399 :ナイ神父MK-2:2016/01/13(水) 22:41:45
日蘭世界 入れ替わりネタ

孤軍のアメリカ

OCUは英国、ソ連の敗戦後に欧州の駐留戦力の再編成とアメリカ本土攻撃用の航空隊を編成、
南米に加え英国からバミューダ諸島を接収して大量のヴィクター持ち込んでいた。
一方の日本はと言うと、一向に来ない米国本隊を疑問視する声も出ていたが、下手に攻撃を行い艦艇を失うわけにはいかず
暫くは富嶽による攻撃でアメリカ本土の生産能力の低下を狙っていた。対するアメリカは地域によって徐々に意識の乖離が
起り、東部や中部は戦争継続の声が大きく実際に被害は海軍艦隊が日本艦隊への痛打(後に国民を奮起させる為の欺瞞だと発覚)
と引き換えに大打撃を受けたことであったが、新造艦の建造も順当であり完成すれば小さな島国一つ簡単に潰せるだろうと考えていた。

しかし、西海岸では継続する爆撃や何時来るとも知れない日本の艦隊に怯える日々を過ごし、西海岸守備隊も陸戦力は十分敵の
上陸に際して対抗できるだけを擁していたが、事航空戦力に関しては悲惨そのものだった。連日飛来する富嶽に対して同じ高度に上がる
所か速度すら追いつけず、護衛として付いてきた疾風などの機体に一方的に落とされ良い様に追い回されていたのである。

そして、新型機の更新もかなり遅れているというのが現状がこの状態に更なる拍車をかけた、ボーイングを初めとした航空機メーカー
は執拗な爆撃に合い試験飛行場や試作の航空機が施設ごと念入りに吹き飛ばされ、瓦礫を引っ繰り返して無事な機体を探すほどであり
出せる物は試作機から第一次大戦の遺物まで中部や東海岸から集めているのが現状であった。止めに想定以上の消耗にボーキサイトやゴムが枯渇を始め、アメリカ国内では資源回収部隊が組織されて各地から資源が集められていく。

各国が対アメリカの準備を行う中、中華では一応中国共産党と中華民国を降伏に追い込むことに成功していたが、指導部降伏後も情報の伝わらない便衣兵の類のが散発的に攻撃を行う自体が見られている。中華の一応の降伏を持って完全に対抗国がアメリカのみとなった日本は、更なる富嶽をハワイへと送り込み、新型爆撃機芙蓉(B-52相当)が先行量産分配備された。

1942年4月 海軍はアメリカが本土決戦を行う為に西海岸に戦力を集中させていると判断、ロシア帝国海軍とオランダ東洋第2艦隊に援軍を要請して合同艦隊を結成しアメリカ海軍の完全な撃滅と西海岸への艦砲射撃を加えるべく、翌5月に艦隊をハワイより出航させる。しかし、西海岸が砲撃圏内に入っても米艦隊が姿を見せる様子は見られず、散発的な航空攻撃に留まっていた。

「なんだこれは、戦艦所か重巡の一隻も見えんではないか」

「提督、やはり戦争始めに送り込まれた艦隊あれが米海軍の全軍だったのではないでしょうか?」

「馬鹿な、アメリカの建造の能力なら我が国に匹敵するだけの艦隊を有しているはずだ・・・
だが、こうまで砲撃されて対抗する艦隊が出てこないも事を見るとな」

400 :ナイ神父MK-2:2016/01/13(水) 22:42:18

この攻撃の際、アメリカ海軍は動いていなかった正確に言えば動けなかったのである、政府の見解から空爆に専念している以上日本の
艦隊も動けないはずである為、貴重となった燃料は航空隊や輸送路維持の為の車両に回されており、海軍でも軽巡以上には燃料を殆ど
回していなかったのである。そんな中起きた今回の艦砲射撃でアメリカの予想は大きく覆され、長期戦を行っても日本が先に燃料切れに
なることがないと判明してしまったのである。

政府は慌てて造船所を突っついて進水したばかりのサウスダコタ級や配備やアイオワ級の完成を目指したが、事はそう旨くいくはずも無く
遂に東海岸側でもオランダによる爆撃が開始されたのである。英国本土を爆撃したヴィクターの能力はアメリカでも遺憾なく発揮され、
攻撃が今まで来なかった中部も爆撃の対象となった。そして、1942年6月 日本の諜報部はこの世界のニューヨークでも細菌兵器が
開発されている事を確認し、星一号作戦を開始大西洋に派遣されていた第9艦隊の空母に加え西海岸での反抗作戦の可能性が低いことから
太平洋側からも空母が大西洋へ向けて移動を開始する。

1942年 11月星一号作戦の為バミューダ諸島周辺には正規空母38隻が集結し、中には日本最大の空母である大鳳型やグットホープ級の姿も
見られ、比喩抜きに港が空母で埋まっていた。こうして空前絶後の数の空母が集められ、陸海共同で行われた星一号作戦投入された爆撃機は
ニューヨークへ殺到上空ではそれを阻止しようとするアメリカ航空隊との激しい戦闘が繰り広げられていた。

『奴らニューヨークを消滅させる気か!』

『何処からこんなに沸いていきやがった!』

『畜生、下には民間人も居るんだぞ!』

『奴らにゃ、血も涙もないのか!』

アメリカ兵のパイロットたちが呪詛を呟く中、当のOCU側のパイロット達の気合の入れ様も凄まじかった。

『いいか、マンハッタン島周辺は地下まで確実に耕せ』

『兵器転用されたペストなんぞ絶対に消し去れ!』

『ニューヨークを消滅させる気でやるんだ!』

『あの悪魔どもを此処で根絶やしにしろ!』

『欧州に黒死病を入れて成る物か!』

ニューヨークへの爆撃は凄惨を極めマンハッタン島を初めとした海岸部や島は完全に原型をとどめて居らず
また、大量の地下攻撃用のバンカーバスターやナパームが投下されかなりの範囲で地下鉄を初めとした
鉄道網が破壊され、更に火災が発生していた。一説にはこの爆撃によりニューヨーク全体の三分の一が全焼
下といわれている。

そして、1942年11月ロスアラモスへ水爆が投下、更に翌12月に東海岸沖にて大型水爆(後に暗号文の公開では禍津日型と呼ばれていたこ
とが判明尚命名は富永)が投下される。
この大型水爆のデモンストレーション後アメリカ政府はOCUに対して降伏、転移から始った一連の世界大戦はこうして幕を閉じる。

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最終更新:2016年02月18日 21:17