550 :弥次郎:2016/01/29(金) 18:00:03
大淀型護衛指揮巡洋艦

性能諸元
同型艦 大淀 仁淀 筑後 八瀬 鈴鹿 有帆
速力(公試):34ノット
速力(公試・鈴鹿型):34.6ノット
排水量(大淀型 公試):14372t
排水量(鈴鹿型 公試):14712t
全長:203.4m(大淀型) 205.3m(鈴鹿型)
全幅:17.2m
推進:4軸
建造予定数:8隻
建造数:6隻

兵装
  • 13センチ連装両用砲(前部2門)
  • 連装高角砲 4基8門(片舷指向2基4門)
  • 25mm対空単装機銃 14挺(片舷指向7挺)
  • 25mm対空連装機銃 12基24門(片舷指向5基10門 大淀型は改装時に一部撤去)
  • ボフォース40mm機関砲 単装8門(大淀型は改装時に一部撤去 鈴鹿型においては一部省略)
  • 25mm3連装機銃 6基(大淀型は改装時に一部撤去 鈴鹿型においては一部省略)
  • 86式多連装対潜迫撃弾投射機(のちに新型に更新)
  • 99式3型艦対空誘導弾発射管(前期大淀型の大淀 仁淀 筑後は改装時に搭載 八瀬は竣工時から搭載)
  • 2式6型艦対空誘導弾発射管(竣工時の鈴鹿型のみ搭載)
  • 4式1型艦対空誘導弾発射管(アメリカ海軍の戦力の払底と改装のタイミングから鈴鹿型と筑後のみ搭載)

搭載機:
  • 水上観測機 紫雲 6機
  • 94式回転翼機 海燕 3機(改装後に大淀型が搭載 鈴鹿型は竣工時から搭載)
  • 4式回転翼機 海鷲 3機(初期配備予定は鈴鹿型 のちに大淀型も搭載)

その他
  • 水上機カタパルト(前期大淀型のみ)
  • クレーン

概要:
日本海軍がワシントン海軍軍縮条約を脱退後に建造した巡洋艦。
戦闘を直接行う艦ではなく、護衛船団などの指揮を執るために専用の設備を積んだ指揮艦である。

建造までの経緯:
日本が加盟するOCUと米英仏らの関係悪化を受け、大日本帝国海軍では条約脱退を見越して九頭龍型・阿賀野型改・阿賀野型・黒部型などの巡洋艦をはじめ、空母や護衛空母の建造計画を推し進めていた。
当時連合艦隊及び連合護衛総隊のドクトリンとしては布哇や中間島などの基地航空隊の援護が受けられる有利な位置での敵艦隊の撃滅と、潜水艦や重巡洋艦擁する水上艦隊による通商破壊の二つを画策していた。
これは対米戦においては新須賀やギニアからの戦略爆撃と弾道弾攻撃によってインフラを破壊して降伏に追い込むという戦略に即したもので、あくまでも米国海軍の戦力を新須賀や布哇島以西に通さないための門番的な役割を担っていた。

551 :弥次郎:2016/01/29(金) 18:01:35

しかし、開戦後に編成されるであろう輸送船団の規模は平時の比ではなく、また新須賀への弾道弾や必要物資は戦略物資が多く含まれていることと、米国が新須賀を攻略するためにまず通商破壊を選択すると推測されていたことから、通商破壊に対する防衛について議論が起こった。
史実を知る夢幻会は初春型を筆頭とした対潜特化型の駆逐艦を配備していたが、大規模な船団を護衛しての連携などについては不安視され、実際に護衛船団と攻撃側の潜水艦隊に分かれての演習が実施された(※1)。
この結果、概ね潜水艦からの攻撃を阻止することには成功したものの、護衛の駆逐艦や護衛空母と輸送艦の無線が混線して指示が通りにくくなるほか、よく訓練された潜水艦によるウルフパック戦術を受けた場合、混乱が拡大し輸送艦同士の接触や船団が分断されるなど不利な状況に陥ることが確認された。史実においてもアメリカがドイツのUボート同様に潜水艦同士が連携して雷撃を行うことを知る夢幻会はこの結果を非常に重く見て、その対策に乗り出した。

