679 :Monolith兵:2015/05/15(金) 01:26:54
1939年8月23日に締結された独ソ不可侵条約は、世界を震撼させた。なにせ、両国はイデオロギー的に対立するのみならずそれぞれの独裁者は互いの事を深く嫌い合っていたからである。
ドイツのヒトラー総統の共産嫌いとロシア嫌いは筋金入りであり、スターリンも同様にヒトラー率いるナチスドイツの事を忌々しく感じていた。
だからこそ、互いに忌み嫌う二人の独裁者が率いるドイツとソ連が手を取り合った事に、日本の変態紳士を除いた世界中の人々が驚愕したのだ。とある新聞では、燕尾服を来たヒトラーとウェディングドレスを来たスターリンの結婚式と言う、想像するのすら放棄したくなる悪夢のような風刺画が掲載されたりもした。
そして、そんなインパクトのある出来事とは裏腹に、公表された条約の内容はと言うと淡白な代物だった。内容を知った各国首脳は、秘密協定があるのだろうと考え諜報・外交を強化して行く事になる。
劇的な独ソ不可侵条約締結の翌日、イタリア王国頭領ベニート・ムッソリーニはヒトラーから届けられた手紙を読み頭を抱えていた。
ムッソリーニは地主や資本家を中心に支持や支援を受けて現在の地位に登り詰めた。そして、支援者である彼らにとっての敵は社会主義者や共産主義者であった。
だと言うのに、イタリアにとって最も重要な友好国であるドイツは、あろう事か共産主義者の中心的国家であるソビエト連邦と不可侵条約を締結したのである。
そして、ムッソリーニはこの不可侵条約の内容が公表された条文だけでは無いと半ば確信していた。何故ならば、ドイツは昨年にフランスとの間で友好善隣条約を締結していたからだ。この事から、ムッソリーニはヒトラーの目的がポーランドの併合、正確にはポーランド回廊の獲得であろうと考えていた。
「となれば、ポーランド軍を短期間で撃破するためにソ連と手を結んだのか。」
この推測が正しいとするならば、ドイツはソ連と半ば同盟したといっても過言では無かった。そして、反共主義と反社会主義を掲げて頭領の座につく事ができたムッソリーニとって、これらの動きは看過できる物ではなかった。
ドイツもまたファシスト国家であり、イタリアのファシスト党と同一視される事が多かった。ドイツがソ連と半ば同盟したとなれば、ドイツと関係の深いイタリアも準同盟国として扱われかねない。その行きつく先は、自身の破滅だった。
「ドイツとの距離を考え直さねばならない時期に来たと言うのか・・・。」
ドイツの英仏との対決姿勢は明確であり、戦備が十分では無いイタリアとしてはドイツとイギリス・フランス連合との戦争に巻き込まれるのは避けたかった。現在ドイツと同盟状態にあるのも、エチオピア侵攻による国際的孤立による緊急避難措置でしかなかった。
折りしも、イギリスにはドイツに対抗する為にイタリアに対して、制裁の解除等を餌に接近を図ろうとする動きがあった。これまではドイツとの同盟が自身の権力基盤のひとつとして機能していたが、ここに至ってはそれも見直す必要も合った。
そして、欧州情勢は酷く複雑で且つ流動的な状況へと移る事になる。
680 :Monolith兵:2015/05/15(金) 01:27:40
1939年9月7日、東京にある某料亭では変態紳士たち・・・もとい
夢幻会の会合メンバー達が一堂に会していた。その表情は酷く疲れており、ここ数日の激務を伺わせていた。
その中でもひときわ酷く憔悴していたのは情報局長の田中であった。次いで杉山の顔色も酷かった。なにせ、欧州の情勢がこの1週間で劇的に変化したのだ。
「まさか、イタリアが最初から連合国の側につくとは・・・。」
誰かが漏らした言葉がその原因だった。
そう、イタリアは、ソ連と不可侵条約を結んだドイツに見切りを付けて同盟を脱退したのだ。その後、経済制裁の解除など英仏との関係改善が進み、イタリアの経済状況が上向いた結果、ムッソリーニの権力基盤は数段強固な物になっていた。
当然、経済規模が拡大した事から軍事費もそれまでよりも増額され、かつての貧弱なヘタリア軍よりは多少マシ、と言う程度までは改善されていた。
そして、ドイツのポーランド侵攻により9月3日に英仏がドイツに対し宣戦布告したのだが、イタリアもそれに同調し宣戦布告をしていた。一時期は同盟関係にあったものの、前大戦でも砲火を交えた相手と言う事で国民もドイツとの戦争には大きな不満を訴えてはいなかった。
また、失われたイタリアと言う格好の大義名分が存在したために、多くの国民はドイツとの戦争を支持していた。
「欧州情勢は複雑怪奇とはよく言った物だ。まさかこのような状況になるとはな。」
伏見宮は、前世の歴史と余りにもかけ離れた現状にため息を漏らした。なにせ、ドイツは英仏伊という欧州列強に半包囲された形になっているのだ。しかも、そのどれもが世界有数の海軍国であり、ドイツ自慢のUボートも史実よりも早く封殺される事は想像に難しくなかった。
それどころか、史実では戦争初期に活躍した装甲艦などの水上艦艇すらあっさりと排除される可能性すらあった。
