852 :フォレストン:2015/08/25(火) 09:24:05
リレーから球へ。
地球の裏側で極東の小国が無双していたころ、独ソ戦はドロ沼の消耗戦に突入していた。
戦争に求められるのは、何は無くとも数であり大量の兵器を前線に送り出した側が勝利を手にすることが出来るのは、ある意味真理である。しかし、その兵器を製造するのにも運用するのにも結局のところマンパワーが必然なのである。
マンパワーの隔絶。
兵器の性能もキルレシオも圧倒的に上回りながらドイツが苦境に陥っているのには、そんな事情があったのである。それゆえに軍需大臣であるアルベルト・シュペーアは、独ソ戦遂行のために資材の管理と共にマンパワー確保のための手段も模索していたのである。
政治に関与するまでは元々数学者志望であり、紆余曲折を得て建築家の道を歩んでいたシュペーアは、あらゆる局面における膨大な計算から技術者を解放することがマンパワーの効率的運用に繋がると考えていた。そのためには高性能な計算機が必要と考えた彼は、軍需省主催で計算機とそのアイデアを広く募集したのである。
その結果、性能もさることながら抜群の安定性を示したコンラート・ツーゼの電気機械式計算機Zuse Z2が特別賞を受賞し、公的機関に大量に導入されることになる。史実以上に潤沢な援助を受けることに成功したツーゼは、独立して(日本を例外とすれば)世界初のコンピュータ会社を起業し、1942年にはZuse Z3を完成させた。
Z3はZ2の拡大発展バージョンであり、チューリング完全を達成していた。これまでのZ系列計算機の集大成と言えるものであり、ドイツの公的機関、企業のみならず、欧州枢軸内でも広く用いられ、兵器設計やダム等の巨大公共建築物の設計に力を発揮したのである。
Z3開発の副産物として、ツーゼは(くどいようだが、チートは例外として)世界初の非ノイマン型高級言語である、プランカルキュールを考案している。その後、欧州枢軸で広く使用されるプログラミング言語となり、後のプログラミング言語も、プランカルキュールから派生、発展していくことになる。
853 :フォレストン:2015/08/25(火) 09:27:01
1945年7月。
全世界の数学者と暗号技術者達のSAN値を直葬させる情報が世界中を駆け巡った。
スイッチング素子に真空管ではなく、今まで全く未知の存在であったトランジスタを採用した従来の常識を覆す新型電算機。後に『トランジスタ・ショック』と言われることになるトランジスタ型コンピュータの発表である。
真空管とは違い、球切れすることなく延々と高速計算が可能であり、しかもプログラムを変更することで多種多用な計算に対応することが出来ることは当時としては画期的なことであった。ツーゼの開発したZ3もセルロイド製フィルムに穴を開けることでプログラムとデータの記憶が可能であったが、日本のトランジスタコンピュータはコンソール上から簡単にプログラムの変更が可能な点でZ3よりも一歩先んじていたのである。
この当時、ツーゼはZ3の性能向上型であるZuse Z4を開発中であったが、日本のトランジスタコンピュータの発表を聞いて設計を全面的にやり直すことにした。機械式のリレースイッチでは高速化に限界があることを理解していたからである。そのため、Z4は機械式ではなく真空管を使用したデジタルコンピュータとして開発されることになる。
列強の関係者にとって恐ろしいことに、この画期的なコンピュータは10年前に開発されて秘匿されていた。極論であるが、科学技術の発達は計算機の発達の歴史と言っても過言では無い。人間が計算するよりも遥かに高速で間違い無い計算結果を得られるということは、それだけで大きなアドバンテージとなるのである。
特に物作りでは計算は必要不可欠である。構想がまとまっても、それを形にするには膨大な計算が必要となる。設計現場では手回し式計算機や計算尺の導入によって高速化が図られていたが、それでも人的ミスは避けられず、納期の遅れや設計変更が頻繁に起こっていたのである。
しかし、この新型コンピュータならそのような煩雑な作業から開放されるのである。設計段階でのロスが大幅に減ることにより、開発スピードは格段に向上され、それが10年続けばどうなるか…。日本が異常な発展を遂げた理由としては十分なものではあった。もっとも、完全に納得したわけでは無く、未だに日本に対して不審や疑いの目を向けている者もそれなり以上に存在していたのであるが。
確かにトランジスタコンピュータは画期的であったが、それだけではなかった。各国の数学者たちはこの画期的な計算機が暗号解読に使用できることを悟り、それを情報部に報告した。情報機関関係者と政府上層部が軒並み青ざめたのは言うまでも無い。ただちに新型暗号への切り替えと日本に対抗出来るコンピュータ開発が進められることになったのである。
854 :フォレストン:2015/08/25(火) 09:28:42
コンピュータというものは極論すると、論理回路が組み合わさったものである。この論理回路を構成出来るスイッチングデバイスが必要となる。リレースイッチを除けば、この時代では(極東のチートは論外として)真空管が一般的であった。しかし、この当時の真空管は高価であり、球切れによる寿命の問題もあった。数個使用するならともかく、大量に使うとなると真空管の調達に膨大な資金が必要となる。仮に真空管でコンピュータを作ったとしても、常にどこかの真空管が球切れを起こして正常動作が出来ない可能性が高かったのである。
