9 :フィー:2015/12/29(火) 21:11:29
スレッドの空気読まずにちょっとしたネタ投下です。

中国がどの世界線でも貧乏くじ引きまくりなんでどうにかならないか考えてみた。
実際出来るかどうかは不明、時代考証も特にしてません。



日中同盟ルート

江戸時代ぐらいまではほかの大陸世界と大体同じ展開をたどる。
むしろ変化があったのは朝鮮半島において、大清帝国が成立したのとほぼ同時期に冊封体制を離脱し国号を大韓帝国と変更した国である。

秀吉による朝鮮出兵(第何次か分からない日中戦争)により国土に多大な被害を被りながらも生き残った者たちは明帝国の終焉が近いことを理解していた。
現在の明は王朝末期の様相を呈しており日本との戦いの影響は崩壊の針を先に進めるに十分な被害を与えていたからだ。
同時に北方の女真族の勢力が増していくのを目にし当時の国王は乾坤一擲の勝負に出ることを決意した。

後金(後の清)を支援し明に明確に反旗を翻したのだ。
多大な被害を出しながらもこの先の生き残りのため全力を尽くした戦いにより、
清の「同盟国」としての立場を維持したまま明の滅亡と清の中華帝国相続を見届けた。
建国に多大な貢献をしたことを理由に中華帝国の冊封体制からの脱却を図ったのだ。

清側も中華帝国の継承者として冊封国としての朝鮮を残すことを望んだが功績を否定することが出来ず、また征伐を行った場合の内外に与えるデメリットを鑑みて最終的に日本と同じような扱いとすることでこれを認める事になる。

これにより外交上の「対等な立場」を得たことで清と日本の間で外交戦を展開する。
日清両国において政体が一新されたことによりお互いの遺恨は少なく、朝鮮を経由させた安定した外交関係の構築に全力を尽くした結果、
中間貿易などの利益を国内投資と外交費に極振りしつつ200年近くにわたる平穏を手にすることに成功したのだ。


状況が変化しだしたのは19世紀に入ってしばらくしたころ、
清とイギリスの貿易摩擦に端を発するアヘンの清国内への大量流入によって治安が急速に悪化しだす。
さらに、イギリスのアヘンの密輸に関して幾度もの折衝のうえ大揉めに揉めた挙句にイギリス艦隊の派遣を招き、碌な準備も整わぬまま一方的にうち破られたのだ。
日清両国の間でバランスを取りながら過ごしている大韓帝国にとって片方の失墜は看過出来るものではなかった。
しかし、海上戦力でイギリスよりも絶対的下位にある清を救援することなど出来るはずもなく頭を抱える中で千載一遇の機会が訪れる。

イギリス艦隊が天津を目指し北上中に運悪く近海を航行していた江戸幕府公船を清国船と誤認、撃沈した。

この事態に日本側は激怒、イギリスに正式な抗議をするもまともに取り合われず完全に黙殺される。
大韓帝国はここぞとばかりに当事者の立場になった日本に接近、日清韓三国間での会談の席を整えた。

その会談の席で何が語られたかは定かではない。
重要なのは数日後に発表された日清韓の相互安全保障条約締結と日韓によるイギリスへの宣戦布告の事実だった。

10 :フィー:2015/12/29(火) 21:12:02
とりあえず終了です。
続きは書く予定無いです。
というかここまでで力尽きた感があります。
日中同盟というか朝鮮過労死ルートになった気がしなくもないですが、立地的に仕方ないということで。


ネタ的にはこのまま21世紀まで行った世界で、

数々の国際紛争を解決に導き歴代最高と称えられる潘基文国連事務総長をみて某秘密結社の人達が白目むいているイメージとか浮かびましたが浮かんだだけです。

まぁ、他の蜜月ルートクラスの仲の良さは絶対に無理でしょうが第二次大戦以降の英仏程度には仲良くできるんじゃないですかねぇ。

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最終更新:2016年02月16日 21:57