575 :ナイ神父MK-2:2015/10/01(木) 23:02:52
日蘭世界 江戸の洋館

江戸の現代で言う港区赤坂の東京湾を眺められる位置に巨大な洋館が聳えている。
これはフランス革命以降交流を深めたオランダの皇族滞在の為に建設された専用施設である。
1830年代以降交友を深めた両国の交流は急激に大きくなり、ついにはオランダ皇族の滞在
も、計画されることになった。

そこで問題となったのは、滞在場所である。基本的に西洋建築の建物は、出島を初めとした
一部の港町にしか存在せず、かといってあまり江戸から遠い位置では着てもらった意味が無い、
そこで計画されたのが、オランダから現地の建築家を呼び寄せ、講師として日本の大工や
各商家に必要な技術や材料を用意させるといった方法であった。

既存の方法とは違う建築法や商売の機会にと、想定以上の職人や商人が集まったことは予想外※1では
あったが、こうして始まった建設は、日本人の熱意と商売意欲によって加速し、此処に夢幻会
西洋ではあまり発生しない地震・津波への対策の意見が加わりヒートアップする。

幕府や参加した市民が我に帰った時には、既に当初の予定※2を大幅に上回る巨大な洋館と庭園が完成
し、実際にオランダ皇帝が滞在場所を見た際には、日本の力の入れように驚いたという。

内部構造としては、皇帝一家や側近等が滞在や警備に当ることも考慮に入れられ、建設されており
幕府の力の入れ具合が伺える。そして一部厨房や厠部分※3には日本の物と西洋式の物が両方そろえられ
ている、これは謁見の際に洋式の物だけでは、海外に疎い幕府関係者がミスを起こさないように配慮した
結果だとされている。

こうして完成した洋館は、21世紀まで近代化改修や補修を挟みながら、現代まで問題なく機能しており
その歴史の古さや価値から、日蘭同盟を語る上では外せない重要な存在となっている。
また、その設計の優秀さから開国後の欧米の各国大使が駐在する大使館は全て、この洋館がベース※4
となっており設計の優秀さが伺える。

※1:西洋建築を学ぶ機会として大々的に全国の有力な商家や職人にお触れを出した為、一時は
建築の為にまず村を作る必要が有るほどに人が集まった。

※2:幕府で元々用意していた予算のほかに、材料費を浮かせる為授業料を取って建設費に
回していたが、そこで元の設計より豪華に得きるのではないかと言う話しや、職人や
商家の意見も受け入れていくうちに徐々に巨大化していった。

※3厨房や厠の他に、日本の警備兵や猫を入れる為の施設が景観の邪魔にならない様
設置され、時代が経つとさらにオランダ側のロイヤルガード用の施設も増設された。

※4:洋館建設の際に技術を学んだ職人たちが、故郷へ帰郷しそこで更に技術を
広めた為、各地の大名や貴族・商家の間で西洋建築を取り入れた屋敷を作ることが、
ブームになった。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2016年02月29日 00:25