コンラート・ツーゼも上述の真空管の欠点を理解しており、速度が遅くなるのを承知で信頼性の高い機械式リレースイッチをデバイスにしたのである。しかし、日本のトランジスタコンピュータに対抗するためには、多少信頼性に目を瞑ってでも高速を発揮出来る真空管をデバイスにするしかないと考え直し、開発中だったZ4のリレースイッチを真空管に置き換える形で再設計したのである。
真空管式のZ4は機械式に比べて圧倒的な演算速度を発揮出来るものと思われた。しかし、それを実現するためには大量の真空管が必要であった。このZ4の存在が伍長閣下の耳に入った結果、強権をもって真空管の調達を進めることになるのであるが、さすがにこれには国防軍が強硬に反対した。さすがのヒトラーも軍備に影響が出ると言われるとどうしようもなったのである。
軍需大臣であるシュペーアも調達に奔走したのであるが、民間用ならともかく、いわゆる軍用に用いられる高信頼管を大量に調達するのは予算的にも時間的にも不可能であった。しかし、思わぬところから福音が舞い込むことになるのである。
855 :フォレストン:2015/08/25(火) 09:30:39
テキサス共和国。
旧テキサス州とその周辺領土で構成された国家である。1944年のサンタモニカ会談で正式に承認された独立国であるが、実態はドイツの衛星国である。
アメリカ合衆国最後の大統領であるジョン・N・ガーナーの出身地であったため、荒廃した北米の地にあって比較的早く復興していた。豊富な資源があったことにより対日決戦のための後方基地としての役割を担うことを期待されていたためか、東海岸より軍需メーカーが多数避難してきていた。後に旧アメリカ財界の方針転換により、大部分の人材や機材が西海岸へ移動したのであるが、想定以上に早かったアメリカ崩壊により取り残された施設や人材が多数存在していたのである。
進駐してきたドイツ軍によって発見、確保された工場の中には、KEN-RADやRCA、GEなどの真空管製造メーカーがあった。ドイツ本国より派遣された技術者と現地に在留していた旧アメリカ人技師の協力で工場の稼動に成功したのであるが、テキサス共和国では奴隷を使って工場を24時間体制でフル稼働させた。その結果、高品質な真空管が安価に大量に入手することが出来るようになったのである。ツーゼのZ4には、テキサス共和国産の真空管が使用されたのである。
テキサス共和国で大量生産された真空管は優先的に軍需に回されたが、その後広く民生品として出回るようになった。ラジオは無線、後にTV放送にも使用され、ありとあらゆる電子機器に搭載されたのである。
真空管は性能はともかく重く嵩張り、寿命も短いのが常であるため性能向上が図られた。ドイツの変態技術と旧
アメリカの大量生産技術が組み合わさった結果、目覚しい性能向上を遂げ、年を追うごとに、小型省電力、長寿命化を達成し、1940年代後半にmT管、1950年代にはサブミニチュア管とニュービスタ管の大量生産を開始することになるのである。
856 :フォレストン:2015/08/25(火) 09:32:11
ドイツ製真空管に比べてピーク性能はやや落ちるものの、信頼性が高いテキサス共和国産の真空管によりZ4は想定以上の、従来の機械式計算機の遥か上をいく性能を発揮した。その結果に関係者一同狂喜乱舞したのは言うまでもない。
Z4は当時としては(くどいようだがチートは除く)最強クラスのコンピュータであったが、真空管を用いているため球切れによる動作不良からは逃れられなかった。当初、真空管は毎日数本が壊れ、修理には毎回30分ほどかかっていたのであるが、この欠点を克服すべく以下の工夫が施されたのである。
- 電源を落とさない。
- 真空管のフィラメントを定格の10%未満で動作。
故障の大部分は電源の投入・切断時に起きていた。これは真空管のヒーターとカソードの加熱と冷却の際にもっともストレスがかかるためである。そのため、真空管のフィラメントを定格の10%未満という低い電圧で動作させ、加熱と冷却でフィラメントが膨張と収縮を繰り返さないよう電源は落とさないようにしたのである。他にも細かな工夫が行われ、それにより真空管の故障率を2日に1本という割合にまで低減させることに成功したのである。これに加えて予防保守の概念が導入され、球切れしそうな真空管は事前に交換されるようになった。さらなる信頼性向上を果たしたZ4は5日間連続運転を達成し、真空管コンピュータが実用可能であることを国内外に示したのである。
Z4は真空管の小型化に合わせるように、性能向上とダウンサイジングを達成し、欧州枢軸の商用コンピュータのスタンダードとして永く使われることになる。その一方で真空管の小型化には限界があり、高性能を求められる軍用コンピュータは大型化していくことになるのである。
857 :フォレストン:2015/08/25(火) 09:33:25
あとがき
というわけで、改訂版です。
中身をだいぶ弄くったのでタイトルも変えてみましたw
日本はトランジスタ、英国はパラメトロン、ドイツ(欧州枢軸)は真空管と3つ巴になってしまいました。改定前だと、英国はトランジスタの欠片を入手して独自研究出来たのが、改定後だとそれが出来なくなってパラメトロン一筋に。ドイツは真空管を抱いて溺れ死ぬ運命が確定?な状況です。
真空管は軍用管で3000時間、MT管やニュービスタ等などの小型管で500時間くらいが寿命の目安です。これを大量に使用するとなると、予防保守(球切れする前に交換)とホットスタンバイ(同仕様の機械が常に待機)が必要不可欠でしょう。これにより真空管コンピュータの常時運用が可能となります。
真空管だけでも1960年代くらいまではなんとかなると思いますが、この後どうしましょうかねぇ…(汗
最終更新:2015年09月08日 22:22