世界の形という物は物心付いた頃に大抵の者が覚える。
多少の個人差こそあれ、世界地図を書いてくれと言われれば小学生低学年くらいの年少者にでも大雑把になら描けるだろう。
当然嶋田にも、いやさ今年で20歳を迎えるらしいこの身体シゲタロウの記憶にもしっかりと世界の形が焼き付いていた。
もしも焼き付いていないとしたならばそれだけで周りの評価が怖い。
20にもなって、それも大公家の嫡子が世界の形を知らないなどお笑い種だ。
いやいや、笑ってなどいられくなってしまう程の衝撃を受けただろう。
(甘やかされた馬鹿貴族でないのは幸いだが……地図上における世界の形を知らなかったら頭を抱える処だった)
もっとも、喜ばしいながらも頭を抱えたくなる意味不明な地図を“視ている”事はこの際無視させて貰おうかと思わずにはいられなかった。
それほどおかしい。常識で考えて有り得ない地図なのだから。
彼はまずは六つの大陸を数えていく。
ユーラシア大陸。
アフリカ大陸。
オーストラリア大陸。
北ブリタニア大陸。
南ブリタニア大陸。
そして南極大陸。
子供に地図を描かせてみよう。
国は無理でも大陸という巨大な陸地のみならば、形こそ不細工でも丸や三角や四角といった適当な感じで描いてみせてくれる筈である。
そう、六つの大陸なら当然として、“七つ目の大陸”についても簡単に。
陸地面積378万平方キロメートル。
(なんだ……この面積……)
彼の常識を根底から覆してしまったのはその七つ目の大陸だ。
陸地面積が凡そ10倍に拡大という、実に頼もしく太ましい日本の形をした北西太平洋に浮かぶ大陸であった。
日本列島を形成する四の巨大な島から成る七つ目の大陸の姿が厳然として存在していたのだ。
(面積10倍の日本列島で
日本大陸だ? これ、シゲタロウくんがエイプリルフールに見た嘘の地図の記憶とかじゃない……よな?)
日本大陸。
書いて字の如く、大陸のように巨大化した日本の事。
否、紛う事なき大陸そのものだ。
(日本も日本国ではなく“大日本帝国”か。まあ帝国の名こそが相応しいだろう。これほど強大にして絶大なる力を持つ国が“日本国”というのも違和感があるからな。それに政体も皇家――帝“みかど”を頂点とする体制である事だし……それにしても)
恐ろしく巨大だ。
大陸が巨大なのは当然の事として、大日本帝国という国家その物の領域が異常なまでに巨大なのだ。
(本土4島とその周辺島嶼地域に始まり、樺太、千島、台湾、海南島、南洋諸島、外満州、カムチャツカ、チュクチ、アリューシャン全島)
それは日本国の領土。
領土として統治している地域。
前世界でさえ広大な地域を版図としていたというのに、此処の日本はもう端から端までおかしいとしか言えなかった。
(極東シベリア全域に中央シベリア南東部、中央シベリア高原―――何なんだこれは)
果たしてこれは本当に日本なのだろうか。
日本と呼べるのだろうか。
いや呼んでもいいのだろうか。
尽きない疑問と、やはり偽地図が記憶に焼き付いていたとかの記憶障害を疑ったが、この場に地図がない以上は確認不可能である。
総陸地面積1322万6382km2
総人口7億5289万1745人
大陸である本土を中心に、北は中央シベリア北中部から南はミクロネシアまで広がった、ブリタニアと対を成す超大国。
あまりにも大きすぎるその大帝国の存在は、ただ存在するというそれだけで世界経済と勢力図を書き換えてしまっていた。
(こんな化け物が日本とは……わけわからん……)
分からない。
なぜにこれほどまでに肥大化し、尚かつ国土が大きく広がっているのか。
自然の成せる不可思議な現象。
大陸化する程の大地の隆起。
果てはスーパーホットプルームの大噴火による大地形の変化まで考えてみたが、どれも真実コレだという答えには結びつかない。
だが分からないなりにも分かることの一つに彼の国の歴史があった。
(始まりは太古の超古代文明より、か)
先史文明ではない。先史を皇歴という紀元を基準とした『それ以前の全て』とするのならば先史として一括りにも出来ようが、一般的に考えられる先史文明とはエジプト文明やメソポタミア文明といった四大文明に、日本の縄文文化など数千年から一万年単位前の物を指す。
しかし日本のルーツの先に在る超古代文明とは、それら先史文明よりも更なる昔。
世界の常識としては眉唾物であり、信用しない人間の方が多かろうが、所謂創世記に該当する時代のもの。
分裂した超古代文明の一国を前身とする大日本帝国の歴史は、失われた遥か太古の時の彼方より続く皇室(皇家)の権威と力によって、統一国家として出立した紀元前にまで遡ることになるのだ。
(超古代文明後から始まった歴史とか気が遠くなる……。……しかし、そんな長い歴史を持つ割には海外進出は遅いな)