この演習結果に上乗せされる形として、国内で賄えないボーキサイト ヘリウム 天然ゴム、中東から輸入していた原油などを輸送するルートも後方であるとはいえ、ドイツ並みの潜水艦保有国であったイギリスが通商破壊のために多くの潜水艦を投入し、哨戒網を潜り抜けて侵入してくる可能性がありえなくはないとの予測が海軍内部で発表された。

また、演習時に発覚したのは、あくまで機動部隊や戦艦を中心とした水上打撃艦隊に付随するものとして重巡洋艦・軽巡洋艦が建造されていたことで、それ自体が20から40前後ならばともかく、100以上の船を同時に管制することを想定しておらず、いざというときにそのキャパシティーを軽々と超える事であった。
これを受けて急きょ通信水兵の育成と既存艦艇における通信設備等の拡張が進められるとともに、指揮艦としての役割を果たせる巡洋艦の建造が計画された。
斯くして、大淀型護衛指揮巡洋艦の設計と建造が開始された。

建造:
本艦の建造に当たり、
  • 低速高速問わず輸送船団に追従できる速力と航続距離を持つ
  • 長距離航海に適した船室を持ち、船員の負担を減らす
  • 通信設備および広い指揮所を持つ
  • 護衛空母不在時に備えて水上偵察機を搭載できる
  • 雷撃能力は場合によっては排除してもよい
  • 通商破壊に投入されると推測される戦力(おもに潜水艦や空母)の攻撃をしのぐ構造を持つ。
といったコンセプトが艦本によって設定された。

552 :弥次郎:2016/01/29(金) 18:04:12
しかし阿賀野型・改阿賀野型では排水量が8000tクラスで収まっており、砲塔や魚雷などの排除を行ったとしてもトップヘビー且つ積載不足が予測された。艦隊決戦を想定しているため、そういった余裕が元からなく、多少の変更では足りないと判断された。そこで、最上型や利根型といった重巡洋艦クラスの排水量を持つ艦艇の設計を元として、ほぼ新規設計にすることが決定した。

最も重要な司令部施設の位置については意見が割れたが、思わぬ流れ弾による司令部の全滅を避けるため、艦橋の根元に外部装甲を厚くし、ゴムを衝撃緩和剤として使うなどして何重にも被弾への対策を行ったうえで設置。重巡クラスの主砲弾もしくは米軍機が使用する航空爆弾が直撃しても全滅を免れるように細心の注意を払った。あくまで試算であるが、司令部は集中する艦橋周辺とそれに連なる部分は対8インチ防御を超える防御を発揮するとされる。
司令部施設のすぐそばには同じく装甲化された戦闘指揮所があり、史実のように連絡を行う必要があるときに戦闘中でも露天甲板を歩く必要性を排除した。また、万が一の被雷などによって沈没する船体から司令部の人員が脱出しやすいように、船内の通路をあまり複雑にすることなくシンプルにして脱出時に混雑や転倒を起こさないように設計されている。
用兵側もこの設計を受けて脱出訓練を繰り返し、さらに浮き輪・救命胴衣・ゴムボートを多く備えるなどしていた。

船体後部は主砲を搭載しない代わりに水上機格納庫、クレーン、カタパルトを搭載。最大で8機の水上機運用を可能とした。
特に水上機には当時最新の水上偵察機であった紫雲が配備されており、索敵範囲は水上機を運用する艦艇の中では群を抜いていた。
ここには朝霧型で採用されていた対潜哨戒回転翼機を搭載する案もあったが、あくまでも護衛空母の不在に備えたものが求められたために水上機が採用された。

この大淀型は8隻建造される予定であったが、既存艦艇の人員の拡充や一部設備の改装が終了したことで相対的に必要性が低下。
また、戦時量産型とはいえかなりのコストがかかる大淀型は戦後を見越し始めていた大蔵省からも問題視されていた。
止めとなったのが、アメリカ合衆国太平洋艦隊の最後の戦いとなったサンフランシスコ沖海戦の勝利であった。
戦略爆撃と弾道弾攻撃の激化に伴い経済的な停滞が生まれ、米国の太平洋艦隊が保有する戦力が払底したと判断された。
これによって大淀型は合計6隻で建造は終了した。
また万が一大淀型の穴が生じた際にこれを埋める予定であった黒部型巡洋艦丙型もペーパープランとなった。

