81 :ナイ神父mk-2:2015/10/10(土) 00:07:22
日蘭世界 第二次世界大戦

開戦まで

第一次世界大戦の後、英仏を始めとする欧州の戦勝国はアメリカの資金提供を受けながら、徐々に戦力と
国力を回復させていた、そんな中で日蘭同盟とその親交国は大戦中も国力を順調に強大化させ、さらにはロシア革命に介入して、
レナ川以東に残ったロシア帝国とそれが有するバルチック艦隊を初めとしたロシア帝国軍を自らの同盟に取り込むことに成功していた。

ロシアでの政変に隠れてはいたが、このときヒトラー率いる国家社会主義労働者党が反共産※1と国家再生を掲げて活動しており、
ヒトラーの手腕も相成って支持が集まり始めていた。政権獲得後は同じく強い反共産主義である日蘭同盟に接近し、
更なる援助を引き出して宣言どおり国家を再生させたことでその政治基盤を磐石なものにした。

太平洋では日蘭同盟とアメリカが次々に新型戦艦を就役させ保有限界まで戦力を整えながら、お互いに対立を深めていたが、
一国での艦隊整備の数で不安を覚えたアメリカは同じく日蘭同盟を敵視するイギリスとフランスに共同での艦隊整備計画を持ちかけ、
両国ともに計画を承認して次の戦争の為に着々と戦力を増強していく。

一方中国ではソ連に影響を受けた、中国共産党が拡大していき遂には中国中央部を奪還して祝杯を挙げていた、しかし、此処から中国軍はソ連の思惑を超えて暴走を始め、
各植民地に対する略奪や白人に対する迫害が激化していき、戦後の報復や孤立を恐れた中国共産党指導部※2はこれを止めようとしたが、逆に列強に対して強い不満を持っていた民衆や
軍からの反発を受け中立国であった朝鮮王国へ亡命する結末と成った。そうした中国での混乱から逃げ出してきた人間や持ち出された資産などは朝鮮王国へと集まり、同時に
中国のこれ以上の暴走を恐れた朝鮮王国は、中国と同じ同じ共産党国家であるソ連に仲介を頼みながら交渉を行ったが成果は芳しくなく、日蘭から戦車や固定砲台を初めとした
兵器を購入し始め、中国侵攻に目を向けた国境警備隊の戦力増強を進めていく。

開戦

開戦はハワイ沖で輸送船が沈没した事故※3を、日本海軍の潜水艦による魚雷攻撃だと米国が発表し、それに便乗して英仏が日本の非難を始める。
此処に来て日米両国の関係は急速に悪化し、更に日本へ対してアメリカが布哇を初めとした東南アジア地域を賠償として求め、これを日本が拒否したことから
アメリカ艦体整備計画時連合を作り、協力関係にあるイギリスとフランスが宣戦布告を行った。
対して同盟側オランダ、ドイツ、イタリアを初めとした後のOCU連合となる各国が参戦し、此処に第二次世界大戦の幕は切って落とされた。

開戦後アメリカは即座に予め話を通していたカナダを通りアラスカへ侵攻、それと同時にオランダ領スリナムへと航空部隊を派遣した。
英仏はアフリカ植民地軍から陸軍を抽出して、オランダ領ケープへと派遣する。そんな中、ソ連のみは先にドイツと期限付きの不可侵条約を締結してロシア帝国へと戦力を集中させようとしていた。ドイツは欧州へと集中できることからこれを承諾してフランス側へと戦力を集結させていた。

82 :ナイ神父mk-2:2015/10/10(土) 00:07:54
第一次ハワイ沖海戦

戦力的に不利であったアメリカ海軍が、日本に対して行った作戦は皮肉にも史実の大日本帝国がアメリカに行ったものと同じ
ハワイ諸島に対する奇襲作戦であった。宣戦布告前に訓練と称して、外洋へと出向させていた米太平洋艦隊を日本の監視を掻い潜る
用に大きく迂回させながら布哇に向けて北上し、情勢悪化にて布哇に向けて出向していた大和型を主力とする第一艦隊到着前に
奇襲を行うことに成功する。

突然の敵艦隊接近に慌てて、迎撃用の航空部隊を展開した布哇航空隊であったが、展開の遅れが命取りになり一部米海軍航空部隊の
進入を許し、その部隊から放たれた雷撃によって駆逐艦曙が座礁し、後続に居た戦艦加賀が港湾に閉じ込められると言うアクシデントに
見舞われる。そんな中でも航空隊と残りの第7艦隊の奮闘により、遅れていた第一艦隊が海域に到着したことにより、戦況は一変する。

