791 :弥次郎:2016/02/02(火) 23:15:10
スパイカー(Spyker)
概要:
オランダの自動車メーカー。
史実においてはすでに倒産しているスパイカーと同じであるためここでは略す。
設立:
1880年にスパイカー兄弟によって設立。
ここもほぼ史実と同様なため略す。
変遷:
当初は馬車の製造や部品の補修などを行う会社であったが、日本大使館職員がイギリスから取り寄せた自転車の整備を
依頼したこと(※1)をきっかけとして、自転車の扱いも始めた。特にアウストラリウスや東南アジア諸国から天然ゴムを
手に入れることが容易であり、自転車に使われる金属もアウストラリウスやその周辺の島から採掘されて一般にも普及し、
ついには自ら自転車の製造を開始するに至った。
転換期となったのが、製造を開始した頃に新たに発明されたオートバイ、即ちエンジン付きの自転車というべきものの誕生である。
当時はさほど注目を浴びなかったものの、1890年代には適したサイズのガソリンエンジンの開発され、1900年代に近づくに
つれて徐々に
アメリカなどで普及し始めた。友邦である日本においても積極的にオートバイを導入しようとする動きがあったことを受け、
スパイカーもこれに先んじて参入。イギリスから多くの技術者をスカウトした。
これが1901年ごろにオランダ陸軍の目に留まり、歩兵に自動車以下馬以上の機動力を持たせるための手段として、大口契約を獲得。
また、同じく陸軍が運用してた自動車についても整備点検などを依頼され、空軍からはエンジンの技術などを提供される
などして大きく躍進。さらに日本陸軍から陸王 84式側車付自動二輪車(※2)(史実陸王 九七式側車付自動二輪車相当)の
設計及び技術が持ち込まれ、オランダ陸軍の機動力向上に大きく貢献した。
第一次大戦中にオランダ本国には戦火は及ばず、平和の時代を迎えたスパイカーは次なる一手としてスパイカーは自動車業へと進出。
オートバイ製造において磨いた軍用に適した製品を作る技術をフルに活用し、軍用車両(ジープ、救急車、輸送車両、トラックなど)を
次々と開発・生産。Maximiliaans社がシェアを持たない所をうまくついて大きく成長した。
この頃の躍進を支えたのが技術者として招かれたフレデリック・コールホーフェン(※3)で、彼の技術の後押しを受けて、
シェア拡大と市場からの信頼を勝ち取った。
792 :名無しさん:2016/02/02(火) 23:17:27
第二次大戦時:
二度目の世界大戦において、スパイカーの製造した軍用車両や軍用バイクは各植民地及び本国においても多数使われた。
また、スパイカーがドイツのBMW社と合同で開発したBMW・R75などもフランスの早期陥落の一助となった。
このほか、主に欧州圏における軍用バイクや車両のライセンス契約を親OCUの各国と結んでおり、大戦時の陸軍の装備においては
かなりのシェアを握っていたと推測される。
戦後:
第二次大戦後はこれまでの技術をもとに民間市場へと本格参戦。
思わぬ事故にも簡単には壊れず乗員を守ることが出来る車体を武器として、関連技術にも手を広げてく。
戦争により荒廃したフランスおよびイギリスにも一定の市場を確保し、落ち着きを取り戻したOCU加盟国にも徐々に
自動車やバイクの売り込みをかけて、同時期に日本から発売されていた民間向けのバイクなどと激しい争いを展開した。
しかし、立地の関係もあり欧州・東南アジア・アウストラリウス方面をスパイカー、日本企業の三菱 ヤマハ トヨタなどが
カリフォルニアやロシア方面へと棲み分けが自然発生し、この市場争いは20年余りで収束した。
現在ではオランダ本国における自動車自動二輪車のトップ企業の一つとして、高級ブランド『Verheven Spyker』と
一般向けブランド『Spyker』、軍用車両をメインとする『Spyker militaire』の3つを抱えている。
他分野にも進出しており、航空機のエンジン開発においてはコールホーフェンとの業務提携を実施。
また生命保険・鉱業・ゼネコン・娯楽など多角的な経営を展開して、元々の分野にとどまらない発展を遂げている。
オランダにおいては、その規模からMaximiliaans社のライバル筆頭として名が上がるほどである。
※1:
高い確率で
夢幻会のメンバーと推測されている。同時期には『黎明自転車愛好会』なる集まりがあったとされており、
その後の自転車の普及の速さなどから見て、明らかに夢幻会の公式の介入以外にも工作があったと思われる。
※2:ここにも『陸王愛好会』という非公式組織があったとされているが、全ては闇の中である。
しかし、日本陸軍が早くからこれに着目していたことに違いはなく、日露戦争時にはこの機動力を
生かした偵察や通信兵の移動などが行われていた。
※3:
史実においてはイギリスやフランスなどで活躍し、1920年代にオランダに戻ってきている。
因みに、史実においてもスパイカーに籍を置いていた時期がある。
しかし日蘭世界においてはオランダ人というだけで肩身が狭い思いをしたためなのか1917年にはオランダへと戻ってきていた。
スパイカーで会社設立の資金と伝手を得た後に、彼は史実の通り航空機の製造メーカーのコールホーフェンを設立した。
793 :弥次郎:2016/02/02(火) 23:21:58
以上となります。wiki転載はご自由に。
って、最後の最後でコテハンとsageが外れてしまいましたね。反省…
ということで史実では倒産してしまったスパイカーが生き残りました。
史実以上の派手な活躍をしてしまいましたけどね…
イメージはオランダ版トヨタ若しくはヤマハあたりです。やっていることは両方のミックスともいえるかもしれませんね。
とりあえずオランダ本国の自動車会社はこれで一つ出来上がったので、これに対する競合企業も
おって考えなければなりませんなぁ…
例によって設定の活用はご自由にどうぞ
最終更新:2016年02月21日 15:17