469 :弥次郎@帰省中:2016/02/17(水) 19:15:12

【ネタ】瑞州転移世界 渡瑞学

渡瑞学(とずいがくorとすいがく)とは、幕府が瑞州への渡航を希望する人間に課した学問をさす。
本土から離れた瑞州には必然的に多くの犯罪者が紛れ込もうとし、学問に疎い人間も多く集まっていた。
治安の維持や統治政策の観点から、また日本とは異なる風土を持つ瑞州の知識なしには危険度が高く、速やかな開拓には
そういった事前教育が必須とみなされた。そこで夢幻会は大量の人間に対して生活の方法や制度を教える学問所・教育施設を
開設。ここにおいて瑞州に渡るための、あるいは瑞州という土地を渡っていくための知識を「渡瑞学」と称して
一般の塾などより安い金額で教えはじめた。

最初は江戸や江戸近辺の都市で座学を中心に行われていたが、瑞州の開拓が進むにつれて、瑞州の玄関口である
瑞島町の周辺にも分校を設置。農業指導・社会制度の解説・戸籍管理・労働教育・労書などの手続きといった瑞州で
生活していくのに必須と言える技術を実地訓練込みで教え始めた。ある意味、日本でも最初の職業訓練校と言える。

また、鉱山・平原・盆地・環境が少し異なる瑞州北部など特殊な環境に向かう希望者向けに特別な『科』が設置され、
より専門的な知識を教えたり、専門職に就くための基礎学力の養成に努めた。
例えば、鉄の精練・加工・火の取り扱い・原油の精製と運搬・牛や馬の飼育・金の精製・造船・建築・干拓などだ。
いずれも、開拓が進む瑞州。そして日本本土に帰還しても職人として生きていくのに必要な技術を教えていた。
これらの普及は識字率の向上だけでなく、開拓の質の向上にもつながり、また日本列島における同様な職業訓練校や
藩学校などに経営の方法や制度についての貴重なフィードバックをもたらした。

他にも、犯罪者が日本本土で増えた時期には、態度が良い軽犯罪者に収容所内に設けられた工場や作業所で訓練を積ませ、
出所後には就職を斡旋する組織としてもこの学問所は機能し始め、犯罪のループを断ち切るという非常に重要な役目を
担い始めた。

470 :弥次郎@帰省中:2016/02/17(水) 19:15:53

江戸中期、1730年代において、即ち瑞州の探索がほぼ終わり、蒸気機関の開発と蒸気船の就役に伴い、開拓が降り
積極的になったころには、江戸近郷の渡瑞学問所のいずれかと瑞島渡瑞学問書の2つを卒業して一人前という風潮さえあった。
また幕府の命により、私的に塾を開くのは構わないが、公的機関で渡瑞学を学ぶ場合には束脩を一律に定めてこれを集め、
この費用を勝手に水増しするなどの違反した場合には、その関係者が最悪の場合身分はく奪・資産没収・瑞州渡航禁止という
極めて厳しい刑罰を下すと宣告。これには、後に密航や身分擬装などを行った人間にも下されるようになり(※1)、
治安対策にも一役買っていくようになった。

時代を経るに従い、渡瑞学の学問所は瑞州全土に広がり、史実のニュージーランド・布哇・ミクロネシアなどにまで
その数と範囲を拡大。また、教える内容に関しても、開拓とは少し縁がない芸術・商業・美術・医療などに関しても
知識を希望者へと教えるようになり、やがて幕府直営から外れた民間の学問所として独立するなどしていった。
それだけでなく、『100文学』と呼ばれる、入場料100文で一日好きなだけ専門家の講義が聞けるという学問所も
多数設立され、民間にも様々な知識の伝承が広まりつつあった。ここには京都から出向してきた貴族なども講師として招かれ、
貴重な収入源の一つとしてかなりの取り合いとなるほどであった。(※2)
いずれにせよ、瑞州・日本本土・布哇・フィリピン・ニュージーランドにおける識字率及び四則計算の普及率は93%を
常に超えていたと推測される。後に日本領となった南洋諸島においても識字率は最低でも50%、平均して75%を維持して
いたとの調査結果が残されていた。
識字率の向上は単なる生活を行う必要性のみならず、非常事態におけるマニュアルの配布や諸般の法令などに関する高札の
文字が読めることで災害時に速やかな対応が可能となり、また各地で流行したコロリ(コレラ)や梅毒(性感染症)に対する
正しい知識と対処法の普及にも大きく貢献した(※3)。

後の日清・日露戦争や布哇事変において兵士一人一人の質が極めて高く、指揮系統が確立され、連携が綿密に行われていたことが
勝利に貢献したとされている。特に日清・日露戦争においては捕虜となった清国兵士やロシア兵に対して、日本人が
捕虜の母国の言葉を教えてやるという何とも奇妙な光景が繰り広げられ、観戦武官たちの度肝を抜いていた(※4)。

