868 :ナイ神父MK-2:2015/11/23(月) 00:22:08
日蘭世界 日清戦争
日清戦争とは大日本帝国で新政府が樹立してから、初めて行われた他国との戦争である。この戦いによって
アジアで唯一日蘭同盟に対抗しうる勢力を保持していた清帝国が敗戦し、その後のアジアに於ける覇権を確固足る物とする戦争でもあった。
開戦まで
開国後、新政府はオランダを初めとした欧州国家との通常条約を改めて結び、欧州では日本の機械化されたラインによって製造された絹製品が
清国製の絹製品を市場から駆逐し、清との摩擦を起した。更に長崎で起きた鎮遠事件によって両国で複数の死者が発生し、関係が悪化の
一途を辿る事となる。
そんな中、朝鮮では親日派の勢力が朝鮮でも国家の近代化を図り改革に取り組んでいた。しかし、清はそれを良しとせず親清派を用いての排除を決めた。
両派閥のぶつかり合いは次第に軍事力を行使した物になり内乱に発展したまた、この内乱で日本から呼ばれた顧問が死亡したことにより。現地邦人の安全
を図る為、日本が朝鮮に対し派兵した。対する清も軍を派遣して内乱への介入に乗り出し、朝鮮国内で日清両国の陸軍がにらみ合うこととなった。
あくまで邦人救出を目的とする日本政府は清国側と交渉し、現地邦人の救出と内乱の鎮圧後に撤退した。だが、この迅速な行動とアッサリとした
撤退は清国上層部には弱腰、又は清国の威光に恐れを成したと見做され清国では日本征服論が活性化していく。そして、清国との対立が決定的に成った
事件が、客船の沈没事故である。この事故では同乗していた100名余りの日本人が死亡したが、客船の船長は清国人のみを助け日本人を見捨てていた。
更に清国政府から清国人を多数助けたとして表彰されたことも加わり、それを理由に日本が宣戦布告し表舞台に出てからの初の戦争である日清戦争へと
と突入していく。
戦争と朝鮮の瀬戸際外交
戦争が間近に迫ると焦るのは朝鮮である。朝鮮の立地関係上、経済上共に戦争の被害を受けることは明白であり、両国に連日戦争回避の為の
会談を行っていたが止めることは不可能であった。そこで朝鮮は一つの賭けに出ることになる、それは日本政府と密約を結んだ上で表向きは
清国側で参加すると言う非常に綱渡りな策であった。しかし、日本に協力してしまえば国境線に駐留している清国軍に襲われかねない為、
これが最善としか言えない状況であり、後の歴史家からは高評価を受けている。その為、戦中清国に投入された兵力は歩兵や騎馬兵力を中心にして
敢えて旧式兵器で行われ後にロシアが日本の兵器は旧型が中心と言う勘違いを犯す原因となっている。
一方、海上戦では日本がワンサイドゲームとも言える戦況で戦いを進めていた。当初清国では日本には定遠級より巨大な艦は存在していないと
見られており、更に就役している艦も比較的小型の艦が主力を担っていると判断されていた。この不幸な勘違いは彼らの日本に対して待っていた
虎の威を駆る新興国と言う認識と共に粉々に打ち砕かれることと成る。
当時の日本は既に欧米の列強と大差の無い軍備を整えており、清国海軍を出迎えたのは当時のアジア最大の敷島型戦艦であった。
そして戦艦敷島及び朝日を旗艦とした艦隊との戦いにより、定遠と鎮遠共に鹵獲され他の艦は軒並み海の底へと送られることなった。その後、
悠々と清国海軍の主力を叩き潰した艦隊は補給後再度出向し、今度は天津へ向けて艦砲射撃を行い周辺施設へ重大な被害を与えることに成功してる。
同時に清国上層部は日本が北京へ直接攻撃を仕掛けてくると判断し、朝鮮国境へ貼り付けている軍を北京へと戻し
防衛強化して日本軍との決戦に備えることと成った。
そんな中朝鮮はチャンスと言わんばかりに、日本へと降伏し結果的にではあるが清よりも遥かに低い被害で戦争を乗り切ることに成功し、更に
矢面に立たせていた清国派の軍人たちを排除することにも成功しており、憂い無く後の近代化に取り組む下地を形作っていくことにも成功している。
869 :ナイ神父MK-2:2015/11/23(月) 00:22:39
鉄の暴風と英雄の消失
日本とオランダの戦争を語る上で外せない戦力が同時代の他国よりも遥かに高められた火力による過剰なまでの砲撃戦である。
その一部は嘗てのフランス革命戦争に於ける要塞の火力に見られるが、日清戦争において日本が持ち出した物は過去のフランスの
悪夢を更に昇華させたものであった。清国各地から徴兵又は召集され北京の内外に集結した部隊は数こそ日本を上回る物であったが、兵装はその実
貧弱極まりない物だった。実際の戦闘でもその差は歴然であり、突撃してくる清国兵に対して容赦なく浴びせられる、無数の機関銃と数えることが
馬鹿らしくなるほどの迫撃砲と列車砲による容赦の無い攻撃は各国の武官を唖然とさせた。
そして砲撃の後に姿を見せたのは元の形すらわからないほどに吹き飛ばされた敵兵と月面の如く大小さまざまなクレーターだけであり、一部の武官は後に
戦場から英雄が消えたとの手記を残している。一方清国は日本の大火力を前にして混乱を極めていた、当初計画していた篭城による長期戦と物量による
制圧が適わないばかりか、あの悪夢のような火力が今度は自分たちに向けられるそんな恐怖が身分の上下問わずに広がっていった。
そんな中日本は更に清国を追い込む為にかねてより研究していた、飛行船艦隊を九州より出撃させ艦載型の火中車を使用した爆撃を敢行して北京市内の
駐屯部隊に対して次々に爆撃を加えていった。この対抗不能な攻撃に対して軍の士気は完全に崩壊し、清国の敗北が決定することとなる。
戦後
戦後、日本は清国に対して賠償金と朝鮮の独立を要求視して清国に飲ませている。更に、鹵獲した定遠級は日本に譲渡され新たに丹後級として
日本で運用されていくこととなる。尚、余談だがこの丹後は第二次世界大戦時には輸送艦に改装されており朝鮮ー日本間の物資輸送に従事
していたが、途中で中央共産党軍が鹵獲した船を使用した艦隊に遭遇内一隻を衝角で船底に穴を開けて沈めている。皮肉には定遠級の衝角は
目標となっていた日本ではなく、自身をまともに運用しなかった中華の兵に発揮することになったと当時の日本では評価されている。
最終更新:2015年12月27日 19:00