絶海の大陸国家であり、豊富な資源と肥沃な大地の恩恵を受けていることから一国での完結を可能としていた為か、日本として出立した当時より同じ超古代文明国を前身に持つブリタニアと並ぶ世界最古の国でありながらも海外進出は遅く、台湾と南洋諸島を併合した事を除き殆ど行われていなかった。
長らく続く安定期はひたすら国内の開発と技術革命に時を費やしていたようだ。
(超古代の栄華を取り戻す為とかなら笑えないが、真面目な話では大陸の広さと種々の恩恵から態々外征しなくとも必要以上の物を国内で揃える事が出来るというのがその理由といったところかなのかねえ)
本土がこれだけ広いと下手に手を広げるよりも国内の整備が最優先課題にもなる。
唯でさえこの世界の日本といえば国土その物が資源の塊だ。
他に手を出す暇があるのならまずは――といった具合に。
(欧州でサクラダイト関連の技術が確立されたのは錬金術研究のさかんだった13世紀から15世紀頃、日本もまた同じ時期だが僅かばかり先行している。それも欧州では採掘量が少ないためサクラダイト関連技術の発展は遅れていたが、その点日本では――)
湯水の如く採れる。
あの架空としての世界の普通サイズの日本でさえ。
ならばこの大陸化した日本では想像を絶する埋蔵量と成っていよう。
(引き籠もって技術革新に時間を費やす意味もこの日本ならではだな。その成果は十二分以上に上がっていたらしいから国内に重きを置いたのは正解だったようだ)
年代的に考えれば技術開発の技の字もまだであろうかと思われるのだが、そこは古代文明国より続く正統継承国家。
一度滅びた文明より這い上がった日本は当時としての世界最高の技術水準には達していたようである。
無論『当時としての』であり、超科学によって栄えた古代文明時代や、進化したエレクトロニクス文明の結晶である現代とは比べるべくもなかったが。
(海外へと目を向け始めたのは皇歴1500年辺りからか)
しかし皇暦1500年前後からはその様相が一変している。
時の帝(みかど)の名代として天下を盤石の物としていた室町幕府第10代征夷大将軍足利義材が明らかに意図的な意思の下の海外進出を行い始めた事を機に、北方は1600年代前半までに樺太全土、カムチャツカ、チュクチ、アリューシャン列島全島へと進出しこれを正式な日本領として編入していた。
(もの凄い進出速度だ。特に義輝の代からその速度は急速に増している)
足利13代将軍義輝の時代から“足利17代将軍”までの間に、まるで休憩無しで駆け抜けたかのように北への版図が大きな広がりを見せている。
皇歴1600年代。
足利幕府指揮の下シベリアまで進出していた日本は、その地の部族(今日で言うサハ、またはヤクート系日本人)との文化交流や商取引を始め、その地の発展に大きく寄与していた。
(平和的な交流による同化政策という意味合いもあっただろう)
統一された大陸国家となれば人口も世界有数だった筈だ。
なにも武力一辺倒で突き進まずともシベリアのような過疎地を取り込むのはわけもない。
(しかも丁度いい時期にロシア人がやってきた)
1630年に入ると、シベリア西部から中央部に掛けての小国家群を次々に併呑してきた欧州列強の一つ、モスクワ大公国がシベリア東部へとその勢力を伸ばしてきた。
同化政策によるシベリア浸透を狙った日本とは異なり、東方への強引な拡大を図り武力による極東征伐を選択したモスクワ大公国。
この西方より迫り来る脅威に対し現地の部族は自分達だけで打ち勝つことは不可能であると、当時友好関係にあった日本へ助けを求めている。
しかしただ親切心のみで血を流すのかと言えば、日本人も其処まで甘くはない。
血を流す以上はそれに基づく対価を必要とする。
彼等サハ人もまた日本の意図が静かなる侵攻と併合にあるという事には薄々勘付いていたが、武力征伐という手段に出ず友好的な付き合いに終始するならと受け入れていたのだ。
それに和を以て貴しとなすという日本人の考え方が、武力を用いて圧する他の列強とは違う好印象を彼等に与えていたのも大きい。
だが事此処に至り状況が一変した。
ロシア人は日本人の様に甘くない。
実際に力による少数民族支配を行っているのだから今更の話だ。
だからこそサハ人達は迫られた。
“日本”となるか“ロシア”になるかの選択を。
(小国や少数民族は“反逆物語の世界”だと独立国として生きて行くことが難しい……だが、生きる為の選択肢だけは平等に与えられている)
選択は自由だ。自らを護るべき術を持たない彼等には与えられた選択を自らで選ぶという権利のみしか持ち得ない。
もちろん、強引な併合を行わない日本は、経済交流という観点からサハの防衛に兵を割いてくれはしよう。
しかし、それでどうなる?
