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キーファ ー Wikipedia

 キーファ(194?年-1945年5月6日)は、英国が開発したペリカンミサイルの誘導鳩。1945年のインド洋演習でイギリス海軍が披露したペリカンミサイルの誘導を担った。
 インド洋演習ではキーファの他2羽が誘導鳩として活躍し、3羽ともにディッキンメダルと従軍勲章を死後授与された。


1.誕生からメキシコ継続戦争
 キーファの生まれは定かではない。アメリカで生まれたのは確実だが、大西洋大津波と太平洋戦争、メキシコ継続戦争にカリフォルニア共和国独立などによる混乱で、キーファに関する情報は殆どが失われてしまったからである。
 恐らくは、アメリカ東部から避難してきたアメリカ軍と共にカリフォルニアにやってきたと思われる。その後キーファは、当事進められていたプロジェクト鳩に参加する事になる。
 プロジェクト鳩に参加したキーファだったが、当初は余り高い能力は見受けられなかったと言う。これは、機材の不足や、不慣れな者が訓練を施したためではないかと考えられている。
 それでも2ヶ月程訓練すると、平均以上の能力を発揮するようになり、1943年5月にSWOD誘導爆弾の誘導鳩に選ばれる事になる。
 しかし、メキシコの降伏に伴いキーファが実戦に投入される事はなくなった。

 メキシコ戦争終了後、軍縮を薦めたカリフォルニア共和国は、日本からの支援が受けられる事もあり、ある程度の戦果を上げたものの研究開発費と維持費が少なからずかかるプロジェクト鳩の中止を決定する。
 それに伴いキーファも軍鳩として本来の任務(伝書任務など)に戻るはずだったが、イギリスからSWOD関連の技術を購入したいという申し出があり、機材一式と共にキーファを含む誘導鳩と共にイギリスに渡る事になる。


2.渡英
 イギリスに渡ったキーファだったが、当初イギリス軍は鳩で爆弾を誘導するという現実を受け入れなかった。 しかし、検証を重ねていくうちに鳩による誘導は案外馬鹿に出来たもので無いと確信したイギリス軍は、鳩誘導技術の研究を開始した。
 研究を進めて行くうちに、キーファはその能力を開花し、イギリス軍を喜ばせた。1944年9月に行われた訓練では、パネルに映る目標へのタッチ成功率は97%にも達したという。

 この時期、開発されていた新兵器にパンジャンドラムと対艦大型ロケットが存在した。イギリス軍は両者に鳩誘導装置を搭載し、命中率を上げる事で戦力の底上げを図った。
 しかし、パンジャンドラムはジャイロすら搭載していないために余りに不安定で、中の鳩は誘導する所ではなく、実験では9割の鳩が死亡したと言う。
 一方で対艦大型ロケットと鳩誘導装置の組み合わせは素晴らしく噛み合った。開発は順調に進み、1945年2月には始めての実験が行われ、10回の実験で実に7回も目標に命中させる事に成功した。この後も実験は合計18回行われたが、4月に行われた実験では86%という高い命中率を叩きだした。
 キーファはこの時まで通常の訓練を行っていたが、5月のインド洋演習でとうとうデビューする事になった。


3.インド洋演習
 インド洋演習では、日本海軍が披露したジェット戦闘機である4式戦闘機疾風により、イギリス海軍は大きな衝撃を受けた。シーミーティアの披露をすぐさま中止したものの、イギリス海軍のプライドは大きく傷つけられてしまった。
 東洋艦隊司令だったトーマス・フィリップス大将は、シーミーティアの代わりにペリカンミサイルの披露を予定を早めて行う事を決定し、とうとうキーファの出番となった。フィリップス大将は、この鳩ミサイルを余り良く思っていなかったらしく、当初はお披露目をしない予定であったという。
 キーファを載せたペリカンミサイルは、イラストリアスから発艦したペレグリンに搭載され10km先の標的艦に向かって発射された。ミサイルは標的艦から大きく逸れて発射されたが、キーファの誘導によって見事標的艦に命中し、キーファは死亡した。
 続いて他のペレグリンもペリカンミサイルを発射し、3発中3発命中という素晴らしい結果を残した。