472 :弥次郎@帰省中:2016/02/17(水) 19:17:04

現在ではいくつかの国立大学や私立の学校法人の一部がこの時代における学問所などを出自としており、伝統ある学問
の場として現在も多くの生徒たちを受け入れている。また、瑞州における職業訓練学校も非常に歴史を持つところも多く、
既に専門のブランドを抱えるところさえある。
また、瑞州に関連したことわざも多く生まれており、渡瑞学に関連したものも多く誕生した。如何にその例を挙げる。

『渡瑞の始め』:まず収めるべき学問や知識のこと。あるいは、初等教育をさすことも。

『無書の大口』:無学な人間が、さも知識があるようにふるまうこと。あるいは、実力もなしに地位や後ろ盾を笠に着て
偉そうな態度をとったり、大口を叩いたりすること。この時代、私立幕府直営問わず学問所を卒業出来れば証書が発行され、
瑞州への渡航のみならず、関所などで身分検めの際にもある程度の効果を持っていた。反面、犯罪などを犯すとこれが
取り消しとなることが多々あり、犯罪者に行われる入れ墨と並んで重要視された。

『100文を惜しめば100両を失う』:
江戸時代において、親を失い必死に働きながら100文学で知識を身に着け、やがて大店の主となった実在の人物の逸話から
誕生したことわざ。教育は少しお金を使うもので、将来には何倍にもなって返ってくる。だからそれを惜しむべきではない
という教訓。あるいは、使うべきお金は使わなければ何倍もの損失を得るという戒め。

※1:
身分擬装は一部においては認められた。例えば仇討ちであるとか、将軍家や皇族のお忍びの旅行などでは許された。
また犯罪に巻き込まれてやむを得ずの逃避行や藩騒動など特別な事情があれば、いくつかの条件を満たせば無罪となる
ケースもあった。江戸期に流行った歌舞伎・落語・小説にも、瑞州と本土を股にかけて展開されるものが多数ある。

※2:
貴族にとっては瑞州で羽を伸ばす良い口実であり、同時に収入を得るチャンスであった。
100文学といっても、入れ替わりが激しければ1万人近くが入る100文学問所であるため比例して謝礼も増え、滞在費用も
盛況であれば主催者が全部負担してくれるなどいいことずくめであった。当然、つまらない内容であれば人気が出ずに
赤字となるため、珍しい品や上方でしか知ることが出来ないような芸術や美術に関して語ったり、あるいは源氏物語や
平家物語などの有名な書籍について分かりやすく講義するなどして、客寄せを図った。

※3:江戸中期以降には、少なくとも公営の吉原では避妊具としてコンドームが普及していた。これは東南アジアで取れた
ゴムの加工技術がある程度確立したためである。初期こそ荒が目立ったが、やがて病気を嫌う客に普及し、コンドームの
使う使わないを遊女たちが誘い文句の一つとするなど一般化が進んだ。
同時に、性病に対する知識が一般化してその対処にそつがない日本人に、幕末に来日した外国人研究者は多くが
独自に調査を行い、その著書や記録に残している。
因みに日本産のコンドームを最初に手にしたのはフィリピンにおいて交易していたスペインが有力視されている。

※4:
ほかにも、ボードゲームのようなもので戦略シミュレーションをする一兵卒や、工作兵から将校までが砲の配置や陣地の
設営について盛んに議論し合う光景が見られた。兵士が余暇に小説などを読み、半数以上の兵卒がいずれかの外国語を
日常会話程度なら支障をきたさない程度に学んでいたことも、大きな驚きを以て受け取られた。

474 :弥次郎@帰省中:2016/02/17(水) 19:18:03
以上です。wiki転載はご自由に。

ちょっと執筆時間がとりにくいので短いものをお送りしまいた。
江戸時代の識字率とかは非常に高く、農村でさえも書物が普及していましたからね。
西洋人が追い求めてついに至れなかった理想郷が目の前にあるのですから、それを目にした際の驚きは如何ばかりか……
しかも、この世界線においては単純な読み書き算盤に加えて、余暇と資金さえあれば専門知識さえも学ぶ機会に
恵まれています。まさにスカラーですな。

コンドームが登場しましたが、史実においては古代エジプトの頃から既に概念は存在してます。当時は、というか
ゴムが発見されるまでは動物の腸とかを使っていたようですね。ゴム製のコンドームは史実では1844年ごろに
今の原型がアメリカやイギリスで生まれ、1874年に本格的に販売となったようです。日本においては1900年代初めですな。
材料と知識のある夢幻会がいますので、遅くとも1800年代には一般化、早ければ1710年代に入ったころには原型が
出来上がっているのではと推測しました。吉原などがある分日本では性病が猛威振るったようですし、知っている
なら間違いなく作ろうとするだろうなと思い登場させました。なお、これによって江戸のエロい絵には咥えコンドームという
ジャンルが開かれました。エロって業が深いですね。この世界での歴史で言えば300年くらいの伝統芸ですね(白目)。

今回はちょっとしか触れませんでしたが、いずれ介入しまくった江戸の制度や街並みに関してもまとめて投下しようと思います。
が、コテにあるように帰省中でパソコンに向かう時間が減っておりまして、ネット上での情報調査すら減ってしまってます。
レスが遅れたりするのはご容赦ください。

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最終更新:2016年02月23日 05:17