一度目は防げても、二度目、三度目と繰り返し行われるかも知れない強国の侵略から永遠に護ってくれるという保証など何処にも有りはしないのだ。
日本とて己が国益と都合によって動く以上は、『価値無し』と判断した時点から段階的な撤退を行うだろう。
後に残されたシベリアの小国や部族は日本より吸収し、学び取った戦い方や武器を用いて独力での防衛を迫られることになる。
大国モスクワ大公国を始めとする欧州列強や。
南方の中華帝国を相手にそれが可能か?
誰に聞いても同じだが「否」と答えるだろう。
ではどうすればよいか?
この答えを彼等は自ら導き出した。
即ち、日本が進んで血を流さざるを得ない。
“自分達の郷土としてのサハやシベリア”を護り続けるようにしてしまえばいいのだと。
(部族の独立心や誇りを捨てて実利を取ったわけだが、そこには部族社会や他文化に寛容な日本人の考え方に対する一種の共感もあったんだろう。例え部族の独立は失われ日本人になったとしても、自分達の生活はなにひとつ変わらないのだという確信も)
変わらない処か向上の期待が持て、更に一刻の猶予もない以上、これが自分達の生き延びる唯一の道として彼等は決断したのだ。
大日本帝国の一部、一員と成る決断を。
(両者の思惑は期せずしての一致を見た。それも日本にとってはロシア人が仕掛けてくれたお陰で抵抗も反発もなく予定より早い極東併合の道筋を付けられたわけだ)
こうしてシベリアはサハ東部を己が領土とした日本は彼等サハ人の思い描いた通り、サハ防衛の為に本土より大軍を派遣して同地の護りを固め、1631年9月2日。現在のヤクーツク近郊にてピョートル・ベケトフ将軍率いるモスクワ大公国軍と激突。
二度の戦争――日露戦争(1631-1633)(1654-1657)を経て一度目は帰属未定地であったマガダン地方とハバロフスク北部地域を。
二度目にはサハ地域東部全域を戦勝国と成った日本が自国領土として確定・編入させている。
(コサックのベケトフがモスクワ大公国軍の将軍とは……、まあ世界が違えば歴史も違う。超古代文明より続く全く異質な歴史を持つ大陸国家日本があるくらいだから当然と言えば当然か)
世界の根源にも関係していると言われている超古代文明は、コード・ギアス・強化人間・そしてナイトメア、ありとあらゆる超常の技術を生み出したとされるが。
一体どれ程遡れば辿り着けるのか不明なこの文明から派生した二つの国こそが大日本帝国と神聖ブリタニア帝国である以上、そして此処が反逆物語と相似した世界である以上、“史実の話”を考えても意味は無い。
要は史実とはまったく異なる流れを持った歴史であるという、それだけのことだ。
(ともかくも、これが日本にとって一度目となる本格的な対外戦争だったわけだ。しかし以後200年あまりの間は再び進出が停止している。広がった国土への入植と開発に手間取られたか?)
