私はフリージャーナリストである。元ウィッチであることを活用して
民間ストライカーユニットを用いて世界中を旅してきた。
そんな私であるが一人にウィッチに焦点を当てたいと思う。
このウィッチを書こうと思ったきっかけは扶桑に帰って
実家の家で物の整理をしたときに出てきた一枚の写真であった・・・・・・
懐かしい写真だね。この写真はね扶桑海事変で私のお姉ちゃんが学徒出兵として出陣する際に家族で撮った写真なのよ
(その写真には曾祖父や曾祖母と幼い祖母、その姉と思われる四人が映っていた)
私がねすごく幼いころにあった事なんだけどね、お姉ちゃんが家を出発する日に私が行かないでよう!と泣きながら止めていた際に
お姉ちゃんが私の頭を撫でながら
「必ず帰ってくるよ。そして、一緒に遊ぼうね。欲しかったあのおもちゃも一緒に買ってあげるよ」
と約束してくれました。・・・・・その約束は永遠に果たせなかったんだけどね・・・・・
お姉ちゃんは遠くの学校に行っていてお盆やお正月しか会えなかったけど物凄く優しいお姉ちゃんで大好きだったのよ
だから、お姉ちゃんが帰ってくるたびに、玄関に迎えに行ったのよ
お姉ちゃんがいなくなった後も帰ってくると信じて玄関に迎えに行ったけど・・・いつも違う人ばかりでどうしたんだろうと思ったことあるわね
それにね、お父さんとお母さんがね暗い顔をしたり、部屋にいつの間にか白い箱みたいなものがあったりと不思議に思ったのよ
その時は幼い子供だったので分からなかったけど、夏のころにね、お姉ちゃんの上司と部下だったという人が来たのよ
難しい話だからと別の部屋で遊んでいなさいと言われて、話は聞かなかったけど、後々に思ってみればお姉ちゃんが死んだ時の様子を告げたんでしょうね
その軍人さんたちに
「おねえちゃん。はやくかえしてね」
と今にしてみれば、残酷なことを聞いてしまったなあと思います。
あの頃は幼かったとはいえ軍人さんも相当辛かったでしょうね
その後、私が大きくなったころにようやくお姉ちゃんは帰ってこない
大好きなお姉ちゃんは死んだんだ・・・・と初めて実感できたとき、涙が止まらず一晩中泣きました・・・。
私はお姉ちゃんがどのように死んだのかを父と母に聞きたかったのですが・・・
父と母は頑なに語ってくれなくて逝去なさいました。
そして、家を引っ越しすることになり、この写真も荷物に纏まってしまって
今の今まで忘れてしまったのよ・・・・
そこで、お願いがあるんだけど私のお姉ちゃんがどのようなウィッチで、どのような活躍して、どのように死んだのか調べてほしいのよ
私ももうお婆ちゃんになっちゃって、いつ死ぬか分からない。10年後に死ぬかもしれない。もしかしたら明日死ぬかもしれない。
その前にお姉ちゃんがどのように戦ってきたのかを知りたいのよ・・・・・・
このように一枚の写真をきっかけに、調査を始め、一冊の本に纏めることができた。
これは、私の祖母の姉、早良ミチルの物語であった・・・・
最終更新:2016年02月14日 08:15