395 :ナイ神父MK-2:2015/09/27(日) 17:40:47
日蘭世界 観兵式

明治初頭、政権基盤※1を完全に安定させた政府は国内外にそのことを知らしめる為の方法を考えていた。
そこで、候補に挙がったのは、日本単独で行う観艦式と皇居前での陸軍による観兵式である。当初こそ、
観艦式を行うという意見が強かったが、現在日本が所持している戦艦数では、他国に見劣りすると意見が
強くなり、最終的には陸軍による、江戸城前での観兵式に決定された。

開催当日には徳川 慶喜時代には大部分が完成していた、鉄道網※2も使用され、各地から多くの観客が
集う一大イベントとなっていた、来賓の中には日本とオランダの皇族※3他、イギリスやアメリカなどの
欧米の外交官らも見られ、これが海外に向けて日本が動き出したことを国内外に知らせる大きな宣伝で
あることが見て取れた。

軍楽隊の音楽の中、欧米諸国の人間の目を引いたのは半ば儀仗兵に近い存在となっていた、剣牙虎隊や
騎兵隊である。欧州などでは存在しない、象兵や剣牙虎も驚くに値するものではあったが、何より驚いたのは、
肉食獣である剣牙虎の咆哮を聞いても列を乱さない騎馬の存在である。日本では形骸化※4したとはいえ
、日本産の馬の威風堂々した姿は欧州の目を引き、後に一部の欧州貴族が日本産の馬を購入する姿が見られている。

そして、もう一つ欧米を注目させたことが在り得ないほどの砲兵の多さである。
火中車を含め歩兵牽引式や馬が引くタイプの物を含め、他の兵種の3倍近い長さがあり、日本軍の火力主義
を示すと共にその異様さを各国に知らせるこになる。※5

この観兵式は後に、日本国内の安定の象徴として、地震を初めとした自然災害からの復興や、日本単独での
戦争での勝利の際などに行われる恒例行事となり、同盟の安定の象徴が観艦式であり、
国内安定の象徴が観兵式であると人々に認識されていくようになる。

なお、行進が終わった後は、軍人と都民の交流イベントがあり、都市部では滅多に見られない剣牙虎や
象との触れ合いの他、一部大砲や火中車の見学が行われている。

おまけ
パレード後の都内の同人販売店では、なぜか売り上げが急上昇し、更にどこかで見たことのあるような
人物たちが大量に新品の同人を販売してくれと持ち込む様子が陸軍基地周辺で多発している。

※1:史実における明治維新自体がペルー来航(オランダと打ち合わせ済み)を開国に切っ掛けにした幕府と薩長同盟の出来レースであり、
夢幻会が動いたこともあり、政権譲渡自体は平和裏に終わったが、一部の過激派がテロに走った為鎮圧された。

※2:産業革命を知る夢幻会転生者が、徳川 家斉に鉄道化の重要性を語り、それに応じた家斉がオランダ経由で取り寄せ、
開発を始めた、開発自体は規格統一がなされた上で各藩で行われ、完成後は参勤交代にも使用を許可するなどの
優遇措置がとられ、次代将軍である家慶にも受け継がれた。

※3:オランダとの関係は戦争後も継続され、より深い交流が行われるようになった、その中ではナウッサ公が
江戸城や京都を訪問するなど随所に記録が見られ、一部将軍家御用達の店では、ナウッサ公が使用したと
される部屋や購入したとした商品が存在している。

※4:日本では戦国時代で既に、銃火器に負ける騎兵隊という構図が出来てしまい、小中規模の大名同士
の戦いや、余程有利な時以外は騎兵を出せなくなっていた、そこにフランス革命後夢幻会が銃火器の改良を
強く勧めた為、日本の火力主義をより推し進める結果となった。

※5:来賓で訪れた欧米外交官たち日本での経験を伝えようとしたが、一部の国は所詮黄色人種の国だからと
取り合わない所も多かった、また、一部市民たちの間では「日本人は馬も満足に走らせることが出来ないから
肉食獣を放して後ろから追わせて走らせている」という間違った話しが広まった。

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最終更新:2016年02月29日 00:04