259 :Monolith兵:2015/07/30(木) 03:32:39
ネタSS「スパゲッティ・ウィズ・ミートボール」 その5


 1944年1月10日、カリフォルニア共和国ロサンゼルスに後にサンタモニカ会談と呼ばれる会議を行う為に、大日本帝国、大英帝国、ドイツ第三帝国という、世界の多くを支配する列強が集結した。
 本来ならば、この3カ国だけで他はお呼びで無かったのだが、日本の強い要請とイギリスの援護射撃もあり、もう一カ国、サンタモニカ会談に参加する事になっていた。

「あれが大日本帝国の切り札『大鳳』か。そして『ヴィットリオ・ヴェネト』か・・・。」

 ヒトラーは戦艦『ビスマルク』の艦橋から、二隻の大型艦とその随伴艦がサンフランシスコに停泊しているのを忌々しく見つめていた。
 そう、サンタモニカ会談最後の参加国とはイタリアだったのだ。日本は、欧州枢軸とイタリアの国土回復で手打ちにする事を決めており、他国の亡命政権にはその実績でもって、日本は決して裏切ったりしないという姿勢を見せて手綱を握るつもりだった。

 他国の亡命政権はいざ知らず、イタリアは国土の大半を独仏占領下に置かれ亡国の危機にあったにも関わらず、日本に貴重な正規軍を派遣してまで協力したのだ。
 その兵力は、陸軍1個大隊、海軍軽巡洋艦1隻と駆逐艦4隻、空軍に至ってはパイロットを10名ほどと言う、本当にささやかな代物だった。
 だが、陸空軍は事実上の壊滅状態、海軍は陸に兵力を引き抜かれてしまい開店休業状態という事から考えれば、イタリアの下した決断は非常に大きな物だった。下手をすれば亡命政権どころか国すら滅んでしまう可能性すらあったのだ。
 だからこそ、イタリアの決断に報いる為に日本はイタリアの国土回復を支援する事に決めたのだ。

「我々にも空母は必要だが・・・。」

 幾ら海軍音痴のヒトラーでも、欧州と太平洋の戦いから、制海権の大切さは十分に理解できていた。制海権を奪う事が出来なかった故に、ドイツはイギリスを完全に屈服させる事は出来ず、イタリア全土を占領する事が出来なかったのだ。
 イギリスは北海の制海権を奪えなかった故に、イタリアは地中海の制海権を奪え無かった故に。そう、イタリア海軍は最後まで独仏西等の枢軸海軍から国を守り続けたのだ。日米英から見れば弱体なイタリア海軍だが、枢軸海軍の全てを結集しても攻略できないあろう存在、それがイタリア海軍だった。

 ヒトラーにとって、新大陸の統治を考える上で制海権の確保は何としてでも必要な事だった。そして、制海権を確保するには制空権が必要であり、大洋で制空権を得るには空母と艦載機が必要不可欠という事はよく解っていた。
 しかしながら、空母を運用するには大量のノウハウが必要であり、それを持つ国は今やイギリスと日本にサンフランシスコ、そして最後にフランスが来る程度であった。
 しかし、日英を除くとその経験は天と地くらいの差があり、日英の間でもかなりの差があった。枢軸唯一の空母運用経験を持つフランスにしても、イギリスの裏切り、カナリア沖海戦、地中海での主にイタリア海軍との戦い、更には大西洋大津波の影響もあってほぼ壊滅状態だった。
 何より、フランスの国土は北半分をドイツが占領しており、現在のフランスの国力では強力な海軍を整備する事は不可能だった。ヒトラーはフランスに国土の返還をする事を考えていたが、返還したとしても大西洋大津波の復興に莫大な予算が必要となり、海軍の復活に時間がかかる事は間違いなかった。

(日本はあれよりも旧式小型だが11隻もの空母を持っている。イタリアの国土を返還したとすると、何隻かイタリアに向かう可能性もある。
 だが、返還しなかった場合、日本と緊張状態が続いてしまう。衰えたとは言えイギリス海軍も有力な戦力を持ち、ソ連も未だ力を残している。北欧も日本側となると、イタリアの国土を返還してでも、日本と融和しなければならない。)

