647 :ひゅうが:2015/01/31(土) 11:29:32


国防海軍所属 輸送艦「高津」(LSIB-5000)


全長:114m
全幅:16m
基準排水量:5000トン(計画時)
総トン数:5657トン
機関:艦本式13号2型ディーゼルエンジン2基2軸
速力:25.0ノット

武装:ボフォース40ミリ機関砲4連装6基
   対地ロケット弾発射機8基

輸送能力:武装兵員1200名(定員)
砕氷能力:最大2メートル


【解説】――海上警備隊が保有する中型輸送艦。
その正体は、戦前における山下汽船の関釜航路用貨客船にして、陸軍甲(小)型特種船「高津丸」である。
この艦は主として北方において砕氷輸送艦として使用することを前提に設計され、その設計から建造までほとんどが陸軍の手で行われたために関係者はどんな船を作っているのかわからなかったという。
同シリーズに属する有名な神州丸型のように船尾からは揚陸艇を連続発進させることができるように観音扉と傾斜をつけた現代でいう「ウェル・ドック」を有していた。
その床にはローラーが敷き詰められており、揚陸艇(現代でいうLST)はワイヤーをひっかけて収納していた。

極めて先進的な構造をした陸軍特種船の中でも、本船はさらに特殊な構造を有しており、海軍の「宗谷」同様の砕氷船でもあった。
そのために船価高騰から建造は2隻で打ち切られた上に輸送能力は甲型に属する神州丸型よりも大幅に劣る。
戦時下においては南方航路向けに8回の輸送航海に参加し、いずれも生還。
レイテ沖海戦後の第14方面軍の反撃作戦のための輸送作戦「礼号作戦」においてはピストン輸送を担当したのがほぼ唯一の実戦である。

終戦時は舞鶴港に残存。
賠償船指定となったものが多い特種船の中で本船は機関のタービンの不調からその対象から外されたまま引き揚げに従事。海上警備隊の発足に伴い、日本側に返還された。
一時は関釜航路への復帰も考えられたものの、その特殊な構造から運航費用がかさむ上に航路の再開自体が未定なために山下汽船側は日本政府による買い取りを要請。
終戦後のソ連軍の行動から北方への緊急展開用船舶の必要性を感じていた政府側も、乏しい予算のうちから拠出する必要を認め、米国の軍事援助費用の中からこれを支払った。
結局、建造費用のうち補助金額を支払うことで1949年に海上警備隊用輸送船として就役することになった。
海上警備隊は、不調であった機関部を大和型戦艦用に開発されながらも水上機母艦「日進」へ搭載されたままであった艦本式13号2型ディーゼルエンジンに換装。
これによってさらなる砕氷能力の向上と速力向上を図る工事を実施。生まれ故郷であった浦賀船渠において工事を開始するが、この工事のために朝鮮戦争における輸送任務には参加できなかった。

再就役したのは1951年2月。
対空用にハリネズミのようであった武装は、米軍供与の40ミリ機関砲に加え、LSM(R)用に大量生産され無償供与されていた対地ロケットシステムを装備している。
機関換装によって大幅に馬力が向上したために、速力は輸送艦の中でもトップクラスである25ノット。砕氷能力は試験航海において最大3メートルを達成。
流氷海域でも問題なく10ノット以上を達成することができた。

一度に完全武装の1個連隊規模とその装備や弾薬類を輸送可能である本艦は千島列島の冬季における防衛において非常に有用で、さらに何隻かの砕氷船が航路を切り開きLSMやLST群が後に続く中で敵の島嶼強襲部隊を追い払う一番槍の役割を担った。
後継船が誕生した後も、人員や物資輸送担当の定期輸送艦として千島航路を担い続け、1982年に惜しまれながら退役。
現在は、冬季の母港となった北海道留別市(択捉島単冠湾)に記念艦として保存されている。
最終更新:2015年02月15日 12:06