176 :ハニワ一号:2016/01/23(土) 19:10:34
日和世界における日和の北方勢力概観
日和世界の大陸日本と和帝国は日和の転生者の働きもあって史実とは違い北方探索・開発を積極的に進めていた。
その結果、大陸日本はチェコト・カムチャッカ半島、アラスカを領有する事になった。そしてアラスカでは東の国境線が西経130度線に国境線が引かれることになり日本領アラスカの領域が史実よりも拡大することとなる。
和帝国でのシベリア開発は宗主国である日本の支援による、日和の共同開発によってシベリアの開発は順調に進みシベリアにおける和帝国の領域は拡大していく事になり史実の清帝国の領域を超える事は確実になっていった。
日和のシベリア開発には大きな障害が存在していた。それはシベリアをのみ込まんと東進してきたロシア帝国だ。ロシア帝国は領域を東に拡げんとしてたびたび日和と衝突を繰り広げることになる。
だが東洋の超大国である日本と和帝国が本気でシベリア開発している状況で、欧州ロシア本国から遠く離れて本国からの補給が厳しいロシア軍が日和に勝てるわけがなく、日和とロシアの衝突はロシアの連戦連敗に終わり、ロシアとの戦いのたびにシベリアの人口密度が薄かったことも手伝って和帝国はシベリアにおける和帝国の領域を西側に大きく拡大していく事になる。
ロシア帝国から見れば再びタタールが西進を開始したかのように見えた事であろう。しかも厄介な事に欧州ロシア本国がナポレオン戦争やクリミア戦争など欧州での戦争にかかりきりになり、シベリアにまで手が回らない時期にまるで欧州方面でロシアも巻き込まれる戦争が知っていたかのように準備万全な日和軍と衝突することが多かった。
そして西洋でも蒸気機関が開発されたように東洋の超大国である日和でも蒸気機関を実用化し蒸気船や蒸気機関車を開発に成功したことはシベリアなど和帝国の辺境の開発の促進と防衛能力の向上を意味していた。
ロシア帝国との衝突に備えて和帝国では和帝国内や大陸日本の資本を利用して熱心に和帝国内の鉄道整備を行いシベリアや東トルキスタンにまで鉄道網を整備し、1870年代後半には和帝国領シベリアで日和のシベリア鉄道が全面開通して運行されることになる。
和帝国領シベリアでのシベリア鉄道開通によってシベリアだけでなく欧州ロシアが和帝国に飲み込まれる危機感を覚えたロシア帝国が和帝国に奇襲攻撃で戦端を開くもロシア帝国の侵攻に備えて建設した大量の機関銃と大砲を装備し鉄条網とコンクリートで覆った和帝国の近代要塞陣地の前に大損害を受け壊滅したあげくに鉄道によって送られた大軍による援軍を得た和帝国の反撃をくらって、またしてもロシアの領土を和帝国に割譲する事になるという風物詩となった情景をまたしても見せることになる
177 :ハニワ一号:2016/01/23(土) 19:11:53
このような日和帝国の拡大に欧州世界が団結して黄禍論全開で日和帝国と激突するよりも早くオーストリア帝国の皇太子が暗殺された事をきっかけに欧州内にくすぶっていた火種が爆発して連合国と同盟国の二大陣営に分かれての世界大戦がはじまった。
そして始まった第一次世界大戦は長期化し、日和米は大戦景気で大儲けすることになり、最終的に西部戦線は米国が参戦し、東部戦線では英仏露に様々な代価と引き換えにロシアが単独で独墺と戦っている東部戦線の参戦を要請された事に答えて日和軍の大軍が編成されるも本格的に東部戦線に参戦する直前にロシア革命が発生してしまう。そして日和軍の大軍はロシア革命によって成立したボリシェヴィキ政府を粉砕しながらドイツ帝国首都ベルリンを目標に進撃を開始していた。(オスマントルコ帝国は友好関係にあった日和の外交的努力により同盟側に参戦することはなかった。)
第一次世界大戦直前の日本、和帝国とロシアの関係は良好であり和帝国とロシアの国境は平和な状況であった。日和側はこれ以上の拡大は望まず新領土の安定した開発に専念したかった事やロシア側も長年の日和との戦いによる敗北の歴史に疲れ切って日和がこれ以上西進しないのであればと日和との友好による平和を望んでいたからだ。
なお、ロシア帝国がロシア革命によって崩壊した時、革命で弱体化し混乱するロシアを見限って、ロシア帝国の勢力圏を日和に丸ごと与える等の破格の好条件を日和両国に提示、革命で混乱するロシアに侵攻し、そのままドイツはベルリンにむけて侵攻を要請することになる。
