58 :名無しさん:2015/10/09(金) 21:02:39
【日蘭世界第二次世界大戦における各国戦艦の略史妄想(日本編その一)】
大日本帝国海軍の戦艦の艦級の一つ。
八八艦隊計画に基づいて建造された一番初めの艦級であり、同型艦は2隻。
41cm連装主砲4基8門を搭載し、27ノットの速力を発揮した。
第二次世界大戦開戦当時、両艦共に第七艦隊に配備されていた。
このうち≪陸奥≫は海戦劈頭の米海軍による真珠湾攻撃、第一次ハワイ沖海戦で大破、後に喪失するも
一方の≪長門≫は第二次世界大戦を戦い抜き、後述する≪加賀≫と共に
同盟軍呼称、ネメシス=フローティア(復讐艦隊)の片割れとして畏怖された。
・ 長門
≪長門≫型戦艦一番艦。
1915年に就役し、二度に渡る近代化改装が施されながら、第一艦隊、第二艦隊を渡り歩き、
1938年に≪陸奥≫と共に布哇鎮守府の第七艦隊第七一戦隊へと配備された。
1941年、第二次世界大戦開戦直後に米海軍による真珠湾攻撃に遭遇。
布哇鎮守府所属の支倉海軍航空隊による阻止攻撃を突破した米海軍の戦艦7隻を迎撃すべく
≪陸奥≫及び≪土佐≫と共に出撃し、第一次ハワイ沖海戦に臨んだ。
海戦の最中、敵弾によって第三砲塔を破壊され、中破判定を受けながらも奮戦。
本土からの来援途上であった第一艦隊に属する≪大和≫型4隻が海域に到着するまでの貴重な時間を稼ぎ出している。
第一次ハワイ海戦の後、海戦で大破し、修復不能として除籍措置となった
姉妹艦の≪陸奥≫から無事であった第三砲塔を移設。
その後は彼女と同様に姉妹艦を喪失した≪加賀≫と共に新編第七一戦隊を構成し、
第二次ハワイ沖海戦、バンクーバー島沖海戦、サンフランシスコ沖海戦などの太平洋戦役における主要海戦に参加。
さらに1943年には大西洋へと進出し、カリブ海海戦とフロリダ沖海戦にも身を投じている。
第二次世界大戦中、新たな僚艦となった≪加賀≫と共同で米海軍を中心に7隻もの戦艦を撃破した他、
航空母艦1隻を撃沈、巡洋艦以下の艦艇も多数撃破という未曾有の戦果を記録。
その鬼気迫る奮戦から、同盟軍において第七一戦隊はネメシス=フローティア(復讐の戦隊)と畏怖された。
戦後、予備役に編入され、七尾海軍艦艇保管所にモスボール保存。1970年代、正式に除籍。
現在は艦艇保管所の一部を流用した帝国海軍艦艇博物館にて、記念艦としてその姿を見ることができる。
・ 陸奥
≪長門≫型戦艦二番艦。
1916年に就役し、姉妹艦である≪長門≫と共に第一艦隊、第二艦隊を渡り歩いた後、
1938年に≪陸奥≫と共に布哇鎮守府の第七艦隊第七一戦隊へと配備された。
1941年、第二次世界大戦開戦直後に米海軍による真珠湾攻撃に遭遇。
来襲した後期≪サウスダコタ≫級戦艦10隻のうち、航空阻止攻撃を突破した7隻の迎撃に出撃。
≪長門≫や≪土佐≫と共に奮戦するも海戦の中盤、≪土佐≫の撃沈後に次なる標的となり、
集中砲火を浴びて艦前部に被害が生じ、さらに艦首破壊、後に切断という大損害を被った。
海戦が終了した段階では辛うじて後進による航行可能であり、
必死の後進航行で真珠湾の手前まで辿り着くも、転覆の危機が迫っていたことからやむを得ず座礁。
あまりの被害から修復は不可能と判断され、擱座状態のまま除籍措置が取られた。
これは≪土佐≫に次いで二番目となる喪失戦艦であり、大日本帝国海軍は緒戦で2隻の戦艦を失うこととなる。
しかし一方の米海軍は、撃沈と鹵獲によって9隻もの戦艦を失っていることから損害差は歴然であった。
なお除籍された≪陸奥≫より損害軽微であった第三砲塔が≪長門≫に移設されており、
この砲塔は≪長門≫と共に太平洋戦争を戦い抜いている。
59 :名無しさん:2015/10/09(金) 21:04:39
大日本帝国海軍の戦艦の艦級の一つ。
八八艦隊計画に基づいて建造された二つ目の艦級であり、同型艦は2隻。
41cm連装主砲5基10門を搭載し、≪長門≫型同様に27ノットの速力を誇った。
第二次世界大戦開戦当時、両艦共に第七艦隊に配備されている。
≪土佐≫は第一次ハワイ沖海戦中に戦没しており、第二次世界大戦における日本初の喪失戦艦となった。
また≪加賀≫は後述する事情から第一次ハワイ沖海戦には参加できなかったものの、