足利幕府は国内の制度改革によって普通選挙が実施されるまでの間、織田・今川・徳川・毛利などの皇家の信を得て政権を支える大臣や官僚団を構成する大名たちの支持の下、皇歴1336年-1867年もの、実に530年の長期安定政権として帝の名代を勤めていた。
この安定期に日本が力を蓄えていったことから察するに、1500年代からの拡大政策と史実徳川幕府の時代に当たる年代の停滞期には何かしらの繋がりはある様子だが。
(それは日本の中枢のみぞ知る……だな。そうして静かで、それでいて新規に獲得した極東シベリアの開発に心血を注ぎながら安定期を終え、迎えた久方振りとなる対外戦争にして、初の国家総力戦となったのが――日中戦争だった)
1889年8月2日
太平洋進出を目指した中華連邦との間で起こった日中戦争(1889年8月2日-1892年7月25日)では、連邦構成国家=中華帝国・インド・モンゴル・インドシナを相手にして陸海共に完勝を収めている。
(戦勝国と成った日本は海南島に加え、領域内にサクラダイトの大鉱山――外興安嶺南部を抱える外満州全域までもを割譲し極東全域の併合を達成……。国内の開発に全力を挙げてきたことで大幅に増した国力のお陰もあるだろうが、技術・物量、そのどちらもがブリタニア級の日本ならではの結果か。普通なら絶望的な相手だからな中華連邦は)
いまさらの話だが中華連邦の国力は同時期の『
アメリカ』とほぼ並び立てるだけの国力を誇っている。
これを相手に打ち破る処か“大勝”してしまえる辺りがなにか間違っているのだが、事実としてある以上はそれ以上の力を日本が持っているという事で無理やり納得するしかなかった。
そして、そんな中華の敗北に学ばなかったのが白人至上主義者たちだった。
1902年2月8日
モスクワ大公国以来初めてとなる東方拡大を図った欧州圏の統一国。
E.U.民主主義革命政権――ユーロピア共和国連合との間で衝突不可避となり勃発した日欧戦争(1902年2月8日-1908年9月5日)では、国力・技術力に物を言わせた物量戦にて、兵器の質・量共に劣るユーロピア相手に日本優位の戦いを展開。
ヤクーツク講和会議にてザバイカリエ、ブリヤート、イルクーツクの中央シベリア東部三地方。
及び中央シベリア高原一帯――史実ロシアのエヴェンキ・タイミル両自治管区に該当する地方をユーロピアより割譲させて、日本領として編入している。
二つの戦争共に共通している点は日本側の完勝であったということだ。
それも講和に際する反論を許さずというほどの圧勝である。
(まあ無理もないか)
日中戦争では黄海、東シナ海、南シナ海の三つの開戦を経て中華帝国とインドの海軍戦力が壊滅した上、外満州は疎か満州域やモンゴルにまで展開を図っていた日本陸軍の猛攻を前に為す術のない中華連邦が、同地割譲を前提とした講和条件に意義を唱えられるはずもなく。
日欧戦争に至っては、世界初の『戦闘機』や『戦車』という、国際社会を驚嘆させる新時代の兵器の開発・実戦投入まで行ったのだから。
一時期ウラル山脈の東側まで攻め上った日欧戦争では、東京で行われた講和会議の席でクラスノヤルスクやトゥヴァ等、中央シベリア全域の割譲案まで上がっていたほど欧州本土へ接近していた。
(しかし、日欧戦争の獲得地域に中央シベリア高原が入っているのは……これは偶然か?)
ここまでを整理して引っ掛かった場所の一つ、中央シベリア高原。
此処にはシャルルの進める“アーカーシャ”に必要となる遺跡の一つが眠っている。
日欧戦争で大きく広げた領土だが、果たして此処まで広範な版図を講和条約締結会議で最初から要求するつもりだったのだろうか?
こう言ってはなんだが所詮中央シベリアなどこの日本にとっては不要な土地。
獲得した地域に対し、そう言えてしまえるだけの物を日本は最初から持っている。
ではただの領土欲?
否。
領土を欲しているのならば自ら獲りに行けるだけの力が大陸化した日本にはあった。
現に皇歴1500年からの北方進出ではモスクワ大公国を打ち破って極東の大半を手にしている。
(だが、シベリア遺跡の獲得の為であったというのなら北に広がった版図を更に広げた事の理由にも繋がる。と同時に絶対に必要であったわけでもなかったというのも)
最初から手に入れるつもりであったのならば自ら仕掛けていた筈だ。
だが現実にはユーロピアの側から仕掛け戦争は始まっている。
(神根島遺跡を抑えているだけでもアーカーシャ計画は進まない。しかしユーロピアが仕掛けてきたことで更に踏み込んで保険を掛けておこうとした?)
