848 :ham ◆sneo5SWWRw:2015/09/28(月) 19:19:30
1945年8月15日
午前11時50分頃
銀座六丁目交差点に巨大な門が出現。
午後12時頃
正体不明の軍勢が出現。
近衛第二師団凱旋式のため出動中の近衛第一師団及び警察官部隊が交戦を開始。
午後12時04頃
戒厳令発令
凱旋中の近衛第二師団、北の丸の近衛第一師団残留部隊、習志野戦車連隊、歩兵第1連隊の緊急出動命令が下される。
同時刻、海軍横須賀鎮守府所属特別陸戦隊に非常招集かかる。東京湾内の海軍艦艇全艦に緊急出動命令が出る。
陸軍調布飛行場、海軍横須賀・厚木・館山・木更津・百里原各飛行場所属航空部隊に出撃準備命令がかかる。
午後12時30分
今上天皇陛下、陸軍戦闘服を着用の上、宮城内に入った近衛第一師団の陣頭指揮を開始。
弟宮三笠宮崇仁親王(陸軍少佐)他、北白川宮成久王(陸軍大将)、閑院宮篤仁王(陸軍中将)、賀陽宮恒憲王(陸軍中将)、竹田宮恒徳王(陸軍中佐)ら宮城に参上。これを補佐する。
午後12時35分
今上天皇陛下、臣民の安全確保のため、宮城内に臣民の受け入れを許可。
宮城東御苑に誘導される。
午後12時40分
歩兵第1連隊、半蔵門より宮城内に入り、今上天皇陛下の指揮下に入る。
同時刻、警視庁は非番の警視庁特別警備隊員、一般警官から成る特別部隊を緊急編成。霞が関に布陣させる。
午後1時頃
陸海軍各航空隊、帝都上空に到達し、順次竜騎士と交戦を開始。
警備出動中だった軍警混成部隊、近衛第二師団分遣隊、日比谷公園に集結。日比谷通りを最終防衛線とし、敵軍に抵抗。
宮城内に集結した近衛第一師団主力、歩兵第1連隊、皇宮警察隊、今上天皇陛下指揮の元、二重橋濠周辺で宮城正門、坂下門、桔梗門への侵入を防ぎながら敵軍との交戦を開始。
近衛第一師団機甲部隊、大手町付近で敵軍と遭遇し交戦。機甲戦力の力で一気に和田倉門周辺にまで敵軍を押し下げる。
一部狙撃技量優秀の兵士による12.7mmM2機関銃の対物狙撃を開始。
敵軍指揮官を次々と殺害。
近衛第二師団本隊、新橋駅周辺で敵軍と交戦を開始
午後1時30分頃
敵竜騎士全滅。航空部隊は地上攻撃を開始。
陸海軍回転翼機部隊到着。地上攻撃を開始。
午後2時05分頃
長門以下、即時航行可能な海軍艦艇が台場周辺に到着。
乗艦していた横須賀鎮守府司令長官大川内傳七中将陣頭指揮の元、大田実少将指揮の横須賀鎮守府連合特別陸戦隊、
大発等で順次浜離宮周辺の竹芝ふ頭、海軍経理学校等から兵員及び装備を上陸。
周辺で略奪行動をしていた敵軍と交戦を開始。
証拠確保などから軍広報撮影班も上陸。帝国の非道さを示す証拠写真を数多く撮影する。
近衛第一師団機甲部隊、馬場先門まで押し下げる。
敵軍主力、有楽町駅周辺と宮城外苑内の2つに分断。
三笠宮崇仁親王、賀陽宮恒憲王、竹田宮恒徳王、乗馬。軍刀を片手に陣頭で宮城外苑内へそれぞれ皇居正門、坂下門、桔梗門から突撃を開始。
近衛第二師団分遣隊、近衛第一師団機甲部隊、霞が関の警視庁特別部隊がこれを支持し、桜田門、祝田橋、和田倉門から攻撃に参加。
近衛第二師団本隊、新橋駅攻防戦に勝利。
銀座六丁目交差点の門を封鎖し、敵軍の退路を断つ事を企図。
銀座六丁目に前進を開始。
午後2時20分頃
近衛第二師団本隊、銀座六丁目交差点を確保。
一部敵軍が築地本願寺、歌舞伎座、和光等銀座の各百貨店、地下鉄銀座駅などに籠城。
堀内豊秋海軍大佐指揮の横須賀鎮守府第1特別陸戦隊及び奥山道郎陸軍大尉指揮の陸軍挺身連隊の一部、回転翼機にて銀座周辺のビル屋上及び築地市場に空挺降下。
近衛第二師団本隊と協力し籠城中の敵軍殲滅に当たる。
午後2時25分頃
習志野戦車連隊、勝閧橋、佃大橋を通過、海軍陸戦隊と合流し、共同で敵軍に対処。
付近の築地本願寺で籠城する敵軍及び八丁堀、日本橋、京橋方面に広がる敵軍の掃討を企図。
