800 :トゥ!ヘァ!:2015/09/05(土) 19:01:32
大陸日本 日ソ世界 オランダの決断



オランダ首脳部は困惑していた。動揺していたとも言える。
ようやく第二次世界大戦も終わり、本国を奪還し、ナチスドイツ率いる枢軸を下した戦勝国の一つとなったというのに、あろうことか戦争を勝利へと導いた立役者の一国であるアメリカが、もう一つの立役者である日本への態度を翻したのである。

日本に告げられたのは実質的な米国への服従宣言。
これに対しては連合内でも非難の声が上がったが大戦中に米国から多大な支援を受け取っていた英仏は大きな声は挙げられず、他の国家では発言力はそれほど期待できず、アメリカの横暴を止められる国家はないに等しかった。
オランダも長年の友好国である日本のために様々な手を尽くして擁護はしたが、アメリカの増長は止まらず、その結果が日本の連合脱退ともう一人の立役者と言えるソ連への急接近。

オランダは一応は連合国に残っていたが流石にこのアメリカの横暴には官民問わず激しい憤りを感じていた。
そしてこれだけならまだオランダ国内でのアメリカの信用がどん底に落ちるだけで済んだのだが、日本脱退後に突如アメリカが提示した要求がオランダの今後の態度を決定づけることになった。

それは主にオランダへの各植民地の独立と利権の分け渡し要求であった。

現在のオランダは主に欧州のオランダ本国と南米領及びカリブ海領、東南アジア領の三つで成り立っており長年の改革が実を結び緩やかな連合体として成立している。
このうち本国以外を独立させろと言って来たのである。
しかも現地政府の立ち上げは自分達アメリカ政府が面倒を見ると“要求”。

アメリカとしてはソ連へと走った日本への警戒として、その日本と結びつきの強いオランダの力を削ぐための要求。
もう一つの結びつきの強い英国は多数の支援のもと黙らせているのでここでオランダさえ大人しくさせれば連合内で自分に大きな顔をできる国はいなくなるとの考えの結果であった。

無論このことをオランダは拒否し、正式に抗議した。

801 :トゥ!ヘァ!:2015/09/05(土) 19:02:05
何があって順調に進んでいる領地を手放してアメリカに明け渡さないといけないのかと。
自分達は英仏程の支援も受け取っていない。むしろ借りがあるとしたら本国陥落後にインドネシアと落ち延びた自分達に手厚い支援を施してくれた日本の方であると。

何よりオランダとしては昔はともかく現状ではオランダ連合内でも多くの利権と資源と戦力を有するインドネシアを手放すことは国力的にも国威的にも何より国民感情的にも不可能であった。

だがアメリカは強気な態度を崩さず、逆に武力や経済を背景に脅しを仄めかしてまできた。

このような相次ぐアメリカの横暴にただでさえ憤りを感じていたオランダ国民は切れた。
それはもう盛大に本国、東インド、南米、カリブ領問わずにである。
特にインドネシアに至ってはもしも要求を呑むようなら自分達は独自に独立し、日本及びソ連の陣営への合流も辞さないと内々にオランダ本国へと通達してくるほどに。

ここに来てオランダ首脳陣は選択を迫られた。
アメリカの要求を受け入れ、利権を手放しアメリカの犬へと落ちるか、
もしく日本のように自分達はソ連の側へと走るかである。

ソ連側へと走った場合は国民からの受けは良く、各領土も協力してくれるだろうが
オランダ本国だけではなく各領土が危険に晒される。
特にアメリカ本土に近いカリブ領アンティルと南米領スリナムへはすぐさまアメリカが艦隊を率いて来るだろう。
しかしだからと言ってアメリカの要求を飲んだとしても待つのは国民からの冷めた目線と各領土を奪われた挙句のオランダの没落のみ。
そこから這い上がるのは、今度こそ不可能であろう。

オランダの首脳陣は連日怒号の飛び交う会議をなった。
そしてどちらを選ぼうと碌な目に合わない。ならばまだ国民が望み、未来のある方を…
オランダ首脳陣は腹を括った。

方針が決まるとすぐさま動きだした。
オランダは内密にとソ連と日本へと使者を送り、東側陣営への参入を打診。
現実主義者で名が通っているスターリンはこれを即刻承諾。
日本に至っては古くからの友の参陣は心強いと喜びを顕わにし、「米国艦隊が東インド領に手を出さないように近海まで艦隊を出しましょう」と逆に支援を申し出る程であった。

802 :トゥ!ヘァ!:2015/09/05(土) 19:02:47
オランダ首脳陣は二国からの快い反応から連合脱退を決意。
二国の返事を受け取ったオランダはその翌日に連合脱退を表明。
正式にソビエト連邦率いる東側への合流を宣言した。
なおこの発表にオランダ国民は喝采に湧いたという。

当のアメリカはまさかここまで迅速に東側へと合流するとは思っていなかったのか些か対応が遅れ気味であり、その後遅れながらもオランダへの非難声明を出した後に示威行為としてオランダ領土の各地へと艦隊を差し向けた時には各蘭領共に防衛体制が整い、戦闘も辞さない姿勢であった。
特にカリブと南米の蘭領の戦意の高さは予想外で予測よりも長丁場になりそうであると現場では判断された。
カリブと南米の蘭領はアメリカ本国に近いことからすぐさま白旗を上げると思われていたからである。
蘭領東インドことインドネシアの方ではインドネシア近海ギリギリのところにかの長門を旗艦とした日本の主力艦隊が陣取り、米太平洋艦隊と一時一触即発の雰囲気となり、
東ドイツ及びバルト海にてもソ連軍が不穏な動きを見せるなど当初の予想とは大きく違う状況へと変化していた。
当時のアメリカ首脳部は何処か浮かれていたのかオランダが東側へと走る可能性を低く見積もっていたのである。
良くて経済制裁や艦隊を動かしての示威行為で終わると思いこんでいた。
その結果がこの始末。アメリカ首脳陣は今この場で日ソと戦争か否かの判断を迫られた。

結果だけを言うならば流石に大戦が終わったばかりで再度の戦争勃発は不味い判断した米側が先に矛を収めることとなった。

日ソはオランダの陣営加入を歓迎し、気づけば最前線となってしまったオーストラリア首脳陣は発狂し、フランス首脳陣は仏領インドシナの防衛が困難になると冷や汗をかき、アメリカ軍ではまた手ごわい国が敵となってしまったと自分達の考えなしな上層部を恨み、イギリス首脳陣は豪州の発狂を他所に羨ましそうな顔をしていたという。

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最終更新:2015年09月09日 20:58