そして、イタリアを味方にした事で、英仏は地中海に戦力を割く必要すら無くなっていた。特にフランスは、北アフリカから続々とフランス本土へ兵力を移動させており、それを知ったドイツの混乱は凄まじかった。
「この状況では、第2次世界大戦は史実よりも早く終結する可能性があるでしょうね。」
東条の言葉に頷く者は少なくなかった。幾らイタリアが史実でヘタリアだとか枢軸国最大の弱点だとか言われていたとしても、現時点ではれっきとした列強の一角であった。何より、ドイツを半包囲した事により、史実のように対フランス戦に全戦力を割く事が出来なくなったと考えられた。
そうなれば、フランス戦線での戦闘は長引き、国力差から連合国有利になる事は間違いなかった。
問題があるとすれば、ドイツがフランスより先にイタリアを叩く場合だが、ドイツとイタリアの間にはアルプス山脈が横たわっており、鉄道や道路を破壊されればドイツにイタリアを攻略する術は無くなってしまう。
また、戦略爆撃に関しても、ドイツ軍機の航続距離の短さから問題は少なかったし、フランスに備えるためにも戦力を集中するのも難しかった。
つまり、イタリアの枢軸国からの脱退と連合国側での参戦により、連合国の勝利は揺るぎ無い物になったと多くの者が考えていたのだ。
「いくら”あの”イタリアと言えども、英仏と共同歩調を取れば十分ドイツに対抗できるはずです。
また、ドイツのイタリア侵攻もアルプス山脈という要害の存在がありますので事実上不可能でしょう。イタリア陸軍もアルプス山脈での戦闘に最適化された軍備を持っていますので、平野部での戦闘を主とするドイツ軍に十分抵抗できる物と思われます。
そして、イタリアが敵となり、経済的に苦境に立つドイツは連合国に対抗するために長い準備期間が必要となるでしょう。そうなれば、英仏は体勢を整える事が出来るでしょうし、経済的に立ち直っているイタリアも十分な軍備を備える事が可能なはずです。」
杉山の言葉に、会合の出席者達は一様に頷いた。史実では、チハタンよりも貧弱な戦車しか保有していないヘタリアだとか、砲弾よりもワインの備蓄量が多い役立たずだとか言われている。
だが、前者は山岳戦に最適な戦車を求めた結果、軽量な戦車が必要とされた結果であり、後者は単純に国力と工業力の低さ、そして突発的な参戦による戦時体制への移行の遅れが招いた物でしかなかった。その証拠に第2次世界大戦勃発時に、イタリアは局外中立を宣言している。
「それから、英仏からは遣欧軍の派遣を拒否されましたが、イタリアは日本からの援軍を受け入れる用意があると。」
外務省からの報告に、近衛や辻などの政府関係者のみならず杉山や嶋田と言った軍関係者も色めきだった。何せ、第2次世界大戦に介入するチャンスをイタリアの参戦によってようやく掴んだのである。
681 :Monolith兵:2015/05/15(金) 01:29:05
「フィンランドへ支援を行いつつイタリアに軍の派遣を行う以上、どちらかの規模は削らなくてはならない。
幸い地中海で海上戦闘が起きる可能性は零に等しいので、海軍の派遣は最小限度に抑えられるが、その分陸軍には頑張ってもらいたいと思う。」
近衛は、欧州の状況から地中海への海軍の派遣は護衛の駆逐艦や海防艦程度で十分ではないかと判断した。また、フィンランドと同様イタリアにも大規模な支援を行う必要が有ると考えていた。
なにせ、日本はスペイン内戦などで倉庫にあった旧式兵器を殆ど売り払ってしまっていたのだ。現状で日本から欧州に遅れる兵器は、現在配備されているものや生産されている物などしかなかった。
その日の会合は、イタリアとの関係改善と親密化を進める事と、いずれ来るであろう英仏からの支援要請のために下準備をしておく事を確認する事で解散となった。
会合に出席した誰もが、早期に連合国側が勝利するだろうと考えていた。それは、彼らのみならず世界中のどの国の人々もが思っていたことであり、この時点ではそれが普通の考えであった。
だが、彼らはイタリアの侵攻能力の無さを軽視し過ぎていた、それ以上に、フランス軍の酷さを楽観視し過ぎていた。
そう、誰もこの時点でフランスがあっさりと降伏するなど考えることすらしなかったのだ。
1940年から始まったドイツ軍によるフランス侵攻によって、フランスは史実同様僅か1ヶ月で降伏へと追いやられたのだ。
その間、イタリア軍は十分な軍備を持っていなかったにも関わらず、フランスの劣勢からアルプス山脈を越えて20万もの兵力でドイツへ侵攻したが、ドイツ空軍によるインフラの破壊やトラックの不足などによって十分な兵站を維持できなかった。
その結果、ドイツ陸軍の僅か3個師団によって20万ものイタリア軍は1ヶ月以上もの間足止めされると言う醜態を晒してしまい、フランスからとって返してきたドイツ軍主力によってあっさりと撃滅される事になる。
そして、その時からイタリアの長く苦しい戦いの日々が始まる事になるのだった。
おわり
最終更新:2017年10月22日 22:44