260 :Monolith兵:2015/07/30(木) 03:33:14
 もし、イタリアの国土をこのまま占領し続けた場合、あの律儀な日本の事である。再び遥々欧州まで遠征に来る可能性は否定できなかった。その場合、今度は富嶽や核兵器までもが欧州にやってくるであろう事に疑いは無かった。
 日本が応援に来る前にイタリア全土を占領してしまえば、日本と講和できる可能性もあったが、イタリア政府がリビアに脱出した場合も考えられた。その場合、リビアから出撃した富嶽が欧州の各都市を爆撃して回る事は想像に難しくなかった。それで無くても、北欧から富嶽が出撃する可能性があった。

 ソ連との戦争は当初こそ苦戦していたが、ソ連の防衛線を突き破る事に成功し、バルト三国とベラルーシ、更にはウクライナの一部を占領する事に成功していた。だが、これらの新領土経営に加え北米新領土の経営がある以上、ますます日本との緊張を緩和する必要性が生じていた。それ以前に、イタリアの占領地で余りにも死傷者数が増え続けており、より多数の兵力をつぎ込まなければイタリア占領地の保持が不可能になると言う事情もあった。つまり、イタリア半島の土地は将来に渡っても大赤字になるだろうから、さっさと手放そうという事だ。

「日本も長い戦争によって少しは疲労しているはずだ。落とし所を間違えなければ、日本も我々と好んで先端を開く事も無いだろう。」

 ヒトラーは自分に言い聞かせるように呟いた。ドイツの手札は少ない。だが、日本の手札を全て出させない様にする事は可能なはずだ。そう自分に言い聞かせて、ヒトラーは気を取り直した。

(富嶽と核兵器さえ欧州に持ち込ませなければ、何とかなるはずだ。新型の重戦車群に新型戦闘機ドルニエDo335を見せ付ければ、我が国と事を構えるのは不利益だと気付くだろう。
 そして、日本とイタリアはイギリスに隔意がある。そこを突けば・・。)

 ヒトラーはあれこれと間近に迫った首脳会談に思いをはせながら、艦橋から立ち去っていった。

261 :Monolith兵:2015/07/30(木) 03:33:44
 サンタモニカ会談では、嶋田が各国に対メキシコ戦での協力を感謝する事から始まり、英独は日本の勝利を賞賛した。そこからは、日英独が主となって各国の和解に向けた話し合いが持たれたが、これは大筋で妥協点を見出す事が出来た。亡命政権の帰還についても、ポーランドや自由フランス以外の帰還をドイツは認め、日本も強くは主張しなかった。
 だが、事がイタリアの話題になると、日独の間で多少揉めた。
 両国とも、イタリアの国土回復を自身の政府内では決定していたのだが、その条件を巡って揉めたのである。ドイツは何とか日本がイタリアに、引いては欧州に戦力を置かないよう牽制し、日本は安全保障上イタリアへの日本軍の駐留を認めさせようとしていた。いざという時、欧州に僅かながらでも戦力があると無いとでは大違いなのだ。その為、駐留戦力を巡って嶋田とヒトラーは激しく欧州を繰り返した。
 イギリスや当事者のイタリアも交え、陸上兵力は1個旅団まで、海上兵力も巡洋艦1隻まで(駆逐艦以下は制限無し)という所で何とか決着を見せた。爆撃機と核兵器の欧州への配備を阻止したのは、ドイツの勝利か日本側のシナリオ通りかは評価が分かれるところだったが、少なくとも当のイタリアは国土が返ってくるとあって十分な成果だと言えた。

 さて、議論の中心となったイタリアであるが、今回のサンタモニカ会談に出席しているのはピエトロ・バドリオ首相ではなく、何とベニート・ムッソリーニだった。
 ドイツに占領されたローマを中心にレジスタンスのトップとして、対ドイツ戦を指導していたムッソリーニだったが、ドイツも無能ではなくムッソリーニは幾度として命の危機に晒されるようになっていた。30万ライヒスマルクもの賞金首をかけられては、然しものドゥーチェも無事ではすまなかった。
 幾度も襲撃され、左腕を撃ち抜かれたムッソリーニを見たレジスタンスのメンバー達は、ムッソリーニをドイツの占領地域から脱出させる事を決意した。このままローマに留まれば、いつかムッソリーニは死んでしまう。そうなれば、誰が自分達を導いてくれるのか!