中破して先に離脱した1隻を除いたサウスダコタ級は直に応戦を開始するがこの時既に、艦隊の護衛を行っていた艦載機部隊は
予備も含めてほぼ壊滅し、大和及び武蔵から放たれる51cm砲よるアウトレンジ攻撃と布哇航空部隊と第7艦隊所属の水雷戦隊による
袋叩きにあうこととなる。

この海戦によりアメリカは、サウスダコタ、アラバハマ、インディアナを初めとする9隻の戦艦を喪失し、さらには奇襲に参加した
艦載機の約6割が未帰還、残り2割が着陸後、再使用不可能と言う多大なダメージを受け、それと引き換えに日本の布哇海軍基地の
機能低下と戦艦陸奥、土佐に修理不可能な損害を与えることと成る。

アラスカ防衛戦とスリナム防衛戦

戦争初期のアメリカ陸軍のプランは始めに、南北両大陸に常駐する日蘭の部隊を排除し、国内を攻撃されるリスクを減らすことから始まった。
しかし、アラスカの地を越えてアメリカ軍が見たものは想定を遥かに越える性能と錬度を誇る、重戦車部隊であり、これに加えて
始まった航空支援による爆撃でアメリカ側の侵攻は難航し、カナダの国境地帯で膠着する状態となった。

一方、南米オランダ領を狙った空爆は数にものを言わせて強引に対空防網を突破して攻撃に成功し、オランダの軍事拠点に対して
ダメージを与えた、しかし、この空戦とその前に起こった第一次布哇沖海戦にて失われたベテラン航空隊の穴は大きく、後々の
戦況に大きな影響を及ぼしていく。

83 :ナイ神父mk-2:2015/10/10(土) 00:08:26
火力の壁とパリ陥落

各地で大きな戦乱が起きている頃、戦争初期にも関わらず早くも脱落しそうな国が出ていた、フランス本国である。フランスは
ビンソン計画による、海軍の負担が飛躍的に増大し、史実におけるマジノ線は構築できず、予め駐留していたアメリカの欧州派遣部隊と
各国植民地から強制徴用した植民地部隊を主力にして、オランダへと侵攻※4したが、急増の旧式兵器で武装した士気最低の植民地軍と
史実より性能の低下した兵器しか持たないアメリカ陸軍で、火力と言う言葉を鋳造して作ったようなオランダ陸軍を突破できるわけは無く
土と共に耕されることと成った。

当初より緒戦はフランスに集中する積もりで居たドイツはこれ幸いとばかりにフランスへ侵攻、これになけなしの資産で作ったマジノ線
予定の簡易要塞と主力を失ったフランス軍が対抗する術は無く、開戦後僅か半年でフランスは同盟の手に落ちることと成った。
しかし、軍の抵抗以上に市民の抵抗は激しく、各国共に手を焼いていくそんな中ドイツからラインハルト中将が率いる武装SSがパリへと投入され、そ
の苛烈とも言える取締りと卓越した手腕によってこれを鎮圧し※5、フランスの安定化へ大きく貢献していく。

イギリスの賭けとセイロン沖海戦

イギリスでは一刻も早く心臓であるインドを守る為、セイロンへ向けてライオン級(後期サウスダコタ級)を加えて増強したインド洋艦隊を
派遣していた、当然オランダもイギリスの心臓部であるインドを見逃すはずも無くセイロン艦隊を派遣し、こりに対抗した。
セイロン島沖で激突した、両艦隊は終始オランダ有利で進むことと成る。艦載機能力、砲撃能力に劣るイギリス海軍は、船へのダメージも気にせず
攻撃を続け、中には航行不能になったても攻撃を続ける船※6も出たという。

しかし、性能の差は覆すことは出来ず、この戦いでイギリス海軍は多数のベテラン兵と3隻のライオン級を失う羽目と成る。


※1:同盟国である日蘭に配慮し、反ユダヤやアーリア人人至上主義などの差別的目標は表に出さずに、後年ヒトラーの
書いた日記からそれを示唆する文章が見つかっている。

※2:亡命した中には本来共産党の重鎮であるはずの周恩来や毛沢東の名前も見られ、当時の中国の暴走振りが見て取れる。

※3:当時の布哇周辺では悪天候は見られず、輸送船の内部が殻であり、更に引き上げられた船体に雷撃の後が見られることから
一説には旧式輸送船の処分も含めた自作自演ではないかと言う説もある。

※4当時のフランスではオランダに対する不満と脅威論が蔓延しており、開戦を機にそれが爆発し、本来はドイツに備えるはずだった
戦力がオランダ戦線に回された。

※5:この取締りは、フランス国民だけでなく、脱走したと思われる中国植民地兵も対象に成っており、本来出るはずだった被害から
フランス人を守ったとする声もある。

※6:一部ライオン級が船体の半分を喪失しても砲撃を続けるという史実神通張りに奮戦している。

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最終更新:2016年04月10日 14:57