429 :ナイ神父mk-2:2015/10/16(金) 00:01:38
日蘭世界 第二次世界大戦4
ケープ奪還と日蘭の反撃
第二次セイロン沖海戦及び第二次ハワイ沖海戦を凌いだ日蘭は、兵器の修復と補給が終わり次第すぐさま
反撃を開始し、その最初の目標となったのが占領されたケープであった。有力な戦力の殆どを失った
4国同盟に有効な手立ては無く、駐留してた海軍は戦力温存の為に早々に撤退して、制海権と制空権を渡すこととなる。
そうなると後は陸軍の役目になるが、此処で潜伏していた親衛連隊が蜂起して、各地の同盟軍を混乱させ
上陸した日蘭の陸軍が浮き足立った陸軍を各個撃破で確実に仕留めていき、数ヶ月後にはケープから完全に追い出し、奪還を完了するという
運びとなった。アフリカに日蘭の有力な艦隊と陸軍が戻ると今度は日蘭の陸軍が多方面へむけて侵攻を始め
クリスマスを迎える頃には既に同盟に対する掃討戦※1の様相を呈することと成っていた。
中国制圧開始と殲滅作戦
日本支援の下臨時で作られた朝鮮連合軍は、中央共産党が進行を停止したことにより旧植民地の奪還を主張する人間も現れたが
中華を良く知る朝鮮王国が出した方策はロシア帝国を巻き込んでの徹底的な掃討戦と大多数の兵力による地道な殲滅戦※2であり、
これは亡命したきた中国共産党の軍も同意してのことであった。
こうして北から地道に始まった殲滅戦と掃討戦の繰り返しは、各地で兵士の疲弊を招き反発の声も生んだが、その後に殲滅が
甘い事で発生した南京での住民を巻き込んでの壮絶な市街戦※3を経験した後は、そうした不満も無くなり黙々と敵戦力を削って
行くことと成る。
イギリスの脱落とゼーレヴェー
フランス制圧後のドイツはSSでレジスタンス達に対応しながら、イギリス本土上陸作戦「ゼーレヴェー」へ向けての準備を進めていた。作戦の一つと
して行われたのがイギリス本国艦隊の壊滅である。この作戦にはドイツだけではなくオランダ本国艦隊、イタリア艦隊、
オスマン帝国海軍が参戦しての大西洋に於ける総力戦と成っていた。
この動きを察知したイギリスも喜望峰経由の海路※4以外をすべて失う覚悟で散らばっていた残りの小艦隊を集結させ、更に
今まで本土亡命していたフランス海軍も使用してこれに対抗した。イギリスの帝国としてのプライドを賭けた決戦はこうして
スタートする。
戦闘はやはり連合艦隊優勢で進むものの、砲撃戦では連合の艦隊連携の拙さを狙い連合艦隊にダメージを与えているが、
それでも地力の差を覆すことは難しく、イギリス海軍は連合に破れついに栄光あるロイヤルネイビーはこの戦いで
一時姿を消すこととなる。更にこの後に行われた航空決戦において防空の傘と港湾を失ったイギリスは抵抗手段を
失い連合側へ降伏、ロンドンには連合国の国旗が掲げられる事となりイギリスは同盟から脱落する。
430 :ナイ神父mk-2:2015/10/16(金) 00:02:08
本土空爆と独立の気配
アメリカでは現在降伏派と抗戦派で大きく分かれていた、東西海岸側は降伏を求めるが、やられっ放しで降伏することは
納得できないとして中央や南部は徹底抗戦を求めて主張し、此処に来て合衆国は徐々に連帯感を失っていく。
議論が長引く中、制海権を完全に喪失した西海岸では遂に日本艦隊による砲撃と空爆がスタートし次々に
港湾や軍港を使用不能な状態へと変えていった。
既に海軍の航空隊の殆どを失っていたアメリカは爆撃だけでも防ぐ為に、陸軍航空隊を出撃させるが、成果は芳しくなく
被害は増える一方だ有った、更に此処にきて備蓄していた天然ゴムの殆どを失い、急いでゴム回収命令を出すこととなる。
そんな中でイギリス降伏の知らせがアメリカへ入り、続いてカナダが中立の姿勢をとったことが明らかと成った、之により
アラスカ戦線は補給が不可能となり撤退を余儀なくされアメリカは更なる苦境へと追い込まれていく。
そんな中米財界では徐々に独自のルートを使い日本へ、コンタクトを求める人物※5が増え、先見性のある物は徐々に敗戦後の
復興プランを練る者達が現れていくことと成る。
ソ連の物量と畑の枯渇
ソ連では大規模な徴兵作戦によって形勢を建て直し、戦力を盛り返していたしかし、そんな中イギリスを陥落させたドイツ
とオスマン帝国、更にペルシャがソ連へと侵攻を開始する。これから反撃という好機を逃したソ連は慌てて、戦力を各戦線
に振り分け之に対抗する。
ソ連の逸脱した人海戦術は、各国を苦戦させ更に冬が迫ってきた事によってソ連は天候に助けられ、各国の軍を退けることに成功する
そんな中でソ連は高齢者や幼い子供も作業できるものは全て兵器生産と食料生産に宛てることによって、兵器や物資の調達を行っていく
事となる。しかし、本来の生産者が消えた影響は大きく、それを憂慮した政府は捕虜に対しても強制労働を課して補給に勤めていくが
確実にソ連の畑は枯れ始めていた。
※1:一部ジャングルに逃げ込んだ兵が終戦を知らずに潜伏し続けた。都市伝説の中にはサバンナで行進している陸軍を見たや
ジャングルを写した写真に銃を向けたイギリス兵の姿が写ったという話しが現代まで続いている。
※2:脱走されて便衣兵や夜盗に成る事を恐れた。
※3:南京市に逃れた中央共産党の軍が集まり住民を盾にしての市街戦が勃発部隊の安全を確保する為、市街全体を巻き込んだ
爆撃が敢行される一幕もあった。
※4:中立国であるアルゼンチンが連合寄りで有る為、他よりも安全に航路が使用できた。
※5:接触してきた中には、ハーストなどカリフォルニア独立の中心となった人物も見られた。
最終更新:2016年02月29日 21:07