 そのようにレジスタンスの仲間から説得されたムッソリーニは、ナポリに脱出したのだ。ナポリに脱出したムッソリーニは持ち前の行動力と政治力を持って政府中枢に返り咲いていた。バドリオなどイタリア政府の者達はムッソリーニの生還に驚いていたが、その精力的な行動、何よりも以前とは格段に上昇したカリスマ性・・・と言うよりも凄みを持ったムッソリーニを止められる者はいなかった。

 今回のサンタモニカ会談にしても、当初は日本の顔色を伺いながら外務大臣の派遣を行う予定だったが、ムッソリーニは各省庁や政府を纏め上げて、自分を特命全権大使としてカリフォルニアへ派遣する事を認めさせていた。
 また、サンタモニカ会談に先立ち、日本へと立ち寄り嶋田首相と会談し、イタリアの国土回復に向けて協力を要請していた。実は、ムッソリーニはドイツと日本がイタリアの国土回復で妥協し融和を図るのではないかと少しばかり期待していた。それを嶋田との会談で、少なくとも日本は本気でイタリアの復活に向けて協力を惜しむつもりは無いと確信していた。
 なにせ、日本の友好国、同盟国は少ないのだ。列強の一角を成していたイタリアの復活は日本にとっても非常に重要だった。

 また、ムッソリーニは衆議院で演説を行い、日本の支援を感謝した上でイタリアの国土回復にかける熱意を語った。

「もし、この会談でイタリアの国土が回復しなかったとしても、私は日本を恨みません。ですが、私は占領下にある仲間を、家族(レジスタンス)を見捨てる事は出来ない!
 よって、そうなった場合、私は再びローマに戻りレジスタンスとしてドイツと戦い続ける所存である。
 しかしながら、私は嶋田首相を、そして日本を信じている。だからこそ私は嶋田首相にある物を預けました。ローマで私と共に戦い続けてきてくれた、短機関銃を。」

 ムッソリーニは嶋田との会談の際に、自身の半身とも言うべきベレッタM1938A短機関銃を渡していた。「再び私が必要とするまで預かっていて欲しい。」と言う言葉を嶋田は諮りかねていたが、この時の演説で完全に理解した。ムッソリーニは自身とイタリアの命運を日本にかけたのだと。
 そして、それを必要とする時というのは、今回の会談でイタリアの国土が戻らなかった時だと言う事を。それを理解したのは嶋田だけではなかった。少なく無い数の議員がムッソリーニが日本に全てのチップをかけたのだと理解したとき、衆議院は「イタリア万歳!」「ムッソリーニ万歳!」の歓声で満たされた。
 ムッソリーニの潔さと、これまでのイタリアの行動は日本人の琴線に触れ、イタリア国土回復運動は日本全体に広がった。

262 :Monolith兵:2015/07/30(木) 03:34:37
 日本の後押しもありイタリアの問題が片付くと、今度は日英の和解に向けた話し合いが持たれた。ヒトラーはイギリスの姿勢を冷笑しながらも静観し、ムッソリーニは無表情で事の成り行きを見守っていた。日本と同様、イタリアにとってもイギリスは裏切り者だった。ハリファックスがインドの段階的独立や東南アジアの独立を確約し、慌てたヒトラーが同様に枢軸も東南アジアから撤退する事を約束すると、ムッソリーニの顔に少しばかり変化が生じた。
 東南アジアからの撤退に際し、日本は各国から購入する必要があるとヒトラーは言ったのだ。ムッソリーニは、ここで日本に散財されてはイタリア復興の支援に回る資金が少なくなるのではという考えた。幾ら国土回復がなるとは言え、イタリアは戦災で破産寸前だった。その上に2年近い占領によりイタリア北部の荒廃は目を覆いたくなる物があった。これを復興するには多くの資金と長い時間が必要だったが、イタリアにはその資金が無かった。そのため、日本に縋り付くしかなかったが、今回の件でその資金が減少してしまうかもしれないのだ。

