575 :ナイ神父mk-2:2015/10/18(日) 23:35:04
日蘭世界 第二次世界大戦
アメリカは戦中に独立した2カ国が正式に国として認められて分割されることとなる。その後暫くは国内の復興に人手を取られることと成るが、
事態が動くのは1970年代に入ってからであった。ソ連崩壊後にアメリカの共産党が選挙に勝利して与党となったことにより、アメリカ南部が
反発して周囲の州を取り込み独立運動を起こしたのであった。之に対してアメリカも軍を送り込み鎮圧しようとするがフランスの横槍が在り
失敗こうしてアメリカ南部を拠点とする、テキサス共和国が誕生しフランス同様に人種差別の強い国を形成していき差別されている黒人などの
有色人種がアメリカへ流れ難民化すると言う様子が見られている。
一方のアメリカ合衆国はソ連から脱出してきた共産主義者やテキサス共和国からの難民を順次国民化してその国力を徐々にテキサス分離前にまで
回復させていたが、最大の強みは他の共産主義国家との連携であった。嘗ての列強の中で唯一共産主義勢力に強い影響を持つアメリカは他の共産主義
国家を支援※1しながら影響下に置き間接的に支配する。そうして戦力を拡大させていき遂には共産主義勢力の盟主たる資本主義国家として矛盾を孕み
ながらも一角の勢力として存在していく。
イギリスの戦後
本土の被害が港湾を除けば軍事施設に集中していたイギリスは経済面では即座に回復し、之までの搾取方の植民地運営から、オランダ式に近い制度へと
変えようとしていた。戦争と言う大規模な散財の中でオランダの強大さを改めて認識した為、反対するものも少なく改革は進み、植民地でも文化の
復興や宗教を考慮した上での法整備などを行い国家としての下地が完成すると順次独立させて連合へと取り込み、巨大な国家連合へと変化させていった。
そうして嘗ての植民地の他に友好国にしたアルゼンチンやサウジアラビアも取り込みながら嘗ての大英帝国以上の巨大な経済圏を手に入れていくこととなる。
中でも別格がインドと石油産出国であるサウジアラビアで二つの国が連合内のイギリスに次ぐ発言権を得て連合全体の経済を支える新たな形での心臓の役割を
こなしていく。
フランスの戦後
フランスは戦後人種差別の薄まった2カ国とは反対に、中国から散々な被害を受けた為、逆に差別が強くなっていた。アフリカでは植民地を本国かさせた為に
元々住んでいた民族などが、国外へ追い出されたり隔離政策の煽りを受けて強制的に大挙させられる人間が続出していた。そうしてフランスは現地の住民を蹴散らし
ながら開発を進め遂には旧植民地領を完全に本国かさせる事に成功する。
しかし、フランス国民の意識も一枚岩ではなくアフリカ・在住のフランス国民が殊更反OCU意識や人種差別が強いことに対して、逆に中華植民地のフランスは中国人だけに
ヘイトが集まり、欧州フランスでは親ドイツの機運※2が高まるなどの意見の対立があり国内でも隔離政策やを初めとした差別の強い製作は物議をかもし出していく。
576 :ナイ神父mk-2:2015/10/18(日) 23:35:35
ソ連の戦後
単独講和に漕ぎ着けたソ連だが、その国内事情は悲惨なものだった。国内は焦土戦術によって荒れ果て、国内の人口は激減した為日々の食事にも苦労するという有様であった
そんな中でも書記長の強権によって行われた強引な復興製作で回復が図られていたが、ダメージは深く回復には相当な期間が見込まれていた。そんな中でフルシチョフは自身の
権勢を保つべく粛清を敢行し多数の元スターリン派の排除に成功する、しかしそれが親衛隊の反発を招き1960年以降のソ連の内乱に繋がっていく。
中華及び朝鮮王国の戦後
朝鮮王国は戦後亡命した元中国植民地民や中国共産党を取り込んで勢力を拡大していた、更に戦後は各中華植民地やOCUからその信頼性を買われて
アジアの金庫番として機能し
自国の安全と繁栄の糧にしていた。亡命してききた中国共産党は中央共産党の暴走振りと住民の抵抗から帰還をあきらめて朝鮮王国に帰化することと成る。そんな中で一部の元共産党
指導部の面々が集まり学校開校やその支援※3を行い始め、協力者を得て活動を拡大し後には朝鮮王国の学校教育の父として歴史にその名前を残すことになる。
一方中央共産党の本拠地となったいた中国中央部の統治問題が国連の中で噴出していた、当初は中央共産党の首脳部を排除して中国共産党に統治を任せる予定であったが、既に
中央部は住民と便衣兵の区別が着かないほど反列強の機運が高まっており、更に既に中央共産党が史実で言うテロリスト組織※4に近い構図と成っており一時的に壊滅させることは
出来ても根絶は難しいと判断が下された。そこで各国が行った策は徹底的な封じ込めであった。陸上の国境には厚い地雷線とフェンスで隔離され、河川は常に警備船が見て回るなど
大規模な隔離作戦によって中国中央は完全に陸の孤島とされていく。
※1:事実上の共産主義連合のトップと言え、積極的に兵器の販売や共同の軍事演習が行われている。
※2:戦時中の逃走でマイナスイメージが付き、本国そっちのけでアフリカを開発して居た為、
更に本土の国民からの信頼が下がった。
※3:当初は共産主義を広める為と目されていたが、教育内容に主義思想を入れることは無く国からも
正式に認可されるようになる。教育に走った理由としては中央共産党の余りの無学振りに悩んだこと
から第2の故郷をそうさせない為に学校教育に力を入れたとする書記が見つかっている。
※4:貧困を初めとした様々な問題と結びつき一つを潰せば二つの手段に増えるという状況に加え
国家を纏められるだけの組織も存在しない為、条約締結も不可能だった。
最終更新:2016年02月29日 21:23