517 :ナイ神父mk-2:2015/10/18(日) 00:15:53
日蘭世界 第二次世界大戦5
話しにもならない国
第二次世界大戦に於ける各戦闘が各地で行われていても南米を初めとした一部地域は平和※1であった、
その原因は大戦国内の最大戦力である米英と日蘭が海軍国家であり、陸上での戦争も最大戦力である
ソ連がロシアと一対一で殴り合い、フランスは弱体化して賭けにもならないほどアッサリ陥落したためであった。
しかし、数少ない敵対国同士で挟まれている国は毎日が戦々恐々の日々をすごしていた。
ルクセンブルグは第一次世界大戦同様に道路扱いされるのではないかと国民が混乱し、各地でオランダに
再併合を求めるデモが起こったが、オランダの反応は冷たいものであった。それも当然でオランダからしてみれば
勝手に自国の方針に反対して、独立したのに再併合を求めるなど自分勝手の極みであり当然拒否されてしかる
べきであった。また、ドイツも態々面倒な小国一つ構わずとも正攻法でフランスに勝てると考え特に行動は起こらなかった
。こうしてルクセンブルクは一人で踊り続け戦後の国内の社会不安に繋がっていく。
一方ポーランドは最初こそフランスを援護する形でのドイツへの攻撃を予定していたが、大した障害にも
ならずにフランスが踏み潰される様を見て思いとどまり、方針を変更してソ連戦がドイツと戦うまで一時
様子を見ることと成った。そうしてドイツがソ連戦線へ参戦する際に、宣戦布告してドイツに殴りかかったが、
此処でポーランドはある誤算をしていた。当初、ポーランドはドイツがフランスレジスタンス達や
イギリス軍と戦い疲弊していると考えていた。しかし、現実はその逆でありフランス戦以降ずっと温存
され続けていた精鋭のドイツ陸空軍※2が大挙してポーランドに攻め込み、ソ連前の前菜兼体の良い補給路
として扱われていくこととなる。
OCUは西海岸への攻撃後降伏勧告をアメリカへと送るが、未だ多くが徹底抗戦を唱える中で、民意を無視して
降伏することは不可能として之を拒否し、戦争継続を宣言する。西海岸への攻撃だけではアメリカ降伏には
不十分と認識した日蘭は更に東海岸側へインド洋側の連合艦隊に本土艦隊を合流させて派遣し、大西洋艦隊
撃滅を目論む、当然この動きに対応してアメリカは西海岸の残存戦力と小艦隊の合流を行い最後の総力戦に
望んだ。海戦の結果は勿論敗北であり、之によりアメリカは太平洋に続いて大西洋の艦隊※3も失うこととなる。
制海権を完全に喪失したアメリカを守るものは、遂に陸軍だけ成るが、中央部の国民たちの士気は下がることなく
敵を内陸に誘い込んで叩くと息巻いていた、しかしそんな彼らの思惑とは裏腹に、日蘭の選んだ手は徹底的な
爆撃であった。軍事施設は勿論、工場農場鉱山を始めとした、資源地帯や生産地帯※4も執拗に狙われ、更に
国内油田も狙われた。その後アメリカは連日連夜爆撃をされることなり、空襲警報のならない日はないとされ程の爆撃に
さらされることと成る。
勿論アメリカもただで爆撃されるわけも無く、陸軍航空隊によって爆撃機撃墜を試みるが、基礎性能の高さから苦戦し
更に護衛ついている戦闘機から一方的に落とされる事態が続いていた。この急速な航空機の消費と爆撃による各地の
攻撃によってアメリカは物資不足に陥っていく。
最初に不足したのはアルミの材料であるボーキサイトと燃料、そしてゴムであった。この三種に内二つは生産国が
日蘭周辺に集中している事から早々に規制され、備蓄を食い潰しながら行ってきたが、それも限界になり石油は爆撃によって
油田が火災を起こし、採取不能で更に備蓄している施設が攻撃を受けて官民問わずに不足し始めていた。材料が足りず
製造物の粗悪化が進むという悪循環と連日の爆撃により、軍民両方での士気が急激に低下していった。
518 :ナイ神父mk-2:2015/10/18(日) 00:16:23
アメリカ降伏と核の投下
アメリカのに止めを刺すべく日蘭は、爆撃機富嶽に核兵器を搭載して使用した、対空防衛網の殆どを失ったアメリカに之を
止める術は無く、核はとある軍事施設※5に投下された。核の齎したアメリカへの衝撃は凄まじく、世論は一気に降伏へと傾いていく。
そんな混乱の中で、両海岸は突如として独立を宣言し混乱を加速させながらも、既にアメリカと言う国家そのもの力が失われている
以上止める術は無く、アメリカ首脳部はまず目の前にある敗北から片付けていく事となる。
そして、1943年末遂にアメリカは降伏勧告を受諾し、降伏することと成る。
ソ連講和と大戦終結
1944年OCU各国内でもアメリカ陥落を機に嫌戦感情が広まり始めていた。また、ソ連戦線各地でも兵力の消耗や疲労が目立ち始め
特に問題となったのが、ロシア帝国の消耗である。これ以上の消耗は後々に負の遺産と成ると考えたロシア帝国※6の主導で講和が
成立し、ロシア支援の名目で参戦していた各国も順次撤退して行った。しかし、根競べに勝ったソ連も国内は戦争と根こそぎ
動員のせいで荒廃し、各地に不和の種を残しながらの講和であった為、ソ連では今後暫く混乱が続き、1966年までの様々な混乱の
原因となっていく。
ソ連との停戦を最後に事実上の第二次世界大戦は幕を閉じ、各国は今後戦後と言う舞台の幕開へと向けて行動を開始していた。
※1:欧州でも戦火の及ばないスペインや南米は安定しており中立による物資の販売などによって設けていた。
※2:史実ではアフリカ戦線にいたロンメルやイギリス敗戦後である為、フランス側に居たルーデルを初めとする史実のエース達
も順次ソ連方面へ回されていた。
※3:モンタナ級はこの1ヵ月後に完成したが、既に戦艦4隻だけでどうにかなる状況ではなく、更に爆撃により優先的に燃料を初めとした物資
が陸軍航空隊に集中して供給されていた為、モンタナは意地の出撃も不可能であった。
※4:爆撃には狙う施設ごとに焼夷弾や貫通能力を強化したものが容易され、確実に目標にダメージが入るように用意されていた。
※5:憂鬱本編においてアメリカ風邪の原因となったと考えられる、研究所を擁する軍事施設が選ばれた。
※6:海戦当初からの殴り合いで物資はともかく人的被害の増加が深刻だった。
最終更新:2016年02月29日 21:11