、『言語』を乱された人間。
幾多の時代を経て現代でもなお『違い』を乗り越えることができずにいた。

218 :弥次郎:2015/01/29(木) 23:08:07
おまけ


「ねえ、イエス。もし地球に軌道エレベーター作ったら君のお父さんはどうするのかな?」
「なんだか『一回目の時はちょっとやりすぎちゃったから今度は大目に見てあげようかな』って言ってた」
「へえ」
「実際、あれが完成したらすぐに倒れちゃって大変なことになりそうだったんだよね。人が死んじゃうとまずいから言葉をちょっと混乱させるつもりだったって」
「あのね、その『ちょっと』が致命的なんだって。君のお父さんと人間は感覚が全然違うんだから」

そんなやり取りが、水星のとある地方の片隅のアパートであったというがもはや些細な出来事である。


どっとはらい

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最終更新:2015年02月01日 18:52