 そうなると、イタリアとしては独自で資金の目処を立てるしかなかった。その事に関して、ムッソリーニには腹案があった。

「我が国は国土回復がなるとは言え、疲弊しきっています。復興には多くの時間と資金が必要となるでしょう。である以上、我が国にとって北米で獲得した利権は重荷でしかありません。」

 ムッソリーニの言葉に、ハリファックスとヒトラーの間で一瞬火花が飛び散った。ムッソリーニは北米利権を売りたいと言ったのだ。そして、ヒトラーにとってこの話は北米での勢力圏を拡大するチャンスであり、イギリスに横槍を入れる絶好のチャンスだった。
 一方で、イギリスにとってはたまった物ではなかった。自国の勢力圏内にドイツが入ってくる事で、北米からの富の収奪を邪魔されるのだ。そうなればイギリスの復興が邪魔されるどころか、衰退する一方になる可能性すらあった。
 何よりも、英独の間で確執が続けば、アメリカ風邪の封じ込めに影響を与えるかもしれなかった。そうなれば、現代文明の破滅するかもしれない。
 だからこそ、ヒトラーはハリファックスの様子を見ながらイタリア権益の値を吊り上げる程度の妨害に止めていた。最も、イギリスからしたらたまった物ではなかったが。結局、東南アジアの売却でかろうじて黒字になる程度にはなったが、当初考えられていた金額からは程遠い金額しか手に入れる事は出来なさそうだった。つまり、イギリスの復興は遠のいたのだ。

 その一方でイタリアの復興資金の一部を北米権益売却で賄う事が出来たムッソリーニは満面の笑みを浮かべていた。嶋田も内心は兎も角、ムッソリーニに素晴らしい取引ができた事に対して笑みを浮かべながら喜びの言葉を送っていた。

263 :Monolith兵:2015/07/30(木) 03:35:53
「いや、いい取引でした。これからもイギリスとは良い関係でいたいものです。」

「それは・・・、良かったですな。」

 ムッソリーニの言葉にハリファックスは辛うじてそう答えるのが精一杯だった。何らかの仕返しも考えたが、親密そうな様子の嶋田とムッソリーニの様子に、それも諦めざる得なかった。今のイギリスにとって日本からの支援は何を持ってしても必要だったからだ。

 続いてフランスとの関係改善に話が進んだが、イギリスは早々にフランスとの和解を諦め、イタリアは拒絶の意思を示した。イタリアにとってフランスはイギリス同様憎むべき裏切り者なのだ。フランス戦線での劣勢を少しでも支援しようと、少なく無い損害を出しながらもドイツ領に侵攻したというのに、あっさりと降伏した挙句ドイツと手を組んでイタリアに攻め込んできたのだ。
 これでフランスを憎むなと言うほうが無理があった。最も、歴史的な確執からイタリアの対仏感情は元から良くなかったが。
 嶋田はそんなムッソリーニの反応に仕方がないと諦めていた。日本でもイギリスの裏切りに対して憤慨する者は少なくなかった。イタリアという同盟国がいるのに、何故イギリスと仲良くしなければならないのかと言う声もあった。
 今のイタリアは国力が低下しているので、イギリスとの協調は必要だという説明を根気強くし続けた為、イタリアが復活するまではという条件でイギリスとの関係改善に理解を示していたものの、もしイタリアの国力が低下して無ければ説得する事は不可能だっただろう。
 逆に言えば、イタリアが復活すれば、イギリスは用済みなわけだが。それをイギリスも理解しているのか、日本との関係を深めて、何とか捨てられないように必死だった。