ネームシップである大淀は1936年の条約脱退後の1936年9月に横須賀海軍工廠にて起工。1939年1月に竣工。
同型の仁淀、筑後は1937年2月にほぼ同時に起工し、1939年3月に竣工。
八瀬も1938年末に起工するが、姉妹艦3隻で判明した欠点の修正を行うために若干遅れて1940年7月に竣工した。
鈴鹿型は1941年3月に2隻とも起工予定であったが、搭載予定の新型回転翼機の設計に合わせるためと、甲板の艤装について大淀型からのフィードバックを行うために設計が一部変更され、その帳尻合わせもあって1941年6月に起工。1942年11月には竣工した。

553 :弥次郎:2016/01/29(金) 18:06:33

戦時の活躍:
開戦に間に合ったのは一番艦の大淀 二番艦の仁淀 三番艦の筑後の3隻であった。
最も就役が速く練度も優れていた大淀は新須賀方面、仁淀が南方・アウストラリウス方面、筑後が布哇方面への配備が決定。
特に重要な戦略物資の弾道弾や爆撃機の燃料や整備部品などの運搬や、輸送船が多数集まる大型の輸送船団の編成時にはその指揮能力を存分に生かして指揮をこなした。八瀬や鈴鹿、有帆の就役後はローテーションを組みながら初期の配属のままに輸送作戦に従事した。

よって、基本的に輸送船団の指揮を行う関係から配属された鎮守府や泊地と本土を行き来することが多かった。
また、大規模な海戦(特に2度のハワイ沖海戦)によって艦が撃沈ないし除籍となった際には布哇鎮守府に居合わせた筑後や八瀬が数合わせのために書類上水雷戦隊に所属していたこともあった。

搭載していた紫雲であるが、護衛空母が船団護衛に付随することが多く水上機の出番はあまりなかったことが多くの文献で確認されている。
幾度かの船団護衛の指揮を行った後に提出された戦闘詳報においても「水上機の出番はあまりなかった」と評されており、対潜兵装の充実化や曳航式ソナーの配備などが要請された。

第二次大戦後期に入ったころには、ほぼ護衛空母も揃ったことを受けて、大淀型の大淀 仁淀 筑後は艦対空誘導弾発射管の搭載、紫雲の運用のための水上機カタパルトの撤去、甲板及び格納庫の回転翼機へ適した改装を行った。
後期に建造された鈴鹿 有帆については船体の一部設計見直しが行われて全長がわずかながら伸びており、回転翼機の搭載を前提に適した甲板を搭載していたことから5番艦と6番艦を鈴鹿型と分類する文献もある(※2)。

兵装:
本艦は基本的に積極的な戦闘を行うことは意図されておらず、自衛武装を中心としている。
主砲として両用砲を前部に2基4門 連装高角砲を4基8門といずれも史実大淀型と同じ配置で、魚雷を積んでいないのも同様である。
25mm対空機銃やボフォース40mm機関砲も搭載され、最新の対空電探と近接信管砲弾の連動。さらに最新の射撃指揮装置によって対空攻撃の命中率がそれまでよりも向上しており、数で敵艦載機を迎撃するというより、確実に敵機を落とすことを重視している。
また、あくまで対潜攻撃を駆逐艦などに任せるスタンスであるため対潜兵装は最低限にとどめられている。

後期大淀型の鈴鹿型は、前期大淀型と格納庫の大きさ・電探の形状・後部甲板の形状・艦対空ミサイルの有無において明確に見分けることが可能である。改装後にもおもに艦対空誘導弾発射管の形状から分類できる。
搭載された艦対空ミサイルは、大日本帝国海軍初の純粋なミサイル駆逐艦である島風型のものを拡大したもので、後に大淀型にも搭載された。

554 :弥次郎:2016/01/29(金) 18:07:47
戦後:
戦後には大幅な軍縮に伴って解体ないし売却が検討されたが、重巡クラスの船体を生かさないのはもったいないことと、10000tを超える大型艦であるために、売却先が海軍戦力を持ち運用経験のある国にかなり限定されてしまったことで戦後しばらくの運用が決定した。

