888 :ひゅうが:2015/01/23(金) 14:21:58

――西暦1990年12月23日(東部標準時) アメリカ合衆国 ワシントンD.C



「ようこそヤス。クリスマスは楽しんでいるかい?」

「やぁジョージ。楽しませてもらっているよ。この国のクリスマスはいい。うちの国だとただのフェスティバルになってしまうからね。」

「それもまたよしさ。敬虔過ぎるといろいろと息がつまる。尊重するべきものはあるがそれだけだよ。おっと、紹介しよう。こちらが息子のジュニアだ。」

アメリカ合衆国大統領ジョージ・H・ブッシュは、日本国前首相 中曽根康弘を公邸に招いていた。
前大統領のレーガン氏ほどではないが、この人物とブッシュは親しくつきあっている。
日本政府自体が対米外交を重視していることもあったが、二人は二人とも、かつての大戦において海軍士官として戦った経験を持っていた。
さらに、「マリアナ帰り」「レイテ帰り」といった特別な称号を冠している限られた人間でもある。

中でも「オキナワ帰り」となれば、アナポリスに入学したての新米学生でも最敬礼をするだろうし、もはや過去のものになりつつある冷戦での敵国であったソ連の人々も手放しでこれを称賛する戦歴だ。
特に、ブッシュともなるとさらにそれは特別になる。

彼は1945年4月、暁の水平線上を宜野湾に向かって突撃する戦艦「大和」を相手にした攻撃隊の搭乗員であったのだ。
さらには、有名な写真として攻撃終了後に思わずやってしまった敬礼の光景が後部座席に乗る戦友の手で写真にとられ、その写真が朝刊の一面を飾ってしまってから彼は「イオー・トウの星条旗」の7名と同じアメリカン・ヒーローの一人なのだった。

ミズーリの乗組員にしても、強敵に対し畏怖と勝利への意志を(本人としてはヤケになっていたのだが)失わない面差しで敬意を示したブッシュの姿勢については文句がつけようがなく、結果として海軍空母機動部隊と水上砲戦部隊の間で決定的な断絶が生まれるのを阻止することになっている。

対して、よく知られているように中曽根前首相は戦艦「長門」に乗って多くの海戦を戦っていた。
沖縄沖こそ機関故障で参加できなかったが、その勇気については第3次ソロモン海戦で戦っていることから疑いようもない。
多くの海軍の船乗りたちからすれば、沖縄沖海戦第2夜戦に参加した人々に次ぐくらいには憧れと尊敬を込められるのに十分な人物であった。

889 :ひゅうが:2015/01/23(金) 14:22:28

こんな2人に会うことのできたブッシュ家の人々や、大統領の周囲を取り巻く人々は控えめに言っても大喜びしていた。
秘書は写真を個人的に焼き増ししてもいいかと願い出ているし、「核のフットボールケース」を持つ海軍士官は何度も握手を求めている。
普段は慎み深いパウエル長官も理由をつけて公邸にやってきて、話の聞き役になっていた。
アメリカにとって、これはもっとも新しい神話なのだ。
勇者は称えられなければならず、かつての遺恨は今を生きる人々によって思い出に変えられなければならない。
アメリカ人はそうした美徳と強さを持っていた。



「クリスマスはいいですな。大統領閣下。」

クリスマス休暇中に急きょ非公式にやってきた中曽根は、ウィスキーを片手にそう言った。

「年の瀬は改まった感じで過ごすのが我々日本人の通例です。ですがこの日だけは大手を振って騒ぐことができる。」

「もともとが誕生日も知れない主を顕彰するという名目で騒ぐ日だからそれもまた正しいのでしょうよ。」

ブッシュはそう答えた。

「ですが今日は騒ぐ前に、少し余所に目を向ける必要がある。」

宴席でトロンとした目で酔っぱらったように見せかけていた好々爺の姿はそこにはなかった。
目が一か所を見つめ、微動だにしない。
そして体からは、恐るべき精気が立ち上り始めた。
ブッシュのかたわらに立つパウエル長官が少し身じろぎする。

「1個機甲旅団、輸送部隊、1個艦隊。」

「出す、というのですね。」

パウエル長官が思わず安楽椅子から身を乗り出した。
ナイトガウンを羽織ったブッシュは少し口を開いた。

今年後半の問題は、冷戦構造の崩壊とともに表面化した中東情勢の緊迫化のひとつの表現型だった。
穏健なイスラム国家であるイラン帝国と、中東唯一の民主国家を自称するイラク共和国の間の緊張状態は東西両陣営からの大量の兵器の流入を生み、そして冷戦の終結後に強権で国をまとめていたイラクはその膨大な軍備の使い道を拡張主義に求めた。
矛先は、クウェート。
複雑怪奇な歴史的事情から、極めて豊かな産油国であるクウェートを併合することで湾岸地域での主導権を握り、さらには軍事的な圧力の軽減を図るというのがその開戦理由となった。
リバランスの最中に自ら天秤を動かされるとたまったものではない。
さらには旧西側のうち、英仏とは違う太平洋諸国を自陣営に引き込むという外交姿勢を耳にしたアメリカ政府は軍事介入を決断しつつあった。
その一環として彼らは中東へ権益を持つ英仏へ介入助力を求めていたが、スエズ地域引き渡しを10年後に控えていた英仏はこれに及び腰である。
必然的に、アメリカは太平洋諸国へと自国側にたっての参戦か中立を求めていたのである。
もちろんその動きはイラク側も知っており、彼らはクウェートの扱いについて米国への仲介を要望し、見返りに膨大な石油利権をちらつかせていた。
このままでは、イラクのやったもの勝ちでクウェートを食らいつくされてしまう。

だが、彼らはダメ押しとばかりに、クウェート国内の基地に西側のビジネスマンなどを抑留。人間の盾として扱い、世界の世論を激昂させていた。
彼らの政府は認めていないものの、それは巨大化した彼らの軍が政府の統制を離れていることを意味していた。

かくて事態は混迷。1週間余りがすぎていたのだった。


「『信濃』を、出します。」

中曽根がぽつりと述べた言葉にブッシュは、目をむいた。
信濃。
おそるべき、大和型戦艦の末の妹にして、核戦争時にはシベリアとマンチュリアを焼き尽くす役割を持つ世界最大の通常動力型航空母艦。またの名を「極東の巨竜」。
その役割上、日本近海を離れることはほとんどない。
それを中東へ出すというのだ。

「我々は、対等な友人となるのならまだしも、人間の盾に銃を突き付けて屈服を迫る連中に屈しない。そうではありませんか?」

「1950年のように?」

「五島列島のように。対馬のように。」


かくて、合衆国の意思も決した。
最終更新:2015年02月15日 11:57