後に≪長門≫と共に第二次世界大戦を戦い抜き、ネメシス=フローティアの片割れとして畏怖されることになる。
・ 加賀
≪加賀≫型戦艦一番艦。
1917年に就役し、間もなく反共義勇軍の一員として、第一次シベリア戦争へ参加。オホーツク海の海上警備を行った。
その後、宿毛泊地に新編された第九艦隊第九一戦隊に配備。
数度の近代化改修を受けた後、1937年に≪土佐≫と共に布哇鎮守府の第七艦隊第七二戦隊へと転属した。
1941年に第二次世界大戦が開戦した直後、米海軍による行われた真珠湾攻撃に遭遇。
≪長門≫や≪陸奥≫、そして姉妹艦である≪土佐≫と共に
航空機による阻止攻撃を突破した米海軍戦艦7隻の迎撃のために出撃を試みるも、
大量に押し寄せた米海軍航空隊のうち、防空網を突破した一隊が
湾口から外海へと向かいつつあった当艦に雷撃を敢行。
先導していた駆逐艦≪曙≫がこれを庇い、艦尾破壊と引き換えに雷撃を阻止したものの、
航行不能となって擱座した≪曙≫の船体が湾口を狭め、巨艦である≪加賀≫の湾外への出撃が不可能となった。
結果、第七艦隊に配備されていた戦艦4隻のうち、≪加賀≫のみ第一次ハワイ沖海戦へ参加が叶わなかった。
第一次ハワイ沖海戦によって姉妹艦の≪土佐≫が戦没していたため、
海戦後は同様に姉妹艦を失った≪長門≫と共に新編第七一戦隊を構成。
以降、まるで無念を晴らすかのように鬼気迫る戦果を上げており、
大戦を通して≪長門≫との共同で7隻、加えてバンクーバー島沖海戦にて
加海軍所属の戦艦≪アルバータ≫(旧≪ニューメキシコ≫級戦艦)を。
そして、カリブ海海戦では米海軍所属の前期≪サウスダコタ≫級の≪ノースカロライナ≫を独力で撃沈。
同盟軍において、ネメシス=フローティアの片割れとして畏怖され、
さらに史上最も多くの戦艦を撃破した戦艦、として名を残した。
戦後、予備役に編入され、七尾海軍艦艇保管所にモスボール保存。1970年代、正式に除籍。
現在は艦艇保管所の一部を流用した帝国海軍艦艇博物館にて、≪長門≫と共に記念艦として繋留されている。
なお余談であるが、≪曙≫は後に修理、復帰。
同型艦数隻と共に≪加賀≫や≪長門≫らの直衛艦として各地を転戦している。
・ 土佐
≪加賀≫型戦艦二番艦。
1917年に就役して以降、≪加賀≫とほぼ同じ経歴を歩み、
1937年には布哇鎮守府の第七艦隊第七二戦隊へと配備された。
しかし1941年、真珠湾攻撃に襲来した米海軍の戦艦7隻の迎撃を試みた際、
≪土佐≫は湾外へと出撃できたものの、後続の≪加賀≫は先述の事故によって湾外へと出られなかったため、
初めて両艦は離れ離れで行動することになった。そして、それが今生の別れとなる。
米戦艦群に迎撃に当たった戦艦のうち、最も有力な戦艦であった≪土佐≫は米戦艦群から滅多打ちにされ、
応射で1隻を撃沈、1隻を大破に追い込むも、やがて四番砲塔基部を≪コネチカット≫が放った一弾が貫通。
貫通弾は弾薬庫へと達し、誘爆。轟沈。
≪土佐≫は第二次世界大戦において、大日本帝国海軍が喪失した一番初めの戦艦となった。
しかし、≪土佐≫らが稼ぎ出した時間は無駄ではなく、
間もなく来援した第一艦隊の≪大和≫型戦艦4隻などによる迎撃戦、その後の追撃戦によって、
真珠湾攻撃を敢行した米太平洋艦隊の戦艦10隻のうち、8隻が撃破され、1隻が降伏の後、鹵獲されている。
なお≪土佐≫を撃沈した≪コネチカット≫は直後に≪陸奥≫の一撃で中破し、戦場を離脱。
最短距離ではなく大回りに迂回する試みが功を奏し、
奇跡的に大日本帝国海軍の追撃の振り切って、西海岸への帰還を果たした。
ただし幸運はそこまでであり、後に発生したサンフランシスコ沖海戦の最中、
姉妹の復讐に燃える≪加賀≫の一弾で≪コネチカット≫は撃沈されている。
60 :名無しさん:2015/10/09(金) 21:07:34
とりあえずは以上になります。
他の艦については、出来上がり次第随時投下していきます。
ちなみに作中で真珠湾攻撃に参加した米戦艦を10隻としていますが
これは速力の差と装甲面の不安から後方で米空母群の護衛を行っていたレキシントン級6隻を除いた数となっています。
最終更新:2016年02月29日 19:49