242 :ナイ神父mk-2:2015/10/12(月) 22:02:12
日蘭世界 第二次世界大戦2

中華植民地の選択と朝鮮王国

アジア艦隊及び陸軍は選択を迫られていた、本国からの支援は望めず迫り来る中央共産党※1は先に攻撃したフランスに提供していた軍備を奪い更に、
勢いを増していた。今はフランスが標的にされている為、此方への攻撃は微々たる物だが、連中がそれで納得するとは思えず
かといって補給が満足に出来ない今、無闇な援軍は己の首を絞める事となる。そんな中で駐中米軍が選んだ選択は、租界に住む国民を出来る限り迅速に
朝鮮王国へと運び保護※2を得ることであった。

同時期に同じ選択をした英国軍も賛同しての租界住民移送作戦は開始された、相手が逃げ出そうとしていることを感じた中央共産党は仏植民地への攻撃を一時中断し、
英植民地解放作戦を開始する。これに英国軍も遅滞戦闘を行いながら徐々に後退し、殿として残った英国軍は最後まで抵抗しなら国民と協力する中国人が完全に
避難するまでの時間を稼ぎ玉砕する。本来は、避難が終了した時点で降伏してもかまわないはずの部隊が全滅するまで戦闘を行ったわけは、中央共産党の捕虜に対する
仕打ちが余りにも残虐だったせいではないかと言われている。

実際に先に攻撃を受けたフランス植民地は酷いもので、占領された町では白人系の男性は虐殺され、女性は
語るまでも無いいう有様であった、さらには余りに酷い光景に避難した住民を匿った現地の人間まで犠牲になり、
攻撃の手が休まり逃げ延びた植民地在住の人間たちは人種関係なく皆ぼろぼろの状態で避難してくるという有様であった。※3

中央共産党の蛮行を見て朝鮮王国は、更に中央共産党を危険視して軍備を整え、避難してきた植民地軍や
元共産党指導部側近の部隊※4を指揮下に置き中央共産党に備えていく。

占領下のフランスと中華植民地兵

ドイツ軍占領下のフランスで問題となっていたのも、やはり中国から強制徴用されて脱走した中国人部隊であった。
たちの悪いことに多数の部隊が武器や兵器を持って逃走して盗賊化して、周辺の小さな村や町を襲撃してその度に
SSが借り出され、ついには対盗賊専用の部隊※5が用意されるほどであった。しかし、悪影響ばかりではなく盗賊殲滅と復興支援を行っているうちに、
地方の住民の態度は徐々に友好化していく。この影響は首都パリにも効果を表し始め、パリ住民も徐々に抵抗が薄くなり
レジスタンスたちも、少しずつその勢力を減らしていくことと成った。

そうなると面白くないのは本土を脱出した亡命フランス政府であり、イギリスを通じて本土の反ドイツ感情を煽る様に工作を行ったが、
逆に中国兵を連れてきた上、亡命した政府に対して不満が募るようになり戦後の領地返還後は本土を統治することに最も苦労する嵌めに
成ったという。

243 :ナイ神父mk-2:2015/10/12(月) 22:02:43
イギリス海軍の幸運

イギリスでは先のセイロン島沖海戦での損害を未だに引きずっていた、何せ切り札の一つと言えるライオン級を3隻失いこれ以上
インド洋防衛に戦力を回せば薄くなった防衛網を敵艦隊に破られる可能性もある。そんな中でイギリスにある朗報が入った、それは
陥落したさい脱出したフランス本国艦隊が保護を求めてイギリスまで到達したという話しであった。これをイギリスは艦隊の指揮権
譲渡を条件に承諾し、補填としてアルザス級2隻※6を除くフランス本国艦隊を丸々戦力として手に入れることになる。

思わぬ幸運ではあったが、戦力増強に成功したイギリス海軍は新たにセイロンへ向けて残りのライオン級とヨークタウン級を含む
増援艦隊を派遣し、これを察知したオランダ海軍はイギリスに対する再攻撃を一時中断※7して、ペルシャ及びトルコに艦隊派遣の
交渉を行いながらもう一度起こるであろう、艦隊決戦へ向けて準備を進めた。

ロシア帝国の奮闘とスターリンの遺産

ロシアとソ連の戦闘は陸戦に終始し、お互いに水を注す国も居ない為一騎打ちの様相を呈していた、始めこそ先制攻撃を加えたソ連が
優勢であったが、日蘭の支援を受けて陸軍を再編したロシア帝国陸軍は強敵であり、戦況は日に日にロシアへと傾いていった。
勿論それで止まる様なソ連ではなくお得意の物量戦や焦土戦術で対抗し、ロシアの戦力を削っていた。そんな中でも特に活躍したのが第98親衛空挺部隊であった。
スターリンの遺産とも称された彼らは、スターリンが書記長だった時からのベテラン部隊であり、装備と錬度も共に高い水準を保っており正にソ連の切り札とも言える存在であった、
しかしそんな部隊の奮戦もむなしく戦況の打開には至らなかった。

