147 :トゥ!ヘァ!:2015/10/05(月) 20:39:07
憂鬱ストパン 朝鮮戦争記録

扶桑本土のすぐ近くで発生したこの戦争では今までにない戦いが幾つも見られた。
その一つがジェット機とジェットストライカーの大量投入である。

大戦中は試作もしくは開発されたばかりであり本格的に配備が開始されたのは既にほぼ勝敗の決していた大戦末期であった。
しかしその性能は今までの戦闘機と比べ画期的であり、戦後になっても各国で開発と配備が続いていた。
その中で起きたのが今回の戦争である。

扶桑では戦中最後期に開発された疾風の本土への配備が進んでおり、ジェットストライカーに関しても震電をジェットストライカー化した震電改の配備が進んでいた。
半島駐留軍からの救援要請の際には既存のレシプロ機やレシプロストライカー部隊と共に本土から真っ先に飛び立っている。
これらの機体やストライカーは押され気味な初戦においても目を見張る戦果を挙げ、ジェット機の有用性を内外に大きく示す結果となった。

また戦争中盤から参戦し始める各国からの援軍にも多数のジェット機及びジェットストライカーが存在している。
この時期の各国では扶桑が開発した疾風のデビューにともないジェット機に関しての開発競争が白熱していた全盛期であり、
通称疾風ショックと言われた出来事の前に各国はジェット機の開発に躍起になり、リベリオンではF-100が史実と比べ1年早く飛んでおり、朝鮮戦争後半に投入されている。
欧州に関してはブリタニア、カールスラント、オラーシャの三国間で大々的な技術交流が行われ、それぞれのジェット機の開発が促進された。

ブリタニアでは史実よりも早めに開発されたベノム、カールスラントでは量産されたTa183とその系譜、オラーシャではMiG-15と17の開発が促進され、
三国とも初期の援軍ではミーティアやMe262など大戦中に開発されたジェット機のみであったが、上記の機体の開発と配備が進むにつれ大戦の中盤から本格的に送りこんでいった。

特に戦場が国土の近くであり、初期から扶桑大陸駐留軍と作戦行動を共にしていたオラーシャでは扶桑、リベリオンと共に比較的早期からMiG-15を始めとするジェット機の投入を開始している。
このオラーシャのMiG-15を始めとし、リベリオンのF-86、扶桑の疾風の三機は苦しい戦争序盤を支えた名機として兵士達から称えられている。

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最終更新:2016年02月15日 01:06