418 :ナイ神父MK-2:2016/01/26(火) 23:08:43
鳴瀬型水上機母艦

同型:子吉、馬淵、久慈、鶴見、米代、常願寺、小矢部、狩野 他9機

基本排水量:13800t

全長:192m

最大速力:32kt

武装:13cm両用連装砲2基4門

   40mm機銃2連装10基(両舷5基)

   八六式多連装対潜迫撃弾投射機

搭載機:水上観測機“紫雲” 24機

    二式飛行艇“晴空”  2機

    4式哨戒回転翼機“海鷲”6機 (大戦後期に晴空と交換で運用)

概要

 鳴瀬型水上機母艦は警備戦隊創設に当り、日本海軍が計画した「警備戦隊令」に基付き海軍で
 海軍で考案された戦隊指揮用の水上機母艦である。

建造まで

1930年代年々関係が悪化していく同盟諸国対抗する為、日本でも複数の艦隊計画が進行し、正面戦力を揃えていたが
 国内では同盟が奇襲作戦を行ってくる可能性を危惧していた。そんな中で海軍で出した答えは警備用のに戦時に向けて量産中の
 松型駆逐艦と黒部型巡洋艦で構成された小艦隊を運用して各海軍区の警備に当たると言う物であったが、対潜や索敵範囲の面で
 不安が見られ、計画は暗礁に乗り上げていた。

 一時は護衛空母を警備当らせる旨の発言もあったが、補給を疎かには抱き無い上輸送時の戦力不足は危険として却下された、
 そこで候補に挙がったのは水上機母艦である。通常の航空母艦には搭載数こそ劣る物の巡洋艦や駆逐艦の戦隊を流用して安価に改修可能で
 偵察機により広い範囲をカバーできると言うメリットから若宮以来に再注目を浴びることと成る。

 船体としては計画されていた新型の黒部型巡洋艦の船体を流用しして使用し、武装も同時期に九頭竜型防空巡洋艦や大淀型で搭載が予定されていた
 13cm連装両用砲と40mm連装機銃が採用され水上偵察機も同時期に利根型や戦艦に搭載予定の紫雲が決定、更に対潜用としてより広い範囲を
 カバーできる飛行艇も2機が搭載されている。こうして完成した鳴瀬型水上機母艦は各鎮守府に2隻計18隻が建造され投入されている。

戦中の動き

 第二次世界大戦の歴史を紐解く時によく話題になるのは米艦隊の布哇奇襲の際に、布哇の鎮守府に所属していた筈の警備戦隊は何処に居たかという事である。
 これは諸説有るが最も有力とされているのが、新横須賀-布哇間の北側やアメリカが来るであろう東側の海域を回っている間に運悪く奇襲されてしまったと言う
 説である。裏付けとなるのが当時の布哇に配属されていた鳴瀬の艦長の手記で我々が正面を見張っている間に敵は横合いから殴りつけてきた問う物であり、
 また自身の不手際で多数の被害を出したことによる自責の念が込められていた。しかし、その後の2回目の襲撃の際は見事に敵艦隊を発見し、
 いち早く鎮守府に無線を飛ばすことによって鎮守府に迎撃準備を行う時間を稼ぎ汚名を返上している。

 戦争の後半になると新たな対潜哨戒機として4式回転翼機が登場し、その対潜仕様が晴空代わる新たな対潜兵器として導入され、カタパルトを増設することによって
 体操している。

戦後

 戦後は航空機やそれを運用する巡洋艦の高性能化と大型化により水上機と水上機母艦は徐々に時代遅れとなり、警備戦隊の役割も航空巡洋艦に変わられていくことから
 1940年代末の警備戦隊解散と同時に水上機母艦もその役目を終え廃棄されている。

 余談では有るが鳴瀬型の名前はこの後も航空巡洋艦に受け継がれており、現代の鳴瀬型ヘリコプター巡洋艦は2代目である。

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最終更新:2016年02月21日 14:39