海軍陸戦隊を戦車跨上歩兵(タンクデサント)として乗せ、進撃を開始。
午後2時30分頃
宮城外苑の敵軍、降伏。
有楽町駅周辺の敵軍、後退を開始。
近衛第二師団本体、銀座四丁目交差点及び和光、三越を確保。
近衛第一師団歩兵部隊、近衛第二師団、歩兵第1連隊、警察官部隊、敵軍の挟撃を開始。
近衛第一師団機甲部隊、八丁堀、日本橋、京橋方面の敵軍掃討に向かう。
今上天皇陛下、北白川宮成久王陸軍大将に指揮権委譲、自ら宮城東御苑内の臣民に宣撫活動を行う。
午後2時40分頃
敵軍崩壊。
残存兵がバラバラに遁走。
掃討戦に移行する。
降伏を勧めつつ、敵軍を殲滅していく。
しかし、一部士官、兵士が感情的になり、降伏をしたと分かっても攻撃を加えて皆殺しにするなどする事態も起きる。
午後7時頃
敵軍兵士の掃討戦がほぼ終了する。
残存兵士の存在を危惧し、史実現代の中央区全域に相当する地域が完全に封鎖される。
849 :ham ◆sneo5SWWRw:2015/09/28(月) 19:20:18
1945年8月17日
日本政府、銀座周辺で起きた出来事を「銀座事件」と命名。
中国大陸、朝鮮半島で反日活動家が蜂起。6時間で殲滅される。
全世界に中国人と朝鮮人の信用の無さを改めて知らしめる。
1945年8月23日
日本政府、敵軍が完全に掃討されたと判断する。
犠牲者、敵軍の正体などの発表を開始。
銀座六丁目周辺に門を封鎖するための駐屯地設営を開始する。
1945年8月28日
大日本帝国嶋田内閣
銀座に出現した門の向こう側の世界を特別地域、通称「特地」と呼称。
捕虜からの聴取の結果、銀座事件は特地の「帝国」と呼ばれる国家が宣戦布告無く侵略を開始したことと発表。
これを理由に銀座事件を銀座事変に改称し、銀座事変首謀者の逮捕を国民に確約すると宣言。
事変への改称により、日本は宣戦布告の無い戦争状態となったことを内外に示す。
日本は再び戦時体制に移行する。
1945年9月2日
大日本帝国陸軍
第二の銀座事変を防ぐために、門の地球側及び異世界側の周辺地域を警備する新たな帝都防衛部隊として近衛第三師団の編成を決定。
銀座事変における二重橋の英雄、伊丹陽二は同師団の捜索旅団(2個捜索連隊編成。深部偵察・学術調査等のために規模を拡大)に配属される。
特地派遣部隊に新たな軍装として迷彩服が支給、優先配備される。
次の国家が、日本政府の発表を支持し、銀座事変解決の義勇軍と観戦武官の派遣を打診。
大韓帝国、福建共和国、東南アジア諸国(インドネシアより分離独立した国、ブルネイを除く)、
イギリス及びイギリス連邦加盟国(豪州、南ア、新西蘭は除く)、北米西海岸三ヶ国、フィンランド。
自由フランス、自由ポーランドが日本に義勇軍派遣を打診。
東ティモール等インドネシアより分離独立した国、独枢軸加盟国、ソ連及び共産圏衛星国、
スウェーデン、ノルウェー、オランダ、ベルギー、中東諸国、中南米諸国が日本に観戦武官ないし学術研究者の派遣を打診。
1945年9月10日
日本政府、次の国家の義勇軍を受け入れることを発表。
福建共和国、タイ王国、インドネシア、フィリピン、マレーシア、ミャンマー、自由ポーランド、北米西海岸三ヶ国、フィンランド。
日本政府、次の国家の観戦武官ないし学術研究者を受け入れることを発表。
福建共和国、東南アジア諸国、北米西海岸三ヶ国、スウェーデン、ノルウェー、フィンランド、トルコ、チリ、ペルー、ボリビア、エクアドル、コロンビア、中米諸国。
日本政府、イタリアから学術研究者の派遣を監視付き等の条件で受け入れる。
嶋田総理、帝国臣民に多大な犠牲を出したこと、今事変の解決には陸軍が主体となるべきであり、自身が海軍出身であることを理由に総辞職。
後継に陸軍大臣、永田鉄山が選ばれる。
この頃、一部非
夢幻会系主戦派及び好戦派、特地利権目当ての人間などから、