次世代の戦闘艦の研究のテストベットとして大淀及び仁淀が改装に回されて、5式8連装対潜誘導弾発射管(アスロックランチャー)、20mm近接機関砲(史実CIWS)を搭載。出ずっぱりで後回しにされていた対空ミサイルシステムのバージョンアップを行った。その他の武装は、両用砲が速射砲へと更新され対空機銃が一部取り払われるなどした。
後部格納庫は改装されてヘリコプターを甲板に係留するものを含めて3機搭載できる。

他方の鈴鹿及び有帆は主砲や電探などの更新し、史実ターターシステムを導入。対艦対空ミサイルの運用を行う実験艦として運用された。
大淀型同様に5式8連装対潜誘導弾発射管、対空ミサイル発射管も史実Mk 13 GMLS相当のそれへと更新した。
後には弾倉直結型垂直誘導弾発射管(VLS)や史実SPYの試験導入も行われるなど、積極的に実験的な試みを繰り返した。
安定した運用には時間を要したが、おおむね良好な結果を残せるまで進化し、後の史実イージスシステムの開発にも大きく貢献した。一方で武装の充実化に伴って大淀型と異なり格納庫を大きく削る必要に迫られ、ヘリコプター搭載数を合計2機にまで減らしている。

これらの改装の結果から言えば、大淀型はヘリコプター搭載護衛艦(DDH)、鈴鹿型はミサイル護衛艦(DDG)に極めて似た特徴を得た。
残る八瀬と筑後は装備の交換を行った後に、それぞれペルシャ帝国海軍及びオスマン・トルコ帝国海軍へと売却された。

大淀型最大の特徴であった艦隊指揮施設に関してであるが、設備の更新とそれに伴う縮小を行ったものの、弾道弾という戦略兵器の時代を迎えた際には、不意の先制攻撃によって首脳部が被害を受け、前線での柔軟な指揮が必要となるかもしれないとの予想があったため残され、その後の大日本帝国海軍に属するいくつかの艦艇に引き継がれることとなった。

1950年代も終盤に入るころには後進となる誘導弾搭載巡洋艦や回転翼基搭載巡洋艦の就役し、これに伴い全艦が退役し解体された。
第二次大戦における海軍を陰ながら支えた艦として、母港ないし輸送などで活躍した布哇島や新須賀の納錨公園に錨が収められた。
現在にいたるまで、大日本帝国海軍内において数隻が司令部施設を有している艦がその想定状況に対して投入されたことはないが、各地で起こった大規模災害時には前線指令部として度々活躍している。
彼女達が遺した戦訓などは今も生き続けていると言える。

555 :弥次郎:2016/01/29(金) 18:09:36

※1:図上演習などでも可能だったが、せっかくならばとオランダとの合同演習の際に実施された。
攻撃側と護衛側を日蘭双方で交代で行い、貴重なデータを獲得した。
後の分析では、この演習においてこの弱点が発覚せず、アメリカの通商破壊がより積極的に行われた場合には、かなりの被害を受けて、弾道弾攻撃などに支障をきたしていたと結論された。

※2:建造を指示した夢幻会も、戦後にも簡易な改装で運用が続けられる艦の建造を進めており、史実におけるDDGやDDHの母体として活用できないかと注目し、その改装計画がされていた。そもそも過剰な予算投入に大蔵省が乗り気ではなかったこともある。
実際、戦後の研究においては大淀型のコストパフォーマンスについて言及する文献もそれなりに説得力を有していた。

以下、予算獲得問答の抜粋

辻「大淀型が必要なのは分かりますが戦時急造であるにしては建造費が高くつきます」
嶋田「だが今の4隻体制では兵站維持にも難が出る。もともと8隻予定なのを妥協したのだからこれくらいは」
南雲「利根型や最上型は手がすいた艦からメンテついでに改装しているが、完熟まで時間がかかる。かといってオーバーワークを強いるのは気が引ける」
辻「しょうがないですね、戦後にも使い続けられる設計にするなら妥協しますよ」
海軍一同「(よし、勝った!)」
辻「ただし!」
海軍一同「!」
辻「無駄使い厳禁でくれぐれもお願いしますよ?無駄に痛いイラストとか作らないでくださいよ?」
海軍一同(一部除く)「サー、イエッサー!」

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2021年04月15日 12:05