シャルルの計画を。
この世界の未来を知っている誰かが日本政府中枢に?
可能性はある。
それ程上手く事が運んでいるから。
但し、これだけの要素では別の可能性もまた否定できない。
(それとも、古代国家の継承国として単純に遺跡の価値を知るが故の措置だったとか?)
そうだ。其れもまた有り得るのだ。
態々血を流してまで奪いに行く必要性こそなかったが、向こうからやって来たものなら話しは別。
返り討ちにして、ついでに土地と遺跡とその地に眠っているであろうサクラダイトを手に入れる。
戦争をするからにはただ防衛するだけではなく相手から得る物を得なければ一方的な損害を被るだけ。
金でも、土地でも、遺跡でも、資源でも、なんでもいい。
その全てを要求できるだけの勝利を収めて且つ開発維持を可能とし。
獲得した物を生かせる国力を保持しているのならば当然全てを要求するだろう。
それが戦勝国の権利であるのなら、権利を行使し賠償として受け取るのは当然の事だった。
国家とは綺麗事で語れる様な存在ではないのだから。
(他には国土が広がった分だけ容易な本土攻撃を不可能とさせる為……)
未来を識っている者が居る。
或いは偶然。
(どちらともに取れるから難しいな。しかしどういう意図があったにせよ古代文明時代よりの歴史が大陸化した日本を統一させるには十二分に過ぎる時間を与え、また、元より保持していた技術レベルの高さが日本大陸という豊穣の地の恩恵を受けて遺憾なく発揮された結果であることは確かだ……。なんともまあそら恐ろしくも頼もしいことで)
古代文明を引き継ぐ長い歴史と、高度な技術力。それに加えて知識によって達成した独力による産業革命。
文明を動かす戦略資源である超伝導物質サクラダイトの異常な埋蔵量と採掘量。
豊穣なる国土が育む余りある食糧資源と自給率。
(一国で完全完結を可能とする大陸国家大日本帝国か……まるでブリタニアが二つあるみたいだ)
現に日本が『人型自在戦闘装甲騎』、つまりKMFを世に送り出したのはブリタニアとほぼ同時期だ。
資源その他の状況と足し併せたこの事実は、言うなれば日本が唯一ブリタニアに対抗可能な国であることの証明である。
それも本来の歴史にて第四世代機が実戦投入される2010年よりも早い段階で両国共に開発完成をさせている処からして、熾烈な開発競争があったものと伺い知ることが出来た。
(同規模の国家が存在した事による競争の激化が技術の進歩を加速させたのか?)
昨年の2017年には第七世代量産機が登場していたが、反逆物語の2017年といえばまだ第七世代機の完成を見る前。
実験段階としてランスロット等の先行試作機が世に出てきた時期だ。
だが、現実には既に第七世代量産機の実戦配備が始まってしまっている。
フロートシステムの開発などもやはり早く、浮遊航空艦艇も量産されて。
(とにかく、シャルルが日本侵攻は容易成らざると判断する要素が満載だったというわけだ)
国力比でみても一目瞭然。
ブリタニアを10とした場合、日本もまた10と完全に拮抗している。
この国力が中華やE.U.との戦争において遺憾なく発揮された結果が極東での急拡大であり、それを可能とする原動力となっていたのだ。
尤も、ブリタニアには本国とは別に国家的集団としてユーロ・ブリタニアなる組織と軍が存在している為に、額面上の数値から戦争遂行能力その他を割り出せないといった不確定要素も存在していたが。
(何れにしても、リ家・ヴィ家と、その支持勢力が日本へ亡命して組織化できる土壌も国力もあり、且つ簡単に手出しできない要素が揃っている。自由ブリタニアの一員である俺の立場からしても有り難いことこの上ない)
しかし、全てが全て良い方向に向ったわけではない。
これだけの大きなイレギュラー。
日本の急拡大と発展が思わぬ悪影響をもたらした部分も存在していた。
(中華帝国、大清帝国、インド連邦にインドシナ連合、ついでに高麗民国。中華の分裂か……)
コードギアス三大国の一角。
中華連邦が崩壊していたのだ。
続きますが終わりです。
ヴィレッタ等の純潔派は全員日本に設置された亡命ブリタニア人自治区へ、です。
最終更新:2015年07月16日 19:01