「特地の勢力、『帝国』への無条件降伏要求によって、軍事力の除去と他民族の征服と隷属を求める思想を根絶すべき」とする「特地帝国無条件降伏要求論」が叫ばれる。
850 :ham ◆sneo5SWWRw:2015/09/28(月) 19:20:53
1945年9月15日
日本陸軍、部隊編成単位最高位の総軍に特地派遣軍を編成。
総司令官には憂鬱本編で出番があまりなかった寺内寿一大将(総司令官就任に際し元帥位拝命)が就任する。
編成は次の通り
特地派遣軍
直率
近衛第3師団(東京)
挺身騎兵連隊(習志野、実質ヘリボーン部隊)
第1砲兵師団(ソ連砲兵師団に相当する火力戦部隊)
第1工兵団(陸自施設団に相当する工兵部隊)
第51軍
近衛第1師団(東京)
第2師団(仙台)
第16師団(京都)
第61軍
福建人義勇兵団(2個中隊)
タイ人義勇兵団(3個大隊)
インドネシア人義勇兵団(2個大隊)
フィリピン人義勇兵団(4個大隊)
マレーシア人義勇兵団(1個大隊)
ミャンマー人義勇兵団(1個大隊)
ポーランド人義勇兵団(1個中隊)
カリフォルニア人義勇兵団(1個大隊)
オレゴン人義勇兵団(1個中隊)
ワシントン人義勇兵団(1個中隊)
フィンランド人義勇兵団(1個大隊)
特地航空軍
第51飛行師団
第41飛行団(各種回転翼機)
第51飛行団(単発及び双発の戦闘機)
第61航空団(単発及び双発の襲撃機・爆撃機・攻撃機混成)
義勇航空団
特地防空旅団
独立高射砲第344大隊(各種高射砲計18門)
機関砲第101連隊
重機関砲大隊
40mm機関砲中隊(12門)
40mm機関砲中隊(12門)
12.7mmM2四連装機関銃中隊(12基48門)
軽機関砲大隊
20mm機関砲中隊(12門)
20mm機関砲中隊(12門)
20mm機関砲中隊(12門)
日本海軍、特地派遣部隊として航空部隊と基地警備の陸戦隊の編成を決定。
851 :ham ◆sneo5SWWRw:2015/09/28(月) 19:21:31
1945年9月17日
日本陸軍、近衛第一、第三師団を門周辺地域確保のために先遣させる。
同地にて「帝国」の軍勢と思しき現地武装勢力と交戦。
1945年9月19日
近衛第一、第三師団が現地武装勢力に勝利し、特地側門周辺の安全が確保されたことを確認。
防衛のためのアルヌスの丘要塞化計画、通称「六稜郭」を発動。
第1工兵団が派遣される。
帝都内の封鎖区域解除。
銀座駐屯地を除く地域の一般人侵入を認める。
各地で復旧作業開始。
1945年9月28日
「帝国」、自らの非を隠し、「異界の軍勢が突如攻めてきた」と諸国に通達し、地球側を非難。
諸国に「連合諸王国軍」を糾合し、異界の軍勢を打ち破ることを提唱。
1945年10月1日
派遣軍司令部、第1砲兵師団、第51軍司令部、第2師団、海軍陸戦隊が特地入りする。
第1砲兵師団、特地防空旅団、特地入りを開始。
1945年10月5日
エルベ藩王国、アルグナ王国、モゥドワン王国、リィグゥ公国等が連合諸王国軍参加の意向を示す。
1945年10月16日
特地防空旅団全部隊が特地入りを完了する。
第41飛行団、第61飛行団のSTOL軽襲撃機(三式指揮連絡機やAn-2に相当する機体)、特地入りを開始。
1945年10月28日
福建共和国、タイ王国、フィリピン、自由ポーランドの各義勇軍陸上部隊が編成完結と日本到着を果たす。
上記部隊が第61軍に編入され、軍司令部と共に特地入りする。
第41飛行団全部隊及びSTOL軽襲撃機が特地入りを完了する。
特地航空軍司令部、挺身騎兵連隊が特地入りする。
1945年11月1日
第1砲兵師団全部隊が特地入りを完了する。
1945年11月6日
総勢10万の連合諸王国軍がアルヌスの丘を包囲するように布陣。
作戦会議の結果、翌日にアルグナ王国、モゥドワン王国を先方に、リィグゥ公国、エルベ藩王国の順にアルヌスの丘を攻めることが決定された。
最終更新:2015年10月05日 22:50