7 :Monolith兵:2014/12/01(月) 17:54:21
4.影響
 日本軍はペリカンミサイルの誘導性能に驚愕した。日本本国でもその情報は驚きを持って迎えられた。日本は零式及び二式無線滑空爆弾を既に実戦配備していたが、連山などの大型機から発射する必要があり、発射後も無線誘導する必要があった。
 しかし、ペリカンミサイルは単発単座のペレグリンから発射された為、イギリスは高度な電子技術と誘導技術を持っているのだと日本軍は考えた。
 この事実は、イギリスとの関係を強化する格好の材料であるとして、インド洋演習でのペリカンミサイルについて広く宣伝され、慢心していた日本人に大きな衝撃を与えたと言う。

 インド洋演習からの一連の出来事を、疾風ショックとペリカンショックと呼び、世界に大きな影響を与えた。(後に、ペリカンミサイルの事実が公表されると、鳩ショックやポッポショックと呼ばれるようにもなった。)
 ペリカンミサイルの誘導装置について、高度な電子部品の製造にイギリスが成功したと日本は考えた。一方でイギリスは、日本の持つ電子技術やジェットエンジンなどの技術は自国よりも更に先にあると考え、それらの技術開発に邁進する事になる。
 そして、ドイツやフランス、イタリアなどの枢軸国は疾風ショックとペリカンショックの2つを同時に受け、日英以上に混乱した。

 枢軸国では日本以上に深刻な問題だった。海を挟んで対峙している上に、高い命中率を誇るイギリス軍のミサイルに枢軸海軍が大打撃を受ける可能性さえ出てきたのだ。
 これを防ぐために、ドイツはジェット戦闘機Me262の配備を加速させたが、イギリスもミーティアなどの新型戦闘機の配備を行った。

 元々の技術保有国であるカリフォルニア共和国は、ペリカンミサイルが鳩による誘導を行っている可能性が高いと考え、プロジェクト鳩の再開と日本との鳩誘導装置の共同開発を持ちかけた。
 しかし、スキナー博士は既にイギリスからのスカウトを受け渡英しており、共同開発を持ち賭けられた日本は余りにも突拍子も無い話に混乱した後、丁重に申し出を断ったと言う。
 カリフォルニアからペリカンミサイルが鳩誘導式である事と、鳩誘導ミサイルの共同開発を打診されたと知った嶋田繁太郎は、余りにも現実離れした話に何度も聞き返し、突然柱に頭を何度も打ち付けたという。他の軍人や閣僚達も似たような反応を示したという。
 その為、カリフォルニア軍はプロジェクト鳩を再開したものの、日本との共同開発が費え、資金難と多くの人材と機材を失っていた為に計画は頓挫した。


5.死後
 キーファは死後、ディッキンメダルと従軍勲章を秘密裏に授与された。騎士への叙勲も考慮されたが、前例が無いのと鳩による誘導は第一級の機密であったため中止された。
 キーファを始めとする誘導鳩3羽はロンドンで海軍大臣出席の元葬式が行われた。


6.情報公開
 2012年にペリカンミサイルの誘導装置に関して機密指定が解除されたため、情報が公開された。
 しかし、公開された日が4月1日だったために多くの人はジョークと信じて疑わなかった。その為、国防省はこの情報はジョークでは無く真実であると何度も繰り返さなくてはならなかった。
 鳩誘導ミサイルが真実だと知った人々は最初笑い、次に鳩達に感謝と悲しみを覚え祈ったという。ペリカンミサイルなど各種の鳩誘導ミサイルはイギリスの国防を語る上で絶対に外せないものであり、鳩達のお陰で今があるのだと多くの人が理解したためである。
 その後、人知れず命を落としていった鳩達の名誉を称えようと、ペリカンミサイルの開発や整備に携わった元軍人を中心に署名活動が行われ、実に20万人もの署名が集まった。
 2013年1月27日になりイギリス政府は、ペリカンミサイルの誘導装置として死んでいったキーファを始めとする誘導鳩達全てに騎士の称号を与える事を発表し、イギリスではこの日を鳩の日として国民に鳩に対して感謝するよう指導している。

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最終更新:2015年07月14日 18:11