 日ソ貿易でヒトラーが注文を付けたり、それにムッソリーニがのっかかり、それを嶋田が説得したりと言う場面もあったが、以降はおおむね平穏に推移した。

 本題であるアメリカ風邪にしても、すんなり各国の協調体制の確認が行われ、北米への駐留も限定的な物にすると言う事で決着した。
 また、スウェーデンに国際防疫機関を設立する事でも合意し、イタリアに続き北欧への核兵器の持込みをドイツは防ぐ事が出来た。日本は元からそのつもりだったのだろうが、ドイツにとってこの事は十分以上の成果だった。

 こうして会談が終了した後、椅子に座った四者での記念撮影を行ったのだが、その際に隣り合わせて座っていたムッソリーニは嶋田と軽く手を合わせた写真が、後に嶋田×ムッソリーニやら辻ーんとドゥーチェによる嶋田の奪い合いなどと言った腐った本が量産される事になるのだが、この時にその事を知る者は誰一人としていなかった。

264 :Monolith兵:2015/07/30(木) 03:36:43
 会談終了後、ムッソリーニは嶋田と個人的に面談し、「あの短機関銃は差し上げます。」と言いM1938Aを譲り渡した。嶋田も最早ムッソリーニが銃を必要としていない事を理解し、素直に受け取った。
 そして、2人はそれぞれの母国へと戻って行った。


 と、ここで終われば美談として語り継がれるのだが、事はそう旨く行かなかった。イタリアでは強くなりすぎたムッソリーニの国民的人気と権威にヴィットーリオ・エマヌエーレ3世国王が嫉妬し、確執が生まれつつあったのだ。その上に、その人気とパルチザンによる徹底的な抵抗運動に加えイタリアの国土奪還の実績を持って、政府や軍部の改革に乗り出したのだ。強すぎる貴族の力を弱める改革に多くの貴族は反抗したが、国民の人気を背景とし、幾多の死線を潜り抜けてきたムッソリーニに最早怖い者は無かった。
 ムッソリーニの改革は、最終的に王政が廃止となり、頭領に再び就任したムッソリーニの長期政権が続いたものの、共和制への移行という形へと向かう事になる。


 一方で、日本ではおかしな方向に進みつつあった。ムッソリーニの国会演説が強烈だったのか、戦争で失った国土を外交で取り戻したのが効いたのか、嶋田の戦争指導が素晴らしかったのか、国民や議員の中からファッショこそが最良の政治体系では無いかという声が上がるようになったのだ。
 そして、イタリアのドゥーチェのように強力な権限を持つ役職を作り、強力な指導者に国を率いてもらうべきだと言う意見が出始めていた。その場合にその役職に着く事になるのは、勿論嶋田繁太郎だった。

「何故そうなる・・・。」

 夢幻会の会合の席で、嶋田に戦争が終わってからもずっと首相を続けてもらおうという声が大きくなりつつあると言う報告に、げんなりとしていた。

「流石に、ずっと続けてもらうわけにも行きませんが、しばらくは嶋田さんに首相の座から降りられる訳にも行きません。
 かと言って、嶋田さんが戦争後も首相を続けていれば、国民は勘違いしてしまうかもしれません。」

「このままずっと独裁者を続けろと?」

 辻の言葉に嶋田は嫌そうな顔をした。すぐさま独裁者を止める訳にもいかないが、続ける訳にもいかない。適度な止め時を作れなければ、嶋田は死ぬまで独裁者を続ける羽目になるのだ。
 しかも、現在の状況下では下手に失策をとるわけにも行かない。夢幻会の全力のサポートの元、実績を上げ続ければ待っているのは死ぬまで働かせ続けられる未来であった。しかも、死んだ後も英雄兼絶対的指導者としてとして祭り上げられることになる。もしかしたら神社まで建てられる羽目になるかもしれない。

 嶋田繁太郎の止めたくても止められない独裁者家業は始まったばかりだった。



おわり

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最終更新:2017年10月22日 23:51