なお、日和とドイツの侵攻によってロシアの革命政権は簡単に崩壊するものと思われロシアの大地で日和とドイツが激突するものとみられていた。だが実際にはドイツはボリシェヴィキ政府とブレスト=リトフスク条約を結び、日和に対する時間稼ぎをボリシェヴィキ政府に任せ、東部の兵力を西部戦線に回して最後の攻勢カイザーシュラハトを行いパリを占領した後に今度は戦力を東部に振り向けボリシェヴィキを粉砕した日和軍と一大決戦を行うつもりであったと言われる。(しかしカイザーシュラハトは失敗に終わり、ドイツ帝国は敗戦することになる。)
それだけ西部の英仏連合が東部戦線から解放されたドイツやボリシェヴィキ政権を脅威に思っていた事や連合国の財政的事情から確実にドイツに勝利しなければならなかったからだ。(勝利する事ができなければ大戦で疲弊した財政再建のためにドイツから容赦なく賠償金や権益などをむしりとる事が出来ないからだ。)
それに対して日和両国は後で反故されないように正式な文書として残すことを要求するなど反故されないためのさまざまな措置をとり、これらの措置によってパリ講和会議でロシア帝国勢力圏を日和両国が引き継ぐことが認められることになる。
178 :ハニワ一号:2016/01/23(土) 19:12:36
そしてドイツ帝国の敗北により第一次世界大戦は終結することになる。革命によって崩壊したはずのロシア帝国は日和軍の大軍が革命勢力を駆逐したために復活することになる。フィンランドやポーランドは失ったもののウクライナやベラルーシ、バルト三国、グルジア、アルメニア、アゼルバイジャンはロシア帝国の一部として存続することになる。またフィンランドは独立したものの日和の勢力圏に属することになり日和の投資や援助で発展することになり、色々な意味で面倒くさくてパージされる形で独立したポーランドはドイツとの防壁や緩衝地帯としての役割から日和の支援を受けることになる。
再興された過程からロシア帝国は日和の保護国扱いとなり日和と日和の友好国として市場解放を許された米国の投資と援助によって復興していく事になる。また日本とロシア帝国の友好と絆を深めるためにロシア帝国の皇女が日本の皇族と婚姻が結ばれている。
かくして第一次世界大戦までに和帝国は長年のロシア帝国との戦いの果てに幾つかの幸運とチャンスをものにした事でウラル山脈以東のシベリアとカザフスタンの広大な領域を和帝国の領土化しカザフスタン以外のキルギス、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンの中央アジア諸国を保護国化して日和の勢力圏におさめることになり、まさに和帝国は第二のモンゴル帝国であった。
このように長年北の大地で繰り広げられた大陸日本・和帝国とロシア帝国とのグレードゲームは日本・和帝国が第二のタタールとしてロシアを保護国として支配下に置く事で決着することになる。なお連合勝利のためにロシアの大地を日和に売り渡した英仏等の西欧のマスコミなどはロシア帝国が日和の支配下にある事を「第二のタタールの楔」と呼び日和の脅威をあおることになるのであるが欧州の民衆が世界大戦における膨大な犠牲に疲れて平和を求めていた事もあって日和と欧州の対立に繋がるような事態に発展する事にはならなかった。
世界の雲行きが怪しくなってくるのは1929年の世界大恐慌を待たねばならなかった・・・。
179 :ハニワ一号:2016/01/23(土) 19:13:07
後書き
なかなか大陸化日本竹島紛争SSが納得できる形にならないので気晴らしに日和世界の北方の日和の勢力圏概観SSを書いてみました。
日和側に幸運に恵まれた事やロシア帝国の混乱を最大限にうまく利用出来た事で人口希薄地帯とはいえウラル山脈以東のシベリアとカザフスタンをのみ込んで和帝国が世界最大の面積を持つ大帝国になってしまいました。おまけにカザフスタン以外のキルギス、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンの中央アジア諸国を保護国化してしまいましたしね。
またアラスカの西経130度線の国境線はヒャッハー世界のスレでヒャッハー日本のアラスカ国境線をどうするかの話題に西経130度線の単語が出ていたので西経130度線でいいかなと思いその線にしました。
最終更新:2016年02月21日 14:30