そんな中フルシチョフが書記長に就任してからは自体が一変する、まずフルシチョフが最初に実行したことが、15歳以上は男女国籍の
有無を問わず兵力として強制的に徴兵することであった。これは、スターリンやその遺志を継いだマレンコフが絶対に避けるべき愚行
として、度々議題に出ても退けてきたことであり、ソ連の未来を閉ざすことに成ると否定してきた策であった。スターリンを信奉する
親衛隊はこれに対して撤回する様フルシチョフに抗議を行う積もりで居たが、それを止めたのは元スターリン派の人間であった。
もし、此処で親衛隊が粛清されるようなことがあれば、更に犠牲者が出るとして親衛隊を説得する。そして、それに応じた親衛隊は少しでも
犠牲を減らすべく、更なる奮闘を見せていくことになる。※7

244 :ナイ神父mk-2:2015/10/12(月) 22:03:14
ケープ陥落とアメリカの初勝利

南アフリカ戦線ではズールー=ネーデルラント親衛連隊を中心とした、植民地部隊が英仏植民地軍と奮戦していた、オランダ人では無くなる
事を極端に恐れる彼らは、相打ち覚悟※8で奮戦し総力に勝る英仏連合軍に対抗していた。しかし、多数の方向から侵攻してくる敵に対する防衛は
楽ではなく彼らも徐々に疲弊していた、それでも時折来る味方の援軍や補給を受けながら、士気を保ち戦闘を続けた。そんな彼らを見て
英国兵は死を恐れない狂気の部隊として恐れ、フランス陸軍は島津の再来として恐怖していた。それほどまでに彼らの戦い方は苛烈を極め
後一歩という所で、アメリカからの支援部隊に敗れオランダ領ケープは一時的に4国同盟の占領下に置かれることとなる。

一旦占領が終わると打って変わって静かになった、ケープ防衛部隊を不思議に思いながらも、アメリカ陸軍はこの戦争始まって以来の初の
大勝利を喜び勇んで本国へと報告、苦戦の連続で不安になっていた、アメリカ市民は一気に熱狂することとなる。しかし、彼らは知らない
この後、イギリス艦隊を磨り潰しながら、士気が天井知らずとなったオランダ軍と日本軍からの猛攻撃があるということを。

※1:中国共産党が指導部と子飼の部隊を引き連れて朝鮮王国に亡命したことから、便宜上現在暴走している共産党部隊に
つけられる名称と成った。

※2:比較的近場であり、中立国であることから国民も納得し易いだろうと言う事で朝鮮王国に話しが行った。

※3:串刺しや磔なら優しい方で、一時捕らえられて脱走した捕虜たちからは、大凡人が考えて行える殺害方法は
全て行われていた、出来ないのは精々空爆や砲撃など金の掛かることだろう、と言う話しが飛び出し潜伏していた
工作員からの情報を得た、ソ連上層部も奴らに共産主義を名乗らせれば我々の沽券に関わるとして、朝鮮に支援を
約束するほどの惨状であったという。

※4:亡命してきた中国共産党の部隊は、あれと一緒にされることは我慢できないとして、戦闘に積極的に協力し、
共産党が共産党に攻撃を仕掛けると言う珍しい光景が見られた。また、その奮闘が戦後評価され、朝鮮王国で
彼らは一定の市民権を得ていく。

※5:史実に於けるアインザッツグルッペンであるが、史実とは違い主に夜盗と化した脱走兵部隊を取り締まり
被害者を救出する即時対応部隊として設立された。その為、史実にとは大きく異なる部隊構成となっている。
また、一部は退役後救助隊の教官として救助関係の役職へつく人間も多く見られている。

※6:フランスのサウスダコタ級はアルザス級と命名され、本国艦隊へと配属されたが本土占領に伴い
イギリスへ脱出する。しかし、追ってきたドイツ艦隊の攻撃を受け、アルザス級1番艦アルザスと
2番艦ロレーヌが投降後鹵獲されドイツで運用されている。

※7:戦後は命令を撤回するように求めると約束していた、旧スターリン派の人物が、終戦後
スパイ容疑で粛清され、それが親衛隊がクーデターを起こす一因に成ったといわれる。

※8:実際オランダ陸軍では度々日本と訓練を実施しており、その際に聞いた島津の戦い方に感銘を受ける
親衛隊が多数いたという。

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最